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#12 | 1500時間のインターンシップ

卒業への「高いハードル」


私が籍を置いていた大学の「余暇学(Recreation and Leisure Studies)」という学部には、卒業するためにどうしても超えなければならない、極めて過酷なハードルが存在していた。
必須単位の中に、なんと「1500時間のインターンシップ」が組み込まれていたのだ。

1500時間。

週に40時間フルタイムで働いたとしても、およそ10ヶ月近くかかる計算になる。

教室の中でどれだけ綺麗な理論を学ぼうとも、「余暇」は現実の生活の中にあるという本質を大学側は意図していたのだろう。実際に人が動き、感情が揺れ、お金が動くその瞬間を、1500時間見続けろ。それが、卒業の条件だった。

しかし、言葉の壁をようやく少しずつ乗り越え始めたばかりの留学生にとって、現地の企業でインターンシップの枠を勝ち取ることは、容易なことではなかった。

過去に在籍していた数少ない日本人留学生は大学のキャンパス内にあるJapanese Garden (日本庭園)で働くことで、この1500時間をこなしていたそうだ。

多くの学生がインターン先をさがしては履歴書を送りを繰り返している最中、私にも焦りの色が濃くなり始めていた。

雪山が運んできた「縁」

 チャンスというのは、本当に予想もしない、ふとした瞬間に転がっているものらしい。
当時、私は趣味のスノーボードで家から車で2時間のところにあるスキー場に通い詰めていた。ロサンゼルス近郊に住む人にとってスキーやスノーボードができるスキー場は数少なく限られている。海から広がる平野にロサンゼルスがあり、その北側に標高2000mを超える山脈が横たわる。その先にはラスベガスなどにもつながる荒野が広がる。
海から近くロサンゼルスという街からアクセス圏内ではあるが、その稀な地形からその山脈の山頂付近の標高2000m地帯のみ雪が降るのだ。

冬はスノーボード、そして時間があるときは家の付近でスケートボード、これがストレス発散法で、お金もない私が唯一の趣味としてとうじ没頭していたことだった。
そこは私にとって、分厚い教科書の日常から解放される、唯一の息抜きの場所だった。サーフィンやスケートボードカルチャーと密接なエリアにある、その地域の数少ないスキー場は、世界でも有名なプロスノーボーダーを数多く輩出しているスノーボードの聖地でもあった。
当時、スノーボードのDVDを擦り切れるほど観ていた私には、そのスキー場で目にする光景はまるでパラダイスだった。右や左を向けばDVDで圧倒的な滑りを披露していたスターが目の前で滑っているからだ。

毎週のように足しげく通ううちにローカルのスノボーダーや、憧れていたプロスノーボーダーとも顔見知りになっていた。
ある日、その雪山で仲良くなったプロスノーボーダーを通して偶然出会い、意気投合した一人の男がいた。

何気ない会話の中で、彼がアクションスポーツ系の会社に勤めていることが分かった。しかも、ただの社員ではない。クリエイティブ・ディレクターとして、現場の最前線を仕切っている人物だった。

私の専攻や、今インターンシップの先を探しているという話をじっと聞いていた彼は、不意にこう言った。

「……うちに来てみるか?日本もうちのビジネスでは重要な市場だから、日本語話せるのも良いかもしれない。」

それは、あまりにも唐突で、あまりにも軽い誘いだった。
社交辞令のようにも聞こえるその一言。
しかし、当時の私にとっては、暗闇の中に一筋の光が差し込んだような瞬間だった。

「その日の夜」に送る、一通のメール

 彼と別れ、アパートに帰ってきたのはもう夜遅くだった。
身体は滑り疲れて重かったが、頭は妙に冴え渡っていた。

「あの言葉を、ただの社交辞令で終わらせてたまるか」

私はすぐにデスクに向かい、パソコンを開いた。それまで何度も書き直し、磨いてきたレジュメ(履歴書)を引っ張り出す。彼のメールアドレスを入力し、今日出会えたことへの感謝と、インターンとしていかに貢献したいかを、飾らない言葉で、けれど熱量を込めて一気に書き上げた。

彼と「うちに来てみるか」という話をした、まさにその日の夜のうちに、私は一通のメールを送信した。

返答はなかった。

私はすでに忘れかけていた、あれから2ヶ月が経った頃、一通のメールが届いた。

「インターンはまだ探しているか?」

あの時の震えるような嬉しさは、今でも忘れられない。
届いたJob DescriptionにはMarketing Assistantと書かれていた。
インターンの私にちゃんとしたジョブタイトルと業務を与えてくれた。

後になって、そのクリエイティブ・ディレクターの彼が、私を選んだ理由をぽつりと教えてくれた。

「ぶっちゃけ、インターンをさせてくれと言ってくる奴は、毎年山ほどいるんだよ。でもさ、あの話をした『その日の夜』に、本当にレジュメを送ってきた奴は、後にも先にもお前だけだったんだ」

その言葉を聞いたとき、私は自分の胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じた。

優れた戦略を立てることや、巧みな言葉を操ることも、きっとビジネスには必要なのだろう。けれど、それ以前の段階として、チャンスの尻尾が見えた瞬間に、誰よりも速く動き、差し出された手を泥臭くてもいいから全力で握りしめること。

あの、ヒューマンビートボックスでルームメイトの輪に飛び込み、言葉の壁を突破した夜もそうだった。いつだって、自分が純粋に情熱を注いでいる大好きなものやことが、巡り巡って新しい何かを私の元へ連れてきてくれる。だから、スノーボードを通じて出会ったこのインターン先も、選んだアクションスポーツという業界も、自分にとって絶対に間違いのない選択のはずだという、確固たる予感があった。

その一歩を踏み出せるかどうかが、現地の分厚いオフィスのドアをこじ開ける、唯一の鍵だったのかもしれない。
その後の私のキャリアを数珠繋ぎのように形作っていくことになる、全ての始まりの最初の一歩だったのだ。

翌週には社長やマーケティングディレクター、そしてクリエイティブディレクターと面接を行い、無事の入社が決まった。
これもあとから知ったことだが、その社長もスイスから移住し、私の通っていた大学を卒業したある意味同郷の人間だったことも、私を受け入れてくれたことに寄与していたようだ。

こうして私は、ついに1500時間の「現場」へと足を踏み入れることになった。

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