エッセイ| 「文才」は、書き続けることで育つ。
ある人が書いた文章に、「文才」とコメントしているのを見つけた。
なぜか、惹きつけられた。
文才。
気づけば、その言葉が頭から離れなくなっていた。
文才。
私は使わない。
いや、正確には、使えない。
この言葉を選べるほどのワードセンスを、私は持っていない。
小学校では、よく作文を書いた。
「起承転結」を習ったことも思い出す。
「6がつ24か
きょうともこちゃんとみなこちゃんと、ほいくえんであさりちゃんごっこをしてあそびました。とてもおもしろかったです。」
これは、小学一年生のときに先生へ出していた作文だ。
進級の時、先生が文集にして配ってくれた中のひとつである。
“あさりちゃんごっこ”がどんな遊びだったのかは、もう覚えていない。
でも、ともこちゃんとみなこちゃんとは、よく遊んだ。
「にんじんむすめ」と呼ばれていたこともあった。
どうしてそう呼ばれていたのかは、そのときもわからなかったし、大人になった今もわからない。
それでも私は、「なんでそう呼ぶの?」とは聞かなかった。
懐かしい。
おっと、懐かしいで終わらせるところだった。
話は、その文集である。
そこには、クラスメイトの作文も載っていた。
「きょう6じはんごろに、ねえちゃんとさかだちをした。いっかいめ、ねえちゃんにまけた。にかいめもまけた。くやしくてもういっかいやろうとなって…」
ある子の作文は、私の倍は書いてあった。
小学二年生の私は、それを見て衝撃を受けた。
今になって思う。
私が驚いたのは、書かれている量だけではなかった。
この子の何がすごいって、情景が小学二年生だった私にもちゃんと伝わってきたことだ。
なんなら、「ねえちゃんがいじわるっぽく『すごくくやしいだろう』といったから」という部分なんて、兄ちゃんとのテレビのチャンネル争いに負けた自分に重ねてしまうくらい悔しさが伝わってきた。
当時の私は「情景」なんて言葉は知らなかったけど、姉妹で逆立ちを競う姿が目に浮かんだ。
ちなみに、6月24日の夫の作文だが…
「きのうのよるおふろにはいるときすってんころりんそれでいたかった」
(※一言一句転載)
すでに、今の夫の原型がある。
ちなみに、夫と私は小学校からの同級生だ。
同じ教室で、同じように作文を書いていたはずなのに、言葉の選び方は、こんなにも違う。
文才。
この言葉に触れて、ぶっちゃけ、
「私も文才って言われてー」
と思った。
最近、書いた文章をAIに添削してもらうことにしている。
そのたびに言われるのが、
「きよは、刺さる言葉が弱い」
ということだ。
何度もダメ出しされるうちに、AIが言いたいのは、たぶんこういうことなんじゃないかと思いはじめた。
「読み手の頭の中に、ちゃんとイメージが浮かぶかどうか」
要するに、情景のことなのだ。
今日も私は、AI赤ペン先生にしごかれながら、言葉と格闘している。
明日も書く。
その積み重ねが、いつか文章力になると信じて。
文才の道…遠いなぁ。
いいなと思ったら応援しよう!
いただいたチップは、「これ気になる!」と思った商品の購入費や、本代に使わせていただきます。
みなさんのおかげで、我が家の宅配便がまた増えるかもしれません📦
その分、「買ってよかった!」をたくさんお届けします🌻