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エッセイ 災害国家である事一方文化というもの

2026年7月5日
 昨日、畑の雑草をある程度、抜いてそうして今朝も畑の手入れをしなければならないので、昨晩の内に、これはわたくしの「市」が発行している「市民文芸」というものに、応募する原稿をまとめていたのでありました。

 霊峰富士周辺、富士五湖の災害というものがありつつ、一方で、賞与を得たい、いや、ごくごく個人的な理由によって筆をとり、そうして、原稿用紙におさめていったのですけれど、このとき、一方で、山梨の事を思いつつ、自分の表現したい欲、というものを内省、自覚する内に、災害/文化 この二項対立のようなものを深く考えざるを得なかったのです。

 たとい、その災害というものがありつつそこで実際、被害を受けている方々がいてそうして自分の表現をしたいということは、「あれもしたい、これもしたい、もっとしたいもっともっとしたい」 ザ・ブルーハーツ という事になりまして、それは煩悩的な側面があると思われるとして、自分、自己というものの在り方について一体、何を、どうすればいいのか、ここの所で、筆で書きつつ、何度か止まってしまわざるを得ませんでした。

 文化とは何でしょうか。稲垣足穂の文献をあたってみますとそれはどちらかというと「茶色」「黒色」例えば、煙草、昔のピアノ、そうして木製の建築物や、椅子、インク、地球自体も何か昔は「茶色」という印象を持たれたらしい事が書かれてありました。汚い事を申し上げますと、排泄物、尿というものも、何か、えー、これはトイレという所で、文化と何か関係がある。

 まあ、詩人としましてそういった事を念頭に置きつつも、何度かの余震がありつつも、それは社会奉仕の、社会貢献のメッセージングというものに留めつつ、やっと原稿を仕上げるという事ができたのでありました。とても複雑な気持ちですが、明日、原稿をポストへ出しに向かいます。

 それは、壮大な何か自己憐憫な告白に過ぎないのかも知れませんが、いつかの言い訳のためにもここに書かせて頂きました。感謝申しあげつつ、山梨の地震によって被害に合われた方々に対して、しっかりとしたケアがされる事を願ってやまない、どこまでも手前勝手なわたしです。


 私は一人の修羅なのだ

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