見出し画像

新刊『観る技術、読む技術、書く技術。』 「はじめに」全文公開

以下に掲載している文章は、12月5日に発売される、北村匡平『観る技術、読む技術、書く技術。』(クロスメディア・パブリッシング)の「はじめに」全文です。

『観る技術、読む技術、書く技術。』カバー

はじめに

情報が溢れるいま、知性と感性を手に入れるために


 この本は「調べる・考える・読む・書く・観る」といった知的生活や創造的な活動に関心がある人に向けて書かれています。
 といっても、大学生や研究者だけのために書かれた実用書ではありません。むしろ、知的活動に関して幅広い人びとが日常のなかで知的活動に関する「学びの方法」を考え直す一冊です。
 情報が溢れ、便利なデジタル技術に囲まれているいまの時代。私たちは、いかに情報と出会い、それを整理し、どのように思考して、読み、書き、観るのか。本書はその「学びの方法」を問い直す試みといってもいいでしょう。
 
 ここで目指すのは、効率化や“コスパ・タイパ”を追求するためのハウツーではありません。小手先のテクニックや環境を変えてくれるツールに頼ることでもありません。もちろん、これから紹介していく技術やツールを使って身の回りの環境を整えることで、結果的に効率が上がることもあるでしょう。
 でも、それはあくまで副産物であり、この本が目指す本当のゴールではありません。大事なのは、知的な活動をもっと深く・・・・・していくことです。だからこそ本書では、「知的生産」ではなく「知的創造」という言葉を使っていきたいと思います。
 
 本書ではどうすれば知的活動を深め、創造性を育てられるのかを多角的に議論しています。つまり、知的な「創造」というものがいかなる技術や環境の構築によって生み出されるのかということを考えたいのです。

 私の専門は、映像文化論やメディア論、社会学で、普段は教育者として大学で教えています。同時に研究者として学会誌に学術論文を書いてきましたが、批評家・随筆家としても活動しているので、雑誌に批評を寄稿したり、エッセイ(随筆)を書いたりすることもあります。要するに、硬い文章から柔らかい文章まで、さまざまなジャンルの文章を書き続けてきました。
 大学では、「調べる・読む・発表する・書く」といったアカデミック・スキルの講義も長く担当してきたので、個人的にも読書法や執筆術に関する本をたくさん読み、いろいろな方法を試してきました。
 また、私が文筆業を生業とした2010年代は、電子書籍が次第に普及し、「読む」という営みが問い直される時期でした。読書や執筆するためのさまざまなアプリケーションやツールが登場した時期でもあります。
 安価に、あるいは無料で使えるアプリが増え、書きたい人にとっては幸福な時代だったと思います。もちろん試行錯誤の過程で、失敗も山ほどありました。
 書くことはしばしば苦しい営みですし、読むことだって「自分は本当に読めているのか」と不安になる瞬間があります。だからこそ私は、自分の経験を通じて得た知識や実践を、多くの人に役立ててもらえたらと思っています。

新しい基礎技術リテラシーが必要だ


 いまや「読む技術」や「書く技術」を扱った本は巷に溢れています。インターネットの普及以降、誰もが日常的に「書く」ようになり、SNSの浸透でその量は爆発的に増えました。人と人の関係や政治までも変えてしまうほど、「書く」行為は社会を揺るがしてきました。だからこそ、改めて「書く」という営みを捉え直さなければなりません。
 そして「書く」ことの土台になるのは「読む」ことです。読書離れが叫ばれるなか、“コスパ・タイパ”の波は「読む」ことをいっそう貧しくしているように見えます。近年の技術革新によって、書くことや読むことは本当に豊かになっているのか──この問いも改めて考えてみる必要があるでしょう。
 
 さらに私が強調したいのは、「観る技術」です。あまり注目されることのない、とはいえ私たちの日常の根底を支えているといっても過言ではない「観る」というスキルは、もはや無視できない営みとなっています。
 20世紀は映画とテレビの時代でした。いまやYouTubeや動画配信サービスなど、かつてないほど人々は映像を「観る」ことに取り憑かれている。私たち現代人は、パソコンやスマートフォンから、電車内のデジタルサイネージまでまで含めれば、誰もが「スクリーンだらけの社会」に生きているのです。これは、日常的にさまざまな映像を「観る」ことで、無意識に大量の情報を受け取っていることを意味します。
 でも、私たちは本当の意味で映画やドラマを「観る」ことができているのでしょうか。ただ単に物語の筋を「情報」として消費しているだけになっていないでしょうか。あるいはじっくり味わったと思っている人も、本当の意味で「観る」ことができていないかもしれません。本書では、それぞれの観客/視聴者にとって豊か・・に、あるいは深く・・味わえるようになるための「観る技術」についても議論していきたいと思います。
 
 こうした営みを別々に扱うのではなく、「読む」「書く」「観る」をひとつながりの知的活動としてとらえるのが本書の特徴です。現代の子供は本を読むのと同じくらい、いやそれ以上に映像を観て育つといってもいいでしょう。学校教育でも視聴覚教材が当たり前になり、「観る技術」を無視できない時代になっているのです。

アダプタブルな創造力


 本書のつらぬくキーコンセプトは「アダプタブル」(adaptable)な創造力──。つまり変化する状況や環境に柔軟に適応できる力です。
 過剰な情報とテクノロジーに満ちた現代社会で、どうすれば知的創造力を育てられるのか。私たちの身体や思考をどのような環境に適応させ、いかなる環境を構築すればよいのでしょうか。これは意識だけの問題ではなく、私たちの身体の使い方、実際に使う技術やツール、環境の設計にも関わることです。ぜひ、現代社会に合わせて、思考も身体も環境もアップデートしてください。
 
 いま、読むことや書くことを助けてくれるアプリは数えきれないほどあります。これだけ執筆ツールが揃い、便利なメディア環境に囲まれているのに、うまく活用しないのはちょっともったいないと思いませんか。
 インターネットの普及とともに、パソコンやスマートフォンを使うのはすっかり日常になりました。その結果、私たちは以前のように記憶力を鍛える必要があまりなくなっています。覚えた知識は頭の中にためておかなくても、外部にどんどんストックできるからです。スマートフォンはいわば、「携帯型外部記憶装置」といえるでしょう。
 これから先、博覧強記の学者はどんどん減っていくかもしれません。もちろん、私自身は「記憶すること」は大切な力だと思っています。でも、社会全体で見れば、記憶力は以前ほど重視されなくなっていくでしょう。なぜなら、スマホや、さらに軽くて速いデバイスがあれば、知識を瞬時に調べられるからです。これから本当に重要になるのは、環境に人間をいかに適応させ、情報をどう引き出し、どう組み合わせるか、その力なのです。
 ここで強調しておきたいのは、本書がよくある「コスパ・タイパ批判」をしたいわけではない、ということです。時代の流れに逆らって「効率化は全部ダメだ」といいたいのでもありません。実際、多くの人にとって“コスパ・タイパ”は無視できないものです。大事なのは、それをうまく取り入れる場面と、あえて別のアプローチを組み合わせて、知的創造へとつなげていくことなのです。
 
 そこで本書では、まず現代社会で情報とどう向き合い、整理すればよいのかを見ていきます(第1章)。次に本を「読む」にあたってどのように接し、環境を作り、咀嚼するかを論じ(第2章)、さらに教育や娯楽の場で日常的に接している映像をどう「観る」かを考え(第3章)、そして「書く」ための環境構築や方法について探っていきます(第4章)。最後に、知的創造をどう実践できるかを考えていきましょう(第5章)。
 情報と技術があふれる現代のメディア環境のなかで、私たちはどうすれば知的創造を高められるのか──。その答えを、これから一緒にじっくり考えていきたいと思います。それではまず、「情報との付き合い方」から探っていきましょう。

本書の構成

はじめに
第1章 情報と向き合う
第2章 読む技術
第3章 観る技術
第4章 書く技術
第5章 知的創造の生活
あとがき
巻末付録「映画筋トレリスト」

予約注文開始(2025年12月5日刊行)

北村匡平『観る技術、読む技術、書く技術。』
(クロスメディア・パブリッシング)
オンライン書店で予約注文を開始しています。

本の詳細は以下のプレスリリースをご覧ください。



いいなと思ったら応援しよう!