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藤井風論(Behind The Scenes)第1回

「藤井風論──救済の音楽」連載開始にあたって

ついに新連載「藤井風論──救済の音楽」が始まりました! 音楽批評の長期連載は、『文學界』で14回にわたって書いた「椎名林檎論──乱調の音楽」以来のことです。2021年3月号から開始し、2022年5月号が最終回、その後、同名のタイトルで2022年10月に書籍化されました。映画批評の連載は『週刊文春』でいまもやっているのですが、音楽批評はかなり久しぶりになります。

実は「藤井風論」の連載のお話は1年以上前からいただいていたのですが、その時はまだ2枚のオリジナル・アルバムのみ、やはり一冊の本にしたり、連載で書いたりするには、3枚はほしかったので、書くタイミングを見計らいつつ、開始の時期を待ってもらっていたのです。というか、2枚のアルバムだけでは長期連載は難しいかもという不安もありましたし、海外進出がどうなっていくか見通しが立たないまま開始するのは非常にリスクがあったので、耐えてよかったなといまでは思います。

しかも、3枚目の英語アルバム『Prema』がまたとんでもなく素晴らしく、論じがいのあるものだったので、この絶妙な時期に開始できて本当によかったと思っています。当初、このアルバムは藤井風の誕生日の6月14日より前にリリースされる予定だったので、それを聴いてから開始するという話になっていましたが、結局、9月5日のリリースになり、何度か開始時期をずらしてもらい、いまにいたるというわけです。

『文學界』は月刊誌なので、締切は月1回でしたが、このたび書かせていただく『webちくま』は2週間おきの更新。僕は紙の媒体を偏愛しているため、普段は文芸誌や批評雑誌が多く、web媒体への寄稿はなるべく避けてきたのですが、今回は与えていただいた選択肢(紙の連載も選べました)のなかで積極的にweb媒体を選びました。webでの連載は初めてとなるのですが、なぜ前向きに考えたのかというと、まず藤井風の存在と音楽の魅力を広く伝えたかったこと、そしてweb媒体だと無料で読めることが理由です。

僕が批評のアプローチとして大事にしているのは、論じる対象への敬意をもつこと、上から目線で評価を下すのではなく、まずその対象がどのような実践をしているのかを理解することです。そこからはじめ、論じる対象の生き方や作品性に自らの方法や文体を重ねあわせるようにしていきます。だから「椎名林檎論」とはまったく違うアプローチになるはず。いわば、対象に積極的に乗っ取られる感じといえばいいでしょうか。

たとえば、椎名林檎の音楽は難解で「一見さんお断り」的な雰囲気がある。東京事変なんてもっとそんな感じです(悪い意味ではまったくありません)。他の例をあげると、椎名林檎は、シンメトリーなどにこだわる形式主義者でもあります。だから僕も文体やレイアウトなど「形式」にかなりこだわって書きました。わからない人がいても、あえて音楽理論の分析なども気にせず盛り込んだのもそういう意図です。

藤井風に関しては、もちろんコード進行は複雑で楽理分析も面白いでしょうし、曲の構成なども個性的で論じがいがあるのですが、風の凄さはその難解な部分をすごくシンプルに感じさせ、音楽としてすごくストレートに響かせる点。むしろ「一見さんお断り」とは対極で、誰もに届くように音楽を作っている。日産スタジアムで無料生中継ライブなんてことまでやってしまう。ほんと金儲けのことなど彼自身は考えてないでしょう。ファンクラブなど作れば莫大な資金が入るだろうに、それもしない。

今回の連載はだから、読者を置いてけぼりにしてしまうような難しい楽理の話はあまりせず(ゼロではないかもしれませんが)、誰もが読みやすいものにしたいと思っています。そもそも藤井風のファンって素人から玄人まで、世代も下から上まで本当に幅広いので、耳の肥えた知識のある音楽の玄人に向けて書くと、多くの人たちを排除してしまいかねない。藤井風は絶対にそんなことをしないよね、ということで、たぶん、近刊のエッセイ本『家出してカルト映画が観られるようになった』をのぞけば、僕のなかでは一番わかりやすい文章になるのではないかと思います。そして無料で誰もが読めるというのが、2021年の無料で世界に配信した日産スタジアム無観客ライブみたいで、なんかいいじゃないですか。無料で誰もが読めるというところがまた気に入りました。

ちなみに僕は、映像文化論やメディア論、社会学を専門としていて、映画批評や音楽批評を書いてきました。ただ、一言で研究テーマをいうならば「セレブリティの社会学」(Celebrity Studiesという学問領域があります)ということになります。これまで、原節子や京マチ子以外にも、『アクター・ジェンダー・イメージズ──転覆の身振り』(青土社)で高峰秀子、若尾文子、満島ひかり、フランキー堺、渡哲也、萩原健一、山田孝之、チョン・ドヨン、綾瀬はるかなんかを論じてきました。もちろん、椎名林檎もこの「セレブリティの社会学」の対象でした。

いまなら大谷翔平や藤井風もこういう枠組みで論じたくなる人です。つまり、映画や音楽の作品だけでなく、その時代を象徴する人と社会の関係も考えてきました。なので、A面(仮にそう呼びますが)の「藤井風論」では音楽それ自体の分析だけではなく、社会との関係、メディア論の視点、何より彼のペルソナ(ラテン語で「仮面」の意味があり、自己呈示のこと)/パブリック・イメージの分析なども組み込んでいく予定です。

さて、なぜこんな「藤井風論」(Behind The Scenes)などとわけのわからない記事を書いているかというと、風もステージではキレッキレのパフォーマンスをする一方、オフの「ゆるい」姿を見せてくれるので(ステージでもたまに歌詞忘れたり寝っ転がったり「ゆるい」ですが)、それにあやかって(?)、なんとなく本番とは別の文章を書いてみたくなったのです。A面が表舞台なので、裏舞台のこのB面は目立たないところで、ひっそりと。

ただ、ただでさえきついスケジュールの連載なので、こちらの記事が続くかはまったくわかりません。楽しんでもらえるならモチベーションもあがるのですが、きっと連載の数と同じくらいの頻度にはならないでしょう。ただ「A面」に入れたくても入れられなかったことや、書いたことに関連するエピソードなどをこの「B面」に書いて、両面から楽しめたらいいんじゃないかと思いまして…。

連載原稿の初回を編集者に送った直後に、ふと思い立ってこれを書いているわけですが、まあそんなこんなでいろいろ「藤井風論」の連載がはじまってしまいました。もう後にはひけません。休載がなければ8ヶ月(合計16回)ほど続く予定です(そんなに書けるのでしょうか!マジでいまんとこノープランなんですが)。年末年始など挟みますし、体調を壊したりもするかもしれないし、わかりませんが、休載をしてしまうと、もう少しのびます。

長期にわたってある対象を真剣に論じると生活が一変します。「椎名林檎論」のときも生活が本当に林檎一色になり、林檎さんのこと、事変のことを四六時中考えて生きていました。僕はサラッとできない質でして、いつも論じる対象には2〜3年を捧げる覚悟でやっています(まあもう風は2019年末くらいから聴いているので6年目になるのですが)。もちろん、今回もそうです。思い返せば、家でも車でも椎名林檎を流して、息子(当時、小2)に「もういい加減にして、うるさいんだよ、リンゴは!」とブチ切れられたこともありました(笑)林檎さんの声はパワーと存在感ありすぎて子供の耳には大人すぎたようです。

ところが、風は違います。もう2019年末(2020年初めだったかも)から藤井風を頻繁に流しますが、これは不思議とまったく嫌がらないんですね。うちの子供たち(3人おりますが)、一緒になって歌うし、鼻歌を歌えば風の音楽だし、風を流せば体はノリノリだし、かわいすぎです、ほんまに。藤井風の音楽、文字通り老若男女ですよね。ぜひ風民/Kazetarianの皆さんと藤井風の音楽の素晴らしさを掘り下げていければと思います。そして、その魅力と思想をもっと多くの人にシェアできれば、きっと毎日が「ちょっといい気分」で人生を送れる人の輪が広がっていくと思います。

皆さんの応援があれば、書き下ろしを加えた書籍化もできるはず。ぜひ、長いお付き合いになりますが、どうぞよろしくお願いいたします。


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