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学問としての「異界」文化

最近、左手の親指が痛いです。

常にしわしわの状態で、
時折、力が入りづらくなります。

原因はおそらく本の読み過ぎです。笑
左手の親指でページをめくったりするので。

ちょっとは読書も自重しなければ。笑


共育LIBRARYへようこそおいでくださいました✨

教育、人間、人生など、様々な「知恵」や「情報」が詰まった図書館のような、皆さんがくつろぎ、人生の「気付き」を得たり、知的好奇心を満たしたりできる居場所を目指しています😌

どうぞ、ごゆるりとお過ごしください。

共育LIBRARYりょーやん、元教師です。


異世界転生。

近年は、
マンガやアニメでも
そのようなテーマが人気となっています。

しかし、
内容を見てみると

西洋の世界やゲームの世界など
日本本来の「異界」を表現する作品は
少ないのが現実。

これはもしかすると、
日本人が自分たちが本来もっている

日本文化としての「異界」を
忘れてしまった
ことが原因と言えるかもしれない。

それぐらい、
日本文化にとっては
「異界」という存在は欠かせないものでもあった。

一見すると、
「異界」というワードは、
都市伝説やオカルトのように感じてしまいがちですが、

本来は日本文化の中心核と言えるほど
大切なものであったはずなのです。

そんな大切な異界文化を思い出すためにも
記事にまとめることができたらと思います。

楽しんでいただけると幸いです。



通過儀礼の目的

「異界」という文化が
日本文化の中心核と言える根拠として、

まずは、
日本神話である古事記をあげることができます。

イザナミが黄泉の国の住人に
なってしまった
という件です。

どのような民族にも、
民族のアイデンティティ、起源となる神話が
必ず存在する。

「国づくり」という日本誕生を司る神話である
古事記に異界の記述があることは、

日本のアイデンティティとして
異界を大切にする文化があった
ということでもあります。

そんな異界文化は、
私たちの日常に当たり前に存在している。

私たちの暮らしには、
冠婚葬祭といった数々の通過儀礼が存在します。

そもそもなぜ、
通過儀礼を行うのでしょうか。

通過儀礼の本質は、
それまでの存在が失われると共に、
新たな存在に生まれ変わる
形式を通して

擬死と再生のリズム
生活に取り入れることだとされています。

「誕生」では、
赤ちゃんが妊娠5か月目の戌の日に
腹帯を締める。

これは、それまでの期間は、
いつでもあの世に引っ張り戻される
信じられてきたことから成る風習です。

「結婚」は、
お嫁さんが実家の娘として一旦死に

嫁ぎ先の娘として
新しく生まれ変わる
ことを表す儀式でした。

葬儀は言うまでもないでしょう。

このように、
古来から日本人は、

あの世とこの世の引っ張り合いという文化を
折々の儀式に込めてきた歴史があります。

通過儀礼は、そんな、
異界の存在を定期的に思い起こさせる
儀式の1つとなっていたのでしょう。


「おむすび」にも異界が!?

ご飯を三角に握り、
簡単に持ち運べるようにしたおむすび

なぜ、
お米とは関係のない「むすび」という文字が
使われているのでしょうか。

この「結び」という文化は、
身の回りに実に多く存在しています。

結髪、結納、結婚

これらは何を「むすんで」いるのか。

「むすび」の「ヒ」の音は、
もともと「霊」を表します。

だからこそ、
古来から神聖視される「火」にも、
「ヒ」の音があてられるようになったのです。

その「ヒ」に、
「産む」という意味を表す
「ムス」
の音と合わさることで、

「むすび=産霊、生霊」となり、
霊を現実の姿・形として表すことを
示すと言われています。

あの世とこの世を結ぶ結界を示す注連縄。
お祭りの神輿や山車を飾る「ムスビ」。

相撲の「結びの一番」なんかも、
そういった力の象徴を表す文化です。

「『むすび』によって生まれた男=彦」が、
「ムスコ」となり、
「女=姫」「ムスメ」となっている。

また、おむすびも、
昔の旅の過酷さから来ているとされています。

大変であるが故に、
草鞋をむすび、

ムスビを表す握り飯を持参し、
力を借りて旅立った

日本文化には、異界の力を
当たり前に借りていた思想
を示す文化が
ふんだんに散りばめられているのです。


異界の扉を開く祭り

日本の異界文化を如実に表すのが
祭りでしょう。

祭りは「ハレとケ」の文化として、
非日常の中から活力を得て、
日常の「ケガレ」を取り除く役目
をもつもの。

その「非日常」には、
普段から信仰している神々と共に

異界の扉が開かれることが
祭りを見ていると伝わってきます。

その証拠に、日本には
異形のモノを連想させるような祭り
全国に様々存在します。

https://www.surugawan.net/guide/1074.html

徳山の盆踊り、「鹿ん舞」

「鹿」は「シシ」と読み、
四つ足の獣を意味している。

もののけ姫のシシガミ様を連想させる、
畏怖と幻想を兼ね備えた印象を受けます。

以下の写真は
奈良県、修験道の聖地で行われる、

蛙を神輿に祭り上げる
蓮華会・蛙飛び行事

https://www.narakko.jp/kaerutobi/

異形の踊り子たちが舞う、
三重県のかんこ踊り

https://yoshik.boy.jp/matsuri/09/08sohchi/sohchi.html

断絶された辺境の地、
大分の秘境で行われるケベス祭

https://www.nippon-matsuri.net/report/kebesu/

泥を纏うことで神へと変貌を遂げる、
宮古島のパーントゥ

https://www.miyakomainichi.com/news/post-97691/

祭りによって、
人は神様や異界の存在を
身近に感じていたことが分かりますね。


「かくれんぼ」の真の意味

私たちが何気なく行っている遊びにも、
異界への扉が隠されています。

その1つが「かくれんぼ」

かくれんぼは、
鬼が一定時間数を数えている内に隠れ、

「もういいよ」の合図と共に
鬼が隠れた子どもを捕まえる遊び。

そして、
鬼に最初に捕まる子が鬼になります

こうしてみると、
暗示的、儀式的な遊びですね。

実はこのかくれんぼを行っているときに、
昔から神隠しに遭いやすいと言われてきました。

かくれんぼは、
「隠れん坊」とも表記され、

鬼から逃げている内に
子どもが「隠されて」しまう
ことをも
示唆しているという説があります。

特に夕暮れ時。

なぜなら、
夕暮れ時は

「逢魔が時」

と言われたり、

「黄昏時=たそ誰れ時」

と表記されたりするように、
夕暮れによるシルエットで
誰なのかが分からなくなる

そこで、
間引きや人さらいなどの
「魔」に遭いやすい時刻とされています。

神隠しに遭いやすいのは、
橋やトンネルなどの
区域の境界線とされる場所であると言われます。

千と千尋の映画もそうでしたね。

夕暮れ時は、
昼と夜の境界にあたる時間帯です。

境界に住む山伏が天狗になったとされるように、
境界には「魔」が潜んでいるとし、

自分たちを守る知恵として
日本人たちは考えてきたのかもしれません。


日本人はなぜ異界を忘れたか?

『山怪』という本をまとめた
田中康弘さんというカメラマンがいます。

彼は、
マタギと言われるような
山を生業とする人たちと長年行動を共にし、
その人たちの話を数多く聞いてきました。

すると、
どの地域にも
山にまつわる不思議な話や体験
あることに気付き、

全国津々浦々のそういった話を
本にまとめることに。

突如聞こえる異常な音。
不気味な光。

そういったものを、
山と共に住む人々は、

「狐に騙された」
「狸に化かされた」

といって後世に語ってきた。

狐や狸を出すのは、
未知のものをそのままにしておくと、
より恐怖が増してくる
ので、

見知った存在に置き換えるという
人間の知恵だそうです。

このように、
「山」という存在が身近であった人たちは、

異界や異形な存在を感じることが
日常的に存在していたのです。

自然の中で生きるとは、
諦めることでもあります。

地球の胎動に沿った
自然の一部である人間たちの「生」は、

時には自然の掟に従わなければなので、
「生」を完全なものと考えてはいけなかった

つまり、常に「死」が近くにあるということ。

「山中異界」という言葉があるように、
自己の他なる力によって形成された
未知なる神秘的な存在
を、

「異界」として捉え、
自然を厳かに祀り、

人々は生きてきたのです。

そんな山という
自然の呼吸と共に生きて来たからこそ、

自然のリズムに沿って、
祭りや年中行事というものが育まれてきた。

ところが現代はどうでしょうか。

自然からは離れ、
都市に建てられたコンクリートの建物は、

まるで、
人間たちだけの力で
世界をコントロールしている
かのような
傲慢さを感じる部分がないでしょうか。

「山」から離れたが故に、
未知なるもの、コントロールできないものと
共に生きる
ことを忘れてしまった。

四季と共に巡る自然のリズム、
それにまつわる祭りや民俗の文化、
すなわち異界の文化が失われてしまったのかもしれません。

日本の大切な「異界文化」は、
日本人としての大切な何かを
思い出させてくれるものかもしれませんね。


まとめ

現代は科学が発展し、
不可解な現象があっても、

それを科学的に証明することに
価値を置くようになってきました。

だからこそ、
様々な物事に神を介入させることを止め

神が住む領域である
異界を失ってきた
のかもしれません。

科学的であるということも大切にしながら、
日本人としての魂の部分も
同時に大切にしていきたいですね。

日本文化は、やはり面白い!


▼ 参考文献


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