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全員涙の保護者会、一体何が!?新卒2年目の自閉スペクトラム児とのエピソード

皆さん、日々のお仕事、お疲れ様です!
初めましての方は、記事を開いてくださりありがとうございます。
いつも見ていただいている方、励みにさせてもらっています!
共育LIBRARYというブログを運営しているりょーやん、元教師です。

教師という職業(特に小学校)は、新卒1年目から担任を持たされることが多いです。

正直、大学で具体的な授業を教わったという人をあまり見たことがない教育界の現状ですので、若い先生は、皆、先行きが分からず不安で、未熟であることが多いでしょう。

そんなことを考えると、保護者としては

「ベテランの先生に受け持ってほしい」
「とりあえず何事もなく1年が過ぎてくれればそれでよい」

と思う方も多いのではないかと思います。

ただ、若く、未熟であるからこそできる教育というものも、おそらくあるのです。それは、若いからこそ、子どもに近い感性で、熱量で、目の前のことに一所懸命になれるからこそ、生まれるのだと思います。

この記事では、未熟中の未熟であり、毎日がてんやわんやであった新卒2年目の筆者の「自閉スペクトラム児との出会い」を中心に、幾つかのエピソードを語っていけれたらと思います。

お付き合いいただける方は、是非、最後までご覧ください。



ふり幅大き過ぎ!6年生から1年生の担任へ

筆者は、自己紹介の記事でも書いているのですが、新卒1年目で6年生の担任になりました。

「初めての担任だから、2年生か3年生だと思うよ」と周囲に言われていたので、担任発表をそのつもりで待っていたら、なかなか呼ばれない・・・

「今年は担任ではないのだろうか」と思っていた矢先、最後の6年生の担任発表で筆者の名前が呼ばれ、職員室中がどよめいていたのを覚えています。

「無茶な人事だ」と周囲の教員が言っている通り、1学期は本当にボロボロの状態でした。

しかし、受け持っている子どもたちが本当にいい子たちであったので、その子どもたちに助けられながら、「何とかお返しをしたい」という思いでやり切り、忘れがたい関係で1年を終わることができました。

そして、2年目。

再び担任発表の時がやってきました。

筆者は「6年生の時の経験を少しでも生かせたら」と思っていたので、5年生ぐらいを推測している状態。「最後の方に呼ばれるかな?」と思いきや、1年生の段階でいきなり筆者の名前が呼ばれ、耳を疑いました。

再び、職員室はどよめきが。

教師の世界には、「6年生と1年生をやれば後はどこでもやれる」という言葉があるのですが、流石に1年目と2年目でそれを経験させるのは是非の声があったようです。

「アクロバティックすぎる」「配慮がない」と声があがる一方、

中には、「これは期待の現れだと思うよ」と言ってくださる方がいて、「そうなのかな・・?」と思った筆者は、とにかくやってみようという気持ちで準備を始めていったのでした。


去年の再来・・・再びボロボロの状態に

「1年生は宇宙人だ。」

これが、様々な本や先輩達から教えてもらった中で、最も出てきた言葉です。

そして、筆者はその真の意味を実際に子どもたちを目の前にして初めて分かることになります。

「教科書を出しましょう」といっても、「教科書って何?」と返ってくる。

「前にならえ!」と整列の号令をかけても、通じない。

そもそも荷物をどこに置くのか、どのような学校の流れなのかが分かっていないので、1つ1つを教えていかなくてはならない。

トイレのやり方ですら、和式なのでやり方が分からない子どもがいる・・・

6年生を受け持ったときとは、まったくの別世界でした。

難しい言葉が通じない。頭を動かす知的な授業で興味関心を引こうとしても、まず学習用具の準備ができていない。

あっちへ行ったり、こっちへ行ったりと、授業を成立させるということ自体が至難の業。

新卒1年目は給食準備のやり方1つとっても、「先生は何も分からないんだから、私たちが教えてあげるよ!」と言ってくれた6年生がいた。

6年生の子どもたちに如何に助けられていたかを痛感しました。

そして、教室は、段々と指示が通らなくなる新卒1年目のデジャヴが起こり始めたのです・・・


自閉スペクトラム児のA君との出会い

その中にA君はいました。

就学時検診の時に特別支援学級に入ることを打診された子どもで、当時は高機能自閉症という診断名がついていた男の子。

筆者のクラスは、このA君を中心として構成されているメンバーであったようです。

当時は、教育界にようやく発達障害の概念が降り始めている時代。周囲に高機能自閉症のことを聞いても、誰も正確に教えてくれる人がいない状況でした。

(正確には特別支援学級の先生は答えられたと思いますが、当時は筆者の頭の中にその方々に聞くという概念がありませんでした・・・)

A君は、入学式の日から椅子に座っていることができませんでした。

入学式が行われる体育館でも、式の最中に走り回ってしまい、お母さんを探すという状態。

そこからも、以下のような行動のオンパレードが毎日のように繰り返されていきました。

・通学団で登校することができず、毎朝お母さんに送ってもらう。
・教室に入っても床に寝そべって眠ってしまう。
・起こすと「ぼくは眠いんだ!!」と言葉が返ってくる。
・授業中に立ち歩き、他の子どもの周囲をフラフラする。
・給食は白いものしか食べない。
・みんなができていることが自分はできないと「ぼくはどうせできないんだ!!」とパニックになる。
・鉛筆を持っても力をうまく入れることができず、字がぎざぎざになる。

書き出していくときりがありませんが、とにかく1つ1つの行動に対し、どうしたらいいんだ????」と筆者の頭はパニックの状態でした。

職員室で同学年の先生に相談しても正確な答えは返ってこない・・・・

そして、A君に対応しながらも、他の1年生たちへの授業や指示もうまくいかない・・・・

たちまち筆者は、子どもを帰して職員室に戻ると、30分ぐらい放心状態に陥るようになってしまったのです。


行動するしかない!民間教育団体の扉を叩く

新卒1年目の途方に暮れていた時、一冊の本を渡されたことで道が開かれました。

そして、それからも筆者は毎日のように本を読み続けていました。

その本や雑誌から、様々な教育団体があるという情報を仕入れていはいたのですが、当時は筆者は本で知識を得るだけで留まっていたのです。

ただ、「本を読んで理解する」ことと「実際に現場でできる」ことは違います。

授業は事前に構想を練ることができますが、子どもの対応は、瞬発的にその場で行わなければならない。

当時の筆者には、その対応の引き出しすらない上に、瞬発的な対応ができるまでの経験値の蓄積が皆無でした。

そこで、「本を読んでいても光が見えない」と感じた筆者は、NPOの教育団体の扉を叩くことにしました。

そこからは、毎週のように自分の授業や対応を見て、アドバイスをもらう日々。

当時はまだ多少許されていたのですが、自分の授業を映像で撮影して、それをNPOに所属する教員経験が豊富な方に見てもらったり、実際に模擬授業を行ってアドバイスをもらったり、子どもの対応を相談させてもらったりする中で、1つずつ、1つずつ、自分の未熟な教育行為を改善させていったのです。

「クラスをどうにかするにはまず全体にアプローチをしなければいけない」と授業の腕をひたすらに磨きました。

A君への適切な声掛けを学び、実践し、うまくいかなかったら次を試し、をひたすら繰り返しました。

特別支援学級の子どもやグレーゾーンの子どもにも有効な教材を使い、成功体験を積ませ、彼の作品を教室中に掲示していきました。

A君の素晴らしい行動を一筆箋に書き、みんなに紹介し、保護者に何枚も渡しました。

時には、A君の家に行き、一緒に遊び、家庭内の様子やA君が好きなもの、拒否反応を示すものを教えてもらいました。

A君の変化を映像に撮り、教室で流したり、A君の保護者に見せたりしました。

とにかく、どんな小さな成長や成功体験をも見逃さず、ひたすらにひたすらに褒め続ける。その一点に絞って自分の全エネルギーを注いでいきました。


・・・やがて、クラスの授業は活気が溢れるようになり、A君も本当に少しずつなのですが、参加できる授業が増え、学校生活でできることも多くなり、友達関係も良好になっていったのです。

授業を見た同僚からは、

「1年生が45分間あれだけ集中し切っている授業を初めて見た」

と言っていただき、

何より、1年生の子どもたちが、A君を愛してくれるようになったのです。


A君とのエピソードで最も心に残っている瞬間があります。

ある日、いつものように、みんなが行っている課題を少しでも取り組ませようと、一緒に範囲を決め、A君が自分の名前を書き終わった時、A君に「先生」と声をかけられたのです。

「A君もう名前書けたの!?名前一文字につき花丸だから8個も花丸ゲットだね!」

と彼の行動を褒めていると、A君がニヤッとしながらプリントを裏返したのです。そこには

「すき」

と書いてありました。

「A君、何が好きなの?『すき』ってよく書けたね!」

と声を掛けると、A君が筆者のことを指さし、

「先生のこと、すき」

と、一言言葉を口にしたのでした。

その瞬間、筆者は目頭が熱くなり、視界が曇り、目の前が見えなくなりました。

「ああ、これまでA君に対してやっていたことは、A君に伝わっていたんだ。」

と、自分が今までやってきたことが報われた気がしたのです。


A君の保護者がそっと立ち上がった保護者会

A君も、1年生のみんなも、それぞれ成長し、楽しい日々を過ごして迎えた2月末。

1年間での最後の保護者会(学級懇談会)が行われました。

筆者は、とにかく若輩者であった筆者のことをよくここまで支えて、見守ってくださったことの感謝を述べさせてもらいました。

そして、保護者の方々にも、1年間の成長や思いを一人一人口にしていってもらったのです。

「先生にもらったプレゼント、うちの子は本当に大切にしまっています。」
「先生の一筆箋は、今でも冷蔵庫に貼ってあります。」
「毎日毎日子どもと遊んでくれて本当に学校が楽しそうでした。」

と有難い言葉をたくさんもらいました。

そして、A君の保護者の番。

A君の保護者は立ち上がり、ポツポツと言葉を発し始めたのです。

自分の子どもは自閉症であること。
特別支援学級に入れるか通常学級に入れるか非常に迷っていたこと。
Aが学校でうまくやっていけないんじゃないかと思っていたこと。
皆さんが温かく見守ってくれたから、Aも楽しく学校に行けたこと。
友達に恵まれたこと。
迷惑を掛ける部分が多かったかもしれないが、本当に皆さんに助けられたこと。

そんなことを、泣きながら全員の保護者の前で語ってくれたのです。
非常に勇気がいる行動だったと思います。

周りの保護者は、途中から皆涙を流し、筆者も涙でグチャグチャでした。

そして、ある言葉を思い出したのです。

「発達障害の子がいるから周りの子どもたちが困るんじゃない。発達障害の子どもがいるから周りも成長するんだ。」

「正にこのことだな」。
そう思ったことを覚えています。

A君がいたから、子どもたちは、

A君を参加させるために協力をしてくれました。
A君に対して思いやり溢れる接し方を学んでいきました。
違いを受け入れ、人として器が大きな人間に育っていきました。

保護者会が終わった後も、A君のお母さんの周りには、たくさんのお母さん方が集まり、1年間のあれこれを語り合う姿が。

当時は(現在もですが)発達障害のことを打ち明けるのは、かなり勇気がいる行為だったはずです。そのことに心動かされたたくさんの味方が、A君にも、A君の保護者にも集まっているように感じ、とても温かい気持ちになったことを覚えています。


1年生の子どもたちに行っていたこと

ここからは、1年生の担任を務めていた1年間で、子どもたちや保護者の方々に喜ばれたこと、A君に行っていたことを書いていきます。


🟧紙飛行機を渡す

筆者は毎日、子どもたちのよいところを見つけて、それを紙飛行機に書いて、子どもたちの道具箱に入れていました。

1日につき1~3枚ほどの紙飛行機です。

すると、子どもたちは毎朝「今日は紙飛行機入っているかな~」とワクワクした状態で道具箱を開けることになります。

入っていたら

「やったー」

の歓声が。

これらを、全員が均等にもらえるように調整しながら渡していたのです。

この子どもたちが5年生の時に、筆者は学校を異動することになったのですが、複数の保護者から「今でも先生にもらった紙飛行機は取ってあります」と声をかけていもらったことを覚えています。


🟧一筆箋を渡す

紙飛行機が子どもに向けたメッセージなら、一筆箋は保護者に渡す手紙です。

子どもたちの素晴らしい行動と美点を一筆箋という短い手紙に書き、
「お父さん、お母さんに渡してね」と
連絡帳に挟んでいました。

これは、とても光った行動が見られた時に行っていたと思います。

家庭訪問や個人懇談の時に、「冷蔵庫に貼ってあります」とご報告をたくさんもらったのですが、どこの家庭も、何故か冷蔵庫でした笑


🟧誕生日カードを渡す

これは1年生だからこそやった実践なのですが、子どもたちに好きな絵やキャラクターを聞き、それを筆者が絵にかいて、誕生日カードを作っていました。

流石に1年生の友達からメッセージを書いてもらうことは難しいので、筆者だけが作ったものでしたが、どの子どもも、自分の誕生日にカードがもらえることをとても楽しみにしてくれていたことは、しっかりと記憶に刻まれています。


🟧百人一首

クラスがまとまる1つの助けとなったのが百人一首です。

ただの百人一首ではなく、「五色百人一首」といって、20枚ごとに色が分かれており、1日20枚だけ行うというものです。1回につき5分程度で終わります。

「1年生に百人一首は難しいかな・・・」と思いながらも、NPOの方々に薦められて試してみると、見事に子どもたちはドハマりしました。

毎日のように「百人一首コール」が起き、3学期にはクラスの半分以上が百首全てを覚えてしまったのです。

保護者や教師から「すごいね!」と言われ、子どもたちも自信がついていったのだと思います。

A君も、教師と一対一という形で楽しんで参加するようになっていきました。


🟧A君に対して行ったこと

A君に対して行ったことを厳選してまとめると

▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢

❶とにかくできるレベルに調整する
❷本人に選択させる
❸120%の法則を使う
❹体を動かす

▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢

といったことが中心となります。


❶とにかくできるレベルに調整する

A君が1ミリでもいいから成功体験を積めるように、課題のレベルや量を調整しました。

赤鉛筆で薄く書き、なぞるだけにする。
グレーゾーンの子どもに対応できる課題を用意する。

といった工夫で成功体験を1つでも多く積ませていたと思います。


❷本人に選択させる

これは、選択肢を用意し、本人に自己決定させるということです。

床に寝てしまっているときも、
「5分で座りますか、10分で座りますか」
などの選択肢を示し、タイマーを設定させ、鳴るまでは床に寝ていることも許可していました。


❸120%の法則を使う

この法則は、心理的なテクニックです。

本当は5問やらせたくても、「5問やろう」と言うと、5問が多いと感じるのか、「嫌だ」という反応が返ってきます。

ですので、「10問やろう」と言い、「嫌だ」という反応を引き出します。
「じゃあ何問ならできる?」と聞くと、「3問」と返ってきます。
「じゃあ、仕方がないから、真ん中の5問にしよう。」と持っていくのです。

すると、不思議と「5問が軽く」感じます。
筆者は、これも立派な意欲面への支援だと思い、行っていました。


❹体を動かす

A君はじっとしている時は床に寝ていたりするのですが、覚醒してくると教室中を授業中にフラフラ歩く行動が見られました。

今考えると、これは感覚刺激を求めていたと分かるのですが、当時は多動だとも捉えていたので、

「トイレの扉まで行ってタッチしたら戻っておいで」

と動くことを肯定し、代替え行動を行わせていました。

そして戻ってきたときに抱きしめる。

当時は分からなかったのですが、今考えると、これがA君にとっての落ち着く感覚刺激になっていたのでしょう。


まとめ

A君は、2年生は通常学級に進級しましたが、その時のクラスで、なかなかリズムをつかむことができず、3年生には特別支援学級に異動しました。

筆者も、その時の担任の先生と色々話し合ったのですが、力及ばす・・・

ただ、特別支援学級に入ってからのA君はみるみる成長し、学芸会などの大舞台でも、堂々と演技をこなすようになっていき、たくましく成長していったことは、心からうれしかったです。

A君とA君の保護者との関係は、筆者が異動するまで続き、筆者が異動する年に、(どこでその裏情報を聞きつけたのか分かりませんが)花束をプレゼントしてくれたことは大切な大切な思い出としてしまってあります。

若い教師は未熟です。
ですが、未熟で苦労するからこそ、濃密で、忘れがたい思い出を作ることができるとも言えます。

そのような時間は、いつまで経っても色褪せず、輝いています。

若い先生と過ごした1年間が、「人生を彩る1つのパズルピース」となった子どもたちや保護者が一人でも多くいたならば、駆け出しの教師にとって、これ以上に幸福なことはないなと思います。

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