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グリム童話の象徴性

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どうぞ、ごゆるりとお過ごしください。


童話。

幼い頃に親に読み聞かせてもらい、
その世界観に夢中になったことがある人も多いはず。

なぜ、
人間は童話に夢中になるのでしょうか。

童話というものは、
ただの人を楽しませる物語として存在するのではなく、

残るべくして
残ってきたもの
でもあると聞きます。

人類、または民族共通の
集合的な無意識に該当する話だからこそ、

何百年という時を経ても
現代にまで語り継がれている。

そこには、
人間が普遍的に抱えるような
テーマ
が存在する。

だから、時代を越えても
人びとの心を打つのでしょう。

童話を読んでいれば、
人間というものの光と陰の部分が
分かってしまうと言っても過言ではない。

今回は、グリム童話を
臨床心理的に解釈していく記事にしていきます。

楽しんでいただけると幸いです。



死を忘れさせている現代の童話

童話や昔話には、
人間の深層心理が描かれています。

例えば、浦島太郎は
無意識界への旅を描いた作品であると言われます。

臨床心理では、
海は無意識を象徴する。

浦島太郎の詳しい話はここでは省きますが、
昔話や童話の中でも
殊更過激だと言われるのがグリム童話です。

現代の童話や昔話では描かれないような
残酷な死や、虐殺が描かれている。

子どもの教育に良くないということで、
物語を改変して今に至ったのでしょう。

ただ、そのように物語を改変していくと
ある問題が生じます。

人間の裏の部分に蓋をしてしまうのですから、
人間は美しいだけの生き物であると
錯覚しがちになってしまうということ。

そして、
現実的な死を物語から取り除くほど、
死に現実感が宿らなくなっていきます。

葬式という文化すら、
死というものを直接的に見ずに、
美しいものに変えていると捉えることができる。

そのような環境で育てば、
生きている間、
人々は死を忘れるようになっていく。

上記のような意味でも、
グリム童話は人間を教える上で
よき教材だったのかもしれませんね。


お菓子の家が象徴するもの

グリム童話の代表格であるお話に、
「ヘンデルとグレーテル」があります。

日本の昔話でもそうですが、
母性の二面性というものが
童話では描かれているものが多い。

母性は全てを包み込み受容してくれる一方で、
相手を呑み込もうとする一面も存在する。

子どもを愛するのですが、
心配したり、留まってほしいと思うあまり、
子どもが巣立つのを引き留めようとする特性です。

日本で言えば、
山姥が二面性をよく表しています。

表は菩薩のように優しいのですが、
見てはいけない一面を覗いてしまうと、
山をも飲み込む鬼になるといことですね。

さて、
日本では山姥ですが、
西洋の童話では母性の陰の部分
魔女として出現することが多いです。

「ヘンデルとグレーテル」の話も、
2人が自立していく様を描いているのですが、
お菓子の家という魔女が用意した誘惑が現れます。

これは、
過保護である母性を表している。

また、
魔女をパン焼きがまの中に入れ込んでしまう場面は、

パンを「産む」かまが、
母性の子宮を象徴しているとされています。

火は生命を変容させる意味合いをもつので、
魔女という母性の陰の部分を、
子宮の中で変容
させることで、
母性を肯定的なものへ変化させていると解釈できる。

そう考えてみると、
物語というものは
幾重にも深い層の意味が詰まっているのかもしれません。

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