EUのESG報告義務、対象企業が80%減ったーーでは刑事リスクも減ったのか
2026年3月、EUは決定的な変更を施行した。
「オムニバスI指令(Directive 2026/470)」——これが、ESGをめぐる法的地形を塗り替えた文書の名称だ。2026年2月26日にEU官報に掲載され、同年3月18日に発効したこの指令により、CSRDの対象企業は一夜にして約80%削減された。従来は「従業員250人超・売上高5,000万ユーロ超・総資産2,500万ユーロ超」のうち2つを満たせば報告義務が生じていたが、改正後は「従業員1,000人超かつ売上高4億5,000万ユーロ超」の両方を満たす企業のみが対象となる。
この数字を見て、「ESG規制は退潮した」と読んだ人は少なくない。だが、それは構造を誤読している。
「対象が減った」と「リスクが減った」は別の話だ
規制の対象範囲と刑事執行の論理は、まったく異なる回路で動いている。
オムニバス改革は、行政報告義務の簡素化だ。書類を出す企業の数を減らすことで、EUは競争力強化を狙った。実際、この改革はドラギ報告書やレッタ報告書が指摘した「欧州企業の過剰な規制負担」への政治的応答として生まれている。
しかし、刑事責任の根拠はCSRD単体ではない。既存の証券法、投資家保護法、各国刑法の詐欺・不正表示規定——これらはオムニバス改革によって一行も変わっていない。「嘘をついてはならない」という原則は、報告義務の有無とは独立して存在する。
DWS事件が証明したこと
2025年4月、フランクフルト検察庁はドイツ銀行の資産運用部門DWSに対し、2,700万ドル(約25億円)の制裁金支払いで刑事捜査を終結させた。
DWSの「罪」は何だったか。財務諸表の改ざんでも、横領でもない。「ESGのリーダーである」「ESGは我々のDNAだ」という外部向けコミュニケーションが、実態と乖離していたというものだ。検察は、こうした発言が「市場に誤った印象を与えた」と認定した。
これは些細な出来事ではない。グリーンウォッシングが、会計不正と同じ刑事ロジックで処理されたはじめての大型事例だ。しかも、この捜査は2022年の家宅捜索から始まり、2023年には米SECが1,900万ドルの制裁金を科し、欧米両大陸で同一の行為が同時に刑事・行政上の問題として処理された。
なぜ「対象が絞られた」ことが、リスクを高めるのか
ここに逆説がある。
CSRDの対象が「従業員1,000人超・売上高4億5,000万ユーロ超」に絞られたということは、残った企業は「知らなかった」「小さいから対応できなかった」という言い訳が通じなくなったということでもある。大企業だけが残るということは、経営資源も、法務体制も、情報収集能力も十分にあるとみなされる。
取締役会がESG開示を承認しているという事実も重い。承認した以上、「内容を把握していなかった」は通じない。法律論的に言えば、内部のデューデリジェンス結果や内部告発と矛盾する開示を公表し続けた場合、故意または重過失が認定される可能性がある。
各国の執行当局は、今まさに動いている
Lexologyが2026年1月に公表したレポートによれば、ドイツではBaFinが資産運用会社に対して重大なペナルティを科し、検察もグリーンウォッシングに関連する複数の捜査を進めている。フランスでは、A&Oシアーマンの2026年調査報告が「EUのESG規制が後退しても、フランスでは揺り戻しはない」と明記し、AMF(金融市場庁)がグリーンウォッシング摘発を最優先課題に置き続けていることを確認している。イタリアでは2025年、物流大手の子会社に4,600万ユーロの資産凍結が行われた。ベルギーは2024年に「エコサイド罪」を新設した。
これらはCSRD改正の前後で変わらず進行している動きだ。
日本在住の外国人・海外資産保有者が見ておくべき論点
EU市場に関与する企業の株式を保有している、あるいはそうした企業の取締役や上級管理職に就いている場合、このリスクは対岸の話ではない。
特に注意が必要なのは、「自分の会社はCSRDの対象外になった」という安心感だ。報告義務が消えることと、虚偽表示の責任が消えることは別問題だ。対象外になったとしても、自発的にESGを主張するマーケティングや投資家向けIRは、詐欺的表示として問われうる。DWSが問われたのも、開示義務の違反ではなく、外部向けコミュニケーションの虚偽だった。
「規制が緩んだ」という読みは、半分正しく、半分危険だ。EUは行政コストを下げた。しかし刑事リスクの地図は、むしろ鮮明になっている。
参考記事:
https://financialregulations.eu/blog/eu-omnibus-csrd-simplification-2026https://viewpoint.pwc.com/gx/en/pwc/in-briefs/ib_int202527.html
https://www.lexology.com/library/detail.aspx?g=6a2c2fec-e619-4db8-80f0-de090b180f64 https://www.aoshearman.com/en/insights/cross-border-white-collar-crime-and-investigations-review-2026/french-prosecutors-step-up-enforcement-of-financial-political-and-esg-related-misconduct
