そげん泣かんでよかたい。

母親が死んだのは
長女が0歳のとき。

長女の年齢で
お母さんが死んでもう二十七年経つのだなと思う。

母親が肺がんの末期の診断を受けてから
母親が死んでしまうまで
そのほとんどの時間を一緒に過ごした。

元夫がそれを黙認してくれたからであり
長女がまだ赤ちゃんからだったからであり
今思えばなんてしあわせな時間だっただろうと思う。

男男女、の三人きょうだいで
わたしが生まれたとき母親は
「女の子を育てるのがこんなに楽だとは」
と思ったらしい。

おっぱいは七歳までもらっていたし
叱られた記憶はほとんどないし

なにより
わたしが「悪いことをするはずがない」
という母親のわたしへの信頼感みたいなものは
こちらが不安になるくらい強い。

自分に四人の子どもたちがいるいま、
母親がわたしを信じてくれたくらいに
わたしも自分の子どもたちを信じていいんだと思う。

母親は肺がんの診断を受けた小さな個人病院に入院した。
お見舞いに行ったわたしは前夜大泣きして目を腫らしていた。
そして母親の前でもまた泣いてしまった。

「お母さんが死んでしまう」
そう言いながら本人の前で顔をゆがめて泣いた。

母親は困った顔をして言う。
「恭ちゃんのことは心配やけどでもしょうがなかたい。
ほれ。恭ちゃん、そげん泣かんでよかたい」

母親が死ぬのが先か
長女が生まれるのが先か。

そんな状況の中長女が生まれた。
よかった。長女が先だった。

一度、長女と共に夫の元に戻り、
しばらくして父親から電話があった。

「お母さんの恭ば呼びよらすけん、帰ってきてくれんね」。

わたしは母親に呼ばれたことをよろこび、
そして母親はもうすぐ死んでしまうのだろうなと予感した。

ずっと太りすぎを気にしてた母親が
げっそりと痩せてしまっていた。

個人病院の病室が薄汚くて居心地が悪くて
自宅に戻ってきてもらった。

朝、長女を抱っこして母親に挨拶。
「おはよう」

夜、長女を抱っこして母親に挨拶。
「おやすみなさい」

朝は今日もまた一日、苦しむ母親を見なければならないと思い、
夜は今夜こそ母親は死んでしまうかもしれないと思う毎日。

死に向かってともにに歩く。

水の溜まった肺は相当痛むらしく
夜も眠れないらしい。

母親が茶化したように言う。
「死ぬ前にこげん痛か目にあうとは思わんやった。
死ぬとも楽じゃなかばい」。

主治医にモルヒネを処方してもらう。
「母親のがんが治るとは本人も家族も思ってない。
せめて今の苦しみを軽減させてあげたい」

母親の意識は徐々に混濁していき
死ぬ前の三日間くらいは陸に上げられた魚のように
ただ苦しそうに息をし続けるようになった。

付き添ってくれているヘルパーさんは眠らずにそばについてくれた。

「息をしてない」
そう言いにきてくれたのは夜中の日付の変わる頃だった。

母親は確かにもう魚のような息をしておらず
静かなその顔を見た時わたしは心底、ほっとした。

母親はもう苦しんでいない。
よかった。ああ本当によかった。

あれからもう二十七年も経つ。
赤ちゃんだった長女には今年、子どもが生まれた。

最近、気がついた。

わたしはわたしの人生の中で
母親以上に好きな人がいない。

結婚している時は
元夫を母親以上に好きだと思った。

「おかあさーん」が元夫の名前になるのかしら
とも思った。
残念ながらそれは幻想で元夫の名前を呼んだことは一度もない。

困った時つらい時へこんでいる時
「おかあさーん!」
心で叫びながら泣いてしまう。

会いたくて会いたくて会いたくて
幽霊でいいから出てきてと願う。

会いたくてたまらなくて
ベッドの中でひたすら泣きじゃくる。

そんな日が今でもある。

恭ちゃんはそんげん遠か所でひとりでよう頑張りよるたい。
恭ちゃん、そげん泣かんでよかたい。
恭太ちゃん、恭ちゃん、恭ちゃん。

わたしにはかつて母親がひとりいた。

というそのことが
今日のわたしを支えている。

死んだらお母さんに再会できることに気づいた。
死ぬことが楽しみになった。

お母さん、どうもありがとう。

(1615文字)



母親とわたし。




#モノカキングダム2025


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