畑は、答えを急がない
農の余白
畑を始めた理由は、食育になると思ったから。
子どもに野菜を収穫する体験や、
安心して食べられる野菜に触れてほしかった。
スーパーでは袋に入った野菜が当たり前。
だから、
土の中から野菜が出てくる驚きや、
季節を感じる時間を一緒に味わいたかった。
ミニトマトやイチゴ、
さつまいもを収穫した時も、
「すごい!」
「かわいい!」
「美味しそう!」
そんな純粋な言葉が聞けたことは、
自分にとって何より価値のある時間だった。
一緒に種をまき、
苗を植え、
野菜を育てる。
食育という言葉だけでは表せない、
自然とつながる時間が生まれた。
でも気づけば、
変わったのは子どもだけではなく、
私自身だった。
畑を始める前の私は、
効率を求めることが当たり前だった。
仕事では、
できるだけ早く。
なるべく無駄なく。
便利なものは積極的に使う。
それが普通だった。
もちろん今でも、
便利なものを否定するつもりはない。
AIもそう。
インターネットもそう。
便利になったからこそ、
助けられていることはたくさんある。
でも畑には、
効率だけでは語れない世界があった。
理屈や常識、
数字だけでは解決しない。
だからこそ、
おもしろくて奥が深い。
食との向き合い方も少しずつ変わった。
牛乳、白砂糖、油、塩、
添加物、農薬、化学肥料…。
畑を始める前は、
「〇〇は良くない。」
「〇〇が正解。」
そんなふうに、
少し白黒をつけすぎていた気がする。
でも今は、
どれも「良い」「悪い」で選ぶのではなく、
身体がどう感じるのか。
そんな視点を持てるようになった。
身体は日々、
正直に答えを出してくれている。
だから私は、
まずは両方の考え方を知る。
その上で、
自分はどちらを選ぶのか。
迷った時は、
なるべく材料が少なく、
自然に近いものを選ぶ。
……と言いたいところやけど、
好きなものや、
食べたいものを選ぶこともある。笑
それくらいの距離感が、
今の自分にはちょうどいい。
そして畑は、
土の見え方だけでなく、
生き方まで変えてくれた気がする。
最初は野菜に気をとられていた。
でも知れば知るほど、
土は自然が長い年月をかけて育ててきた財産だった。
岩が砕け、
落ち葉が積もり、
微生物が働き、
少しずつ土になっていく。
たった1cmの土ができるのに、
100年以上かかるとも言われている。
そんな時間をかけて生まれた土の上で、
私たちは野菜を育てている。
そう思うと、
土の見え方が少し変わった。
さらに驚いたのは、
見えない世界だった。
土の中では、
微生物が落ち葉や草を分解し、
野菜が吸収できる栄養へと変えている。
森には肥料袋なんて落ちていない。
肥料をまく人もいない。
それでも何百年、
何千年と命はつながってきた。
私たちは、
「何を足すか」を考えがちだけど、
自然は、
足すことよりも、
今あるものを生かしていた。
落ち葉も、
草も、
微生物も、
無駄になるものは、
ほとんどない。
その姿を見ているうちに、なんだと
思うようになった。
そして、
人間も本当は同じなのかもしれない。
気づけば、
畑から教わったことは、
野菜の育て方だけではなかった。
焦らないこと。
急がないこと。
目には見えないものを大切にすること。
そして、
答えを急ぎすぎないこと。
検索すれば、
数秒で答えが見つかる時代。
AIに聞けば、
文章も作れる時代。
便利になった今だからこそ、
時間をかけて育つものの価値を、
忘れたくないと思う。
改めて、
「余白」が大切なんやと思った。
私は、
野菜を育てていると思っていた。
でも本当は、
育てられていたのは自分だったのかもしれない。
畑は今日も、
何も言わない。
ただ静かに、
土を育て、
微生物を育て、
野菜を育てている。
その姿を見ていると、
答えは急がなくてもいい。
そんな気がしてくる。
畑は、答えを急がない。
時間は有限だから、
効率よく生きることが大切だと思っていた。
でも畑は、
無駄に見える時間の中にこそ、
大切なものがあることを教えてくれた。
先人たちが受け継いできた知恵にも、
一つひとつ意味がある。
もちろん、
見直した方がいいこともある。
結局は、バランス。
シンプルやけど、
これが一番難しい。
……なんともベタなところに着地した。笑
畑や暮らしの中で生まれた
小さな気づきを綴る連載です。
20回目まで読んでくださり、
本当にありがとうございます。
また木曜日に。
ほな、今日はこのへんで。
