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名は体を表す......わけではない場合がある ——九条ねぎを添えて——

私たち人類は,社会生活を営み他者と交流する上で,さまざまな規範・ルールに拘束される。交通ルール,取引上の法規制,学校や会社の内部規則など,私たちを拘束するルールは枚挙にいとまがない。

しかし今回は,もっと根本的なルールに焦点を当てたい。「言葉」である。

モノの名前,そしてその言葉によって表されているモノ。言語学には全然詳しくないのだが,スイスの言語学者ソシュールが定義するところによれば,いわゆる言葉の方をシニフィアンsignifiant,その言葉によって意味されるものをシニフィエsignifiéという。

日本語で「桃」と言えば,その単語はおよそピンク色の果物を表す。

この「桃」という単語と,🍑というイメージの両者は,たしかに私たちにとってはなじみ深い。すぐに両者をリンクさせることができる。

しかしそのリンクは,別に絶対的なものではない。英語圏だったらpeachという単語で言い表せる。

それに別に造語になってもいい。何か新法ができて,「🍑のことを『どげんかせんといカンナバーロ』という」みたいなルールが出来上がったっていい。

ルールの浸透には,いくぶんかの時間と大量の忍耐が必要かもしれない。浸透してしまえば,人も社会もそのように動く。初めてのおつかいでは『どげんかせんといカンナバーロ』を2個買ってくるようにことづかった幼い子が,どうしてもその名前を覚えきれず泣き出してしまう。そんな絵が思い浮かぶ。

なぜこんなことを考えたか。

それは今日見たニュースが発端だ。

京都市の農業法人「こと京都」は4月から、北海道伊達市内で京都の伝統野菜「九条ねぎ」の栽培に乗り出す。約10ヘクタールの土地を買い取り、初年度は4ヘクタールを使って約100トンの収穫を見込む。

北海道で育ったネギは果たして「九条ねぎ」たりうるか

……分かる。

いまこのタイミングで千葉県袖ケ浦市にある「東京ドイツ村」のことを考えた人もいるだろう。大学近辺のインドカレー屋で,ちょっと日本語が不自由な店員さんがいたからといってつい英語で話しかけたところ,実態はなぜかネパール人ばっかりで英語が全然通じなかったというほろにがい経験をもつ人もたくさんいるだろう。

阪神タイガースと巨人の選手が丸ごと交換したと仮定して,「阪神タイガースのユニフォームを着ている,中身が完全に巨人の選手を応援できるのか」「キミが応援しているのは,単に『阪神タイガース』という看板なのではないか」と詰め寄られた経験をもつ人も多いだろう。(そう詰め寄ってくる人には,「非現実的な仮定を持ち出すな」と逆に詰めて差し上げたい)

私も学生時代は聖護院で部屋を借りて住んでいたことがあるが,周りを見渡しても一向に畑など存在しない。民家や学生向けの諸々しかない。それなのに「聖護院かぶら」は聖護院のどこで採れ……

名は体を表すとは言うが,必ずしもそうとは限らない。

シニフィアンとシニフィエの乖離に引き裂かれる思いをする。

でも…

それでも……

言葉はある程度,信用から成り立っているではないか。

通貨と一緒だ。渋沢栄一が描かれた紙キレを人々がありがたがるのは,なにも人々が渋沢栄一のファンだからではなかろう。価値があるものだという信用があってこそ,人々は安心して渋沢栄一に浸る。

言葉も然り。

必ずしも正確でなくていい,信用がある

人々は「あんぱん」というシニフィアンから,中に餡子が入っているパンを連想することができる。

「メロンパン」という単語から,表面がザラメで覆われた,外カリッ中ふわっのパンを連想する,中にはメロンなんて少しも入っていないのに

「うぐいすパン」だって「フランスパン」だってそうだ。中にはうぐいすもフランスも入っていない,入っていなくたっていい,いや絶対に入っていない方がいい。人は「うぐいすパン」「フランスパン」はこういうものだと信用している。中にとり肉や主権国家が混入しているパンを誰も期待していない。

だから北海道産の九条ねぎだってそうだ。先人が積み重ねてきた信用がある。形状,味,用途が一緒ならええじゃないか。

だがカニカマ(カニ入り

話しが散らかってしまった。こういう時,どげんかせんといカンナバーロ🍑

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