クタクタに消耗してからが本番
受験で,長くて難解な文章に直面して辟易している方に勧めている話しがベースになっています。大学受験だと英語や現代文ですかね。あとは編入だと,なっがいなっがい課題文を読まされる問題など。
「うげぇ…」
受験勉強をしていた頃の私は,とにかく文章読解が苦手。バレーとかバドミントンでも何でも(下手くそなりに)やっていて,結構速く動くボールやシャトルでも,ちゃんと目は追いついているし視力はイイ方だった。そんな高校時代を過ごした私の目は,文章を前にするともうひとたまりもなかったものだ。
文章の上を,目がツルツルと滑ってゆく。ただ時間が過ぎてゆくだけ。
この滑りようは,「文章読解界の羽生結弦」とでも呼んでもらえれば幾分かは安堵できるものだろうが,全くそんなことはない。もはや明らかに「芸人さんの真似ごとをしても,活気ある文化祭に静寂をもたらす高校生」とでも形容すべきモンスターの所業になってしまう。
それくらい目が文字上を滑っていた。多分私の前世は氷上のペンギンか何かだったのだろう(その喩えも滑ってるョ)。

とにかく国語の点が伸びない時期がずーっと続くものだし,あんまり点数が良くないテストや模試の成績表を見続けているうちに,勉強を放り投げてしまいたくなるくらいだった。
ひらがな,カタカナ,漢字。数字。文字文字文字文字文学文字文字。
ひたすらモジに囲まれて,でも主観ではめちゃめちゃガンバって読んでいる(つもり)なのに全然分かった感じがしない。また大量の文字を目の前にする日々。
ひたすら途方に暮れる。先の見えなさにうんざりする。上手くいかないから退屈。疲弊する。しなしなに萎える。
そんな感じ。
でも今思うと,この感覚がようやくスタート地点に立った瞬間なんだなと振り返ることができる。

ぺしょぺしょになって,ようやくスタート地点に立てた。「読む」という行為にうんざりげんなりし,「もうこれ以上読みたくない」と体内からトゲトゲが噴出するような思いをして初めて,私の「読む」がスタートしたように思う。
こういう話しは,別に勉強に限った話しではない。
陸上部で長距離を走っていた時もそう。元気があり余っている時には,身体のいろんなところを必要を超えて動かして体力を浪費してしまう。フォームがグズグズになってしまう。逆に「走りすぎてヘトヘト……もう嫌やおウチにはよ帰りたい…足あがらへん…」と言っている時の方がよく走ることができる。フォームに無駄がない。
「疲れた……」と言ってから始める練習だと,自動的に無駄を省いたフォームに切り替わる。いや,ちゃんと考えてみよう。余分な体力が残っていない分,現存している貴重な体力を浪費しないように,身体も精神も無駄なく動こうとする。無駄な動きだどんどん省かれていく。そのうちに自分にとって最も省エネで動き続けられるフォームが身につく。身体がキツイ時にどんどんフォームが洗練されていく。
これだ!
プロ野球選手の話しでも,これと似た話しがあったのを覚えている。
ピッチャーの投げ込み練習。
もちろん私は野球とかド素人で,スポーツ科学に基づいた最先端で効率的な練習方法を否定する気はさらさらない。効率的な練習方法を採り入れられるに越したことはない派だ。
そして長いイニングに渡ってボールを放り続けなければならない先発ピッチャーにとって,球数制限が一大論争を巻き起こしたことも知っている。「肩は消耗品」。
そんな時流にあえて逆らって「投げ込み(たくさん球を投げる)練習は大事だ」と説いた元プロ野球選手の話しを覚えている。要約するとこんな感じか。
「体力がMAXの状態でボールを投げる機会は少ない。それよりも,投げ込み練習をしてヘトヘトになった状態で,それでも力強く投げなきゃいけないとしたら,身体が自然と無駄なく動かざるをえなくなる。そうやって自分にとって最適なフォームを身につけた。」
「疲れたー…」。それは絶望への入り口ではない(時もちゃんとある)。それは私にとって,希望のサインだった。
「文章なんて読みたくない」。そういうカリカリしたところでようやく脱力が完成する。筆者の主張のチマチマとした細かいところばっかりに目が行っていたかもしれないし,主張を整理する余裕すらなかったかもしれない。しかし辟易・うんざり・げんなりとした環境下で初めて,脱力して「読む」行為を開始することができる。
「読みたくない」という強い想いが,余計な情報をシャットアウトして筆者の主張の骨子だけを読ませるように,思考をめぐらせてゆく。

要約。ロジック。瞬間的な想像力。
これらは今まで,理性で頭を能動的に働かせて運用していく技術だと捉えられてきたように思う。でも私は違うと思う。「読みたくない」けど「読まないとどうしようもない」という強烈な板挟みの中で初めて発現する,新しいフォームだと考えている。
だからどれだけ理性を尽くしても言葉では語りきれない部分が確かにある。
こういう類いの話しは,ジョジョ第四部でも展開されているように思う。
スタンド能力「バイツァ・ダスト」が発現した経緯も,まさに絶望的な板挟みからだった。どうしようもない板挟みから逃れるために生み出された能力。
重ねて言おう。
あっ,でもマンガ系の話しはネタバレしちゃマズイんだった…あんまり掘り下げたらアカンな…
かつて週刊少年マガジンで連載されていた「さよなら絶望先生」を思い出さずにはいられない。いつも些細なことで「絶望した!」と嘆き散らかす主人公,糸色望。
アニメだと神谷浩史さんのめっちゃええ声で「絶望した!」と毎週のように叫んでいたのも,きっとのっぴきならないジレンマの中で,脱力して新たな突破口を開いている真っ最中だったのかもしれない,知らんけど。
キルケゴールの『死に至る病』の話しではないですが,だからといって毎週のように絶望しているのはどうかと思います。
おいしいモンでも食べて,友達と一緒になってキャッキャと騒いで,楽しく日々を過ごしながら。こういう条件を揃えながら,「文章に読み疲れた…」という状況を作るのがいいと思いますョ。カタチを辿るだけだとケガしますからね。
私が先週に話した方も,こういうプラスの状況がいっぱいある人です。うまく脱力した読み方に変わったと思います。

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