受験生が見落としがちな「実践知」その8
久しぶりの実践知シリーズ。
今日は,人文系(例えば哲学,歴史,語学,文学など)や社会科学系(教育,心理,法学,政治学,経済など),一般的に正解がないとされるジャンルの学習についてです。編入学試験や院試などの対策をしていて,普段から考えていることの一部です。
結果から過程が垣間見える瞬間
キャッチボール
私は全然野球をしたことがない部類の人間ですが,「キャッチボール」と言えば,おそらくだいたいの人がイメージできるかと思います。2人でキャッチボールをするときには,1つのボールを順番に投げ合う例のアレです。
私だったら最初からあさっての方向を向いて投げてしまいそうなものです。でも大抵の場合は相手に向かってちゃんとボールが飛んでいくと思います,そう信じています。
別に難易度が高い芸当でも何でもありませんから,変な話,誰にでも出来る。そういうイメージです。
でも,仮にプロ野球選手とキャッチボールをする機会があったら,どうでしょう?
いやーうらやましいですね。全然野球をかじったことのない私でも,そういう機会が与えられればホイホイとついていくと思います。知り合いにプロ野球選手がいるというような例ってなかなかありません。
だからイメージで全然構いませんので,プロ野球選手とキャッチボールをしたらどんな感じなんだろうと想像してみることにします。
あまりにもイメージしにくいなという方もいるかと思います。某赤い動画閲覧サイトで私が見た動画の例でよろしければ。かつて東海大学付属仰星高校の出身で,巨人やメジャーリーグで活躍した大投手のキャッチボールがものすごいという動画を観たことがあります。もはや遠投かと思われるほど遠い位置に立ってキャッチボール。私みたいな初心者なら普通,がんばって遠くまで飛ばそうという思いの強さを反映してか,ふわぁ~と高い山なりのボールになってしまいそうです。しかしその某大投手だと,低い球筋で,鋭くきれいなスピンが効いていて,しかもその球が失速せずに伸びてくるとか。同業者の方が「こんなことを真似できる人はめったにいない」と称賛するキャッチボール。
まぁ,動画で見た方が早いわな。
技。その裏に
先の例は大遠投でものすごいキャッチボールをやってのけた例ですが,きっと普通のキャッチボールをしても,圧巻なパフォーマンスになるんじゃないでしょうかね。
球のコントロール,スピン,ノビ,キレ,コク,旨味…。
同じ人間なのに,かくも違うものかと圧倒されるだろうと思います。きっとそのパフォーマンスができるようになった裏側では,絶え間ない必死な努力を毎日毎日積み重ねてきたに違いないと,ハッキリわかる。
「やれ」と言われたら誰だって出来るキャッチボール1つ例にとってみても,1球放ったという結果から,努力の軌跡やその卓越性が感じられる。結果からこれまでのプロセスがいかに大変なものだったかが伝わってくる。別に正確にわかるわけではありません。ただ,並々ならぬ苦労の跡や強い意志で鍛錬してきたのだろうと推察がつく。
ドーピングに人々が怒る理由
他方で野球でもそれ以外のスポーツでも,私たちは,ドーピングをした選手に対して,冷ややかな目を送ります。
なぜでしょうね。
それはきっと,上記のように人間の不断の努力でそれだけの卓越性を示すことができる人がいるのに,そういう努力なしでお手軽に卓越性だけを手にする違反者の姿勢や心構えに,非難の気持ちを抱くからでしょう。
これが入試にもあてはまる
プロ野球選手とキャッチボールをしたという空想上の例では,①ボールを投げたという結果から,②これまで積み重ねてきた尋常じゃない努力の量があることを見て取ることができ,それゆえ③その卓越性に脱帽する。しかしドーピングをすると,②が欠けているのに優れた①の結果を出すから,私たちはそれを卑怯だと非難する。
この話しは,学習にもあてはまる部分があるんじゃないかと思っています。
採点者の目線です。①受験者が書いた答案や志望理由書の記述という結果から,②これまで積み重ねてきた努力の軌跡を見て取ることができ,それゆえ③その卓越性や達成点を肯定的に評価することができる。しかし,カンニングをしたり,あるいは生成AIに丸投げしたりして,答案や志望理由書を書いたと分かれば,②が欠けているのに①の結果を出すことから,採点者はこれを卑怯だ/不適格だと非難する。

もちろんあれですよ,クイズみたいな一問一答の問題しか出ないところは知りませんよ。それに自然科学系の入試だとまた違います。冒頭でも触れたように,人文系や社会科学系の編入学試験や院試の話しです。これらの試験だと,クイズみたいな全然おもんない問題は出題されませんし,ひたすら文章をつむいで論じていく出題です。唯一無二の絶対的な解が存在するというわけではない領域の話しです。
露呈する努力の跡
②の努力って,思いのほか露呈するものです。
例えば京都大学法学部の編入学試験だと分かりやすい。言葉遣い,逡巡,着眼点,落としどころ,話しの展開…そういったところから,普段の学習の様子がハッキリと分かってしまう。面接なんてしなくても,答案は雄弁に学習者の努力の跡を語ってくれるから,分かってしまう。
生成AIは優れたツールだと思います。利用の仕方次第では,非常に優れたお供になってくれます。
しかし大抵の場合,②の努力の軌跡を全部省略して①の結果を出すことになっています。そういう利用法になっている人の方が圧倒的に多いように思います。
過程を全部スッ飛ばして,結果だけが出てくる。
だからこそ,答案や喋りという結果を見ても,その人が積み重ねてきた②の努力の軌跡が見えない。なぜ見えないかというと,過程をスッ飛ばし続けてきただけだから。
こういう話題になると,ジョジョの第五部を思い浮かべずにはいられません。あらゆる過程をスッ飛ばして,結果だけを重視する立場に与するわけにはいきません。アバッキオにゆかりのある警官もこう言っていました。
そうだな…
わたしは「結果」だけを求めてはいない
「結果」だけを求めていると 人は近道をしたがるものだ………
近道した時 真実を見失うかもしれない
やる気もしだいに失せていく
試行錯誤したり,逡巡したり,結論を用意できなくて悩んだり。そういう経験が,受験者本人の意思とは無関係に,答案や喋りで顕在化して露呈する。
そうと分かれば,クイズみたいな勉強をやめないとね。
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