悪夢遊病者(ナイトメアウォーカー)2話
①
久作は、真赤星未白(まかぼしみはく)と名乗った少女に気を取られていた。
久作(やべ、それどころじゃ)
殺意を向けていた帽子の男が、鳥籠に手を傷つけ、後退ってゆく。
帽子の男「……仕方ない」
呟くと、男の身体は突如現れた紫色の空間、ブラックホールのようなものに吸い込まれていった。
それ以降、久作はこの空間が静寂に包まれ、音がなくなったかのように感じた。
乾いた目が、命の危機に面した緊迫感と鼻から流れる血が、何もかも現実感を帯びている。
未白「逃げられちゃったぁ……」
白の着物を身につけ、腰に刀をさした少女の姿が、久作の前に降り立った。
真赤星未白。
若干赤みがかかった茶髪を三つ編みツインにして肩あたりまで伸ばし、端正な顔立ちをしている。
久作(髪の色が、瞳が、夢に出てきた……そして、隣の席の女の子)
未白「あのさ、宮野久作君だよね?」
彼女は指で、乱れた髪の毛をかき上げながら言った。
久作「同じクラスの人ですよね?」
彼女はそれを聞いて喜んだ。
未白「そうだよ! よかった、久作君、覚えてたんだ」
彼女は胸ポケットから、高級そうな生地の薔薇の花がデザインされたハンカチを取り出して、久作の鼻血を優しく拭い始めた。
背筋がじんとして、顔が熱くなる。
未白「鼻血出てるときはさ、治癒力が低くなってる証拠なんだよね」
久作「……っは⁉」
そのシチュエーションに恥辱に似た感情を覚え、彼は尻をついた。
彼女はその滑稽な姿に指を差し、目を細めて笑った。
子どもじみた笑い声が、大人っぽくて綺麗な顔とあまりにもかけ離れていて、彼の胸をますます跳ね上がらせた。
未白「あのね」
久作「はいっ!」
未白「大事な話があるの。君の中にいる『獏』の話」
久作は我に返って思い出した。道端に放置され、こちらを向いているぬいぐるみと、自分の心の中に潜む獏の力。
未白「獏は六種いてね、君の中にいるのは、『黒い獏』、悪夢を司る神様なの」
久作はもう一度ぬいぐるみを見て、生意気に話しかけてくる声を想像した。
久作「か、神様? こいつが、悪夢を司る……、神様?」
「その笑い方、うける」と、未白は腹をかかえて笑った。
未白「私は『夢魔祓い協会』東京本部のリーダーでさ、夢魔っていうのはね、悪夢から生まれた魔物で、寝ている人を殺しちゃうの。それを防ぐために協会が夢魔を祓う。だけどね、夢魔は復活するから、祓うだけではきりがない」
久作は、獏と出会った時に、植物の蔓にとりついていた、雨雲のような細長い異形を思い出した。
久作(もう認める。本当に『夢の国』は実在して、そこには『夢魔』という魔物がいて、この人たちは夢の世界から現実を守っているんだ)
未白「だけど、黒い獏の力があれば、夢魔を消滅させることができるの。だからさ、突然だけど、久作君には協会に入ってほしい」
獏「その女を信じるな」
突如、ぬいぐるみに意識を移した獏が声を上げた。
未白「なるほど、こっちに意識が移ってるわけなのね、獏……」
未白の翡翠色の瞳は真剣だった。
獏「ひょろチビ、お前殺されるぞ」
未白「久作君、お願いだから、耳塞いでて」
未白は久作の両耳を塞いだ。その袖を通じた腕の感触と温かさに触れて、久作は顔を赤くして、鼻血が流れる。
未白「あっ、ごめん」
再び久作はハンカチで鼻を拭かれる。
久作「それより、殺されるって……」
獏「僕が死ねばすべての夢魔が死滅するからだよ」
久作はぬいぐるみの方を振り向く。未白はばつの悪そうな顔をする。
獏「協会は夢魔の全滅させることが使命だ。だけど一体ずつやってりゃきりがない。だからお前の中にある僕の力、魂を殺した方が楽なんだよ」
未白「もう、静かにしててよ!」
未白はそう言って、ぬいぐるみの方に手を振り下ろした。すると銀の鳥籠のようなものが、獏の頭上に現れる。落ちて来るそれらを獏は交わす。未白はずっと手を振り下ろす。
獏「そいつが学校に来ないのも、夢魔の呪いによって昏睡状態だからだ。つまり、お前が死ねばそいつは目覚めるし、学校にも行けるってことだ。この女はそれが狙いだよ」
その時、獏が逃げ回る道路の逆側から、地響きが聞えた。
目を向けると巨大な影が近づいてきていた。
久作(なんだよ……あれ?)
久作は目を凝らして、その影が象であるということに気がついた。
未白「違う。私は殺すつもりなんてない。協会の命令は黒い獏を処分すること。だけど、隠すことだって」
久作「み、未白さん! あれ、あれ」
久作は叫んだが、地響きでかき消されたのか、未白には届かなかった。
獏のぬいぐるみは、短い腕を振りながら華麗に落下してくる鳥籠を交わしていた。
未白はそれに苦戦している様子である。
一方で地響きは強くなり、象の影は濃くなる。
獏「結界の真赤星家も落ちたもんだ」
未白「こっちは民家に結界張りながら相手してやってるから」
その民家が象に蹂躙されていく。
獏(ひょろチビ、もう充分休んだだろ。隙をついてこの女を喰らえ)
久作(お前、人殺しなんてできるわけないだろ)
獏(早くしろ! 殺されてからじゃ遅い。僕はまだ生きたいんだ)
未白「もう、久作君はどっちなの?」
久作が戸惑いを見せるとき、未白の力によって現われた籠は獏を捕まえた。しかし、獏は鳥籠を前に押し、抵抗を続ける。
未白はそれを逃がさないように力をこめるのに精一杯のようだった。
未白「あれは二つ星、象の夢魔。私の要望に応えてくれるなら、あれを倒して」
久作「……無理だって。僕はこの世界に来てからまだ一日も……」
未白「私は獏をおさえるので精一杯。手放したら何をしでかすかわからないから。だから、あなたが倒すしかない。でなければ、踏みつぶされて死んでもらう」
地響きが近づき久作の手は震えだした。
久作「死にます。もう、死ぬ予定だったんです」
泣き言を言うように久作は口に出した。
未白は困惑の表情を見せる。
久作「なんか知らないけど、こいつは父親を殺したらしい。でもその後に俺の中に力が封印したのは、父親で、なんで俺はこんな目に遭わなくちゃいけないんだって」
未白「……何をぶつぶつと」
久作「陽キャのあなたは知らないかもしないけど、俺は生きるのが辛くて、学校でもなじめなくて。でも死んで夢魔が消滅するなら、もう俺はそれでもいいって」
未白「もういい、これだから陰キャは!」
未白の怒声に久作は意表をつかれる。
未白「そんなに死にたいなら、死ねばいい! 久作君なんか大嫌い!」
夢だから、だったのか、顔のいい女子から罵声を浴びたことが原因だったのか、それはわからなかった。
しかし、その言葉は久作を動かした。
陰キャじゃねえし。
拳を握っても、まだ震えている久作を見て、未白は声を掛ける。
未白「……ここは夢の中なの。夢想力が強い方が勝つ。だから、思いっきり想像して。そして、悪夢を祓って」
久作は現実で、見たい夢を想像していたことを思い出した。
未白「あと、そんなに学校が辛いならさ、夢魔が全滅して、私が健康になったら、一緒に学校行こうよ」
それを聞いた途端、久作は目の色は変わった。
そして、彼は巨大な象の夢魔に向かって走りだした。
夢特有の飛ぶような感覚で、軽々しく走っていた。
未白(跳躍と浮遊。どんだけ明晰夢に慣れてんの⁉)
未白は引くような顔をする。
獏はもう無駄だと悟ったのか、抵抗するのをやめ、その場に座り込み久作の方を振り返った。
久作(今までずっと、現実を充実させて生きている人間を恨んでた。だけど、本当は自分もそうなりたかったんだ)
象へ近づくと、久作は足を曲げ、力を込めた。
久作(だから夢の中で、夢の国で、夢魔全滅させて、未白さんの呪いといて、一緒に学校に行きたい。そして、)
象の夢魔の鼻に向かって、久作は跳躍する。
隣に座る未白。笑いながら、昼休みに会話をする。友達が周りにいっぱいいる。
久作「夢以外でもリア充になってやる!」
彼は叫びながら、拳を振るった。
その拳には獏の口が顕現し、象の半分を喰らった。
下半身から煙のようなものが溢れ出て、象の夢魔はほろほろと塵となって消えていく。
未白「久作君!」
着地に失敗した久作に向かって、拘束したぬいぐるみを抱えて未白が走ってくる。
未白「大丈夫……?」
久作「……俺は殺されるんですか?」
久作を見おろしながら、未白は話し始めた。
未白「夢の国を悪夢に変えるのは、夢魔だけじゃない。夢の国のしくみを利用し、現実に害を与えようとする夢テロリスト。彼らを、黒い獏はおびきよせることができる」
ふとした瞬間、彼女の手は久作の手を包んでいた。
未白「協会は全ての人間が吉夢をみて眠れることを目標としていてね、協会が崇める吉夢を司る神、『白い獏』は現在、夢テロリストの手にわたり封印されてしまったの。それを取り戻すには、黒い獏、久作君の力が必要なの」
頬を赤らめて彼は未白の顔を見つめる。
未白「だから、私たちに協力して、夢テロリストから白い漠を取り返してほしいの。そして……」
目に映る世界が、夢の世界が一変した気がした。
未白「この悪夢を終わらせてほしいの」
楽しくない学校生活。
死にたいと溢れる日常。
家族のいない寂しさ。
つまんない人生。
何度も否定してきた現実。
非リア充。
でも……夢の国でなら。
久作「僕は協会に入って、リア充になります」
未白「ありがとう、久作くん」
未白は目を細めて、輝かしい笑顔を見せた。
久作(やべえ、改めて見るとめっちゃ可愛いな。緊張がとれねえ)
未白「それじゃあね、これから館に案内するね……」
彼女が説明する声が聞こえないくらい、興奮が打ち続いていた。
久作「もう一度、確認したいんだけど……いい、ですか?」
未白「もちろん」
久作「これって、夢じゃないよな……」
彼女は微笑んだ。
未白「ええ、夢じゃないわ」
