第5話「記憶少ない小学生時代ー孤独といじめ】
小学生時代から高校まで、わたしの記憶は極度に少ない。
周りの人はあれやこれやと学生時代の話をするけれど、わたしが覚えているのは、ここに書くものがほとんどという状態。
後から、これが「乖離(カイリ)」していた可能性がある時期だと気がついた。
気づいたのは、46歳以降なので、かなり長い時間がかかった。

祖母は、わたしにとにかく勉強をしっかりするようにと執拗に言っていた。
体が弱いから、大学くらいは出なければいけないと思っていたようだ。
ちゃんと勉強しなければ、殴られるので拒否権はない。
祖母は、戦争で小学校しか出られず、自分に「学」がないから、ひどい人生しか選べないのだと思ってもいた。それに加え、4人の子供たちもみな高校に行っていない。
長男はかなり賢かったようだが、家が貧しいからすぐに働くと言ったらしい。
わたしの母の長女と次女は、勉強も出来ず学校も逃げ回ってサボっていたようで、長女はそのままスナックなどで働き、次女は、美容師学校に行き免許を取った。
三女は……わたしから見てもかなり可哀想だ。
体も弱く、勉強が全くできない。そして何より、異様にネガティブで暗かった。そのまま、石材店や家の家事手伝いをしていた。
今考えると、この4人の父親がひどい人間だった影響が大きいのではないかと思う。
昔ながらの体罰式の育児も。
わたしは、家に帰っても勉強をし、ひたすら「いい子」であるように過度な躾をされていた。
テストが100点ではないと、祖母の顔が曇る。
わたしは、自分のせいで悲しませたと感じた。
たまたま勉強は、苦労なくいい点数が取れ、おとなしくいい子だった。
大人の言うことは何でも聞くのだから、学校の先生からも可愛がられたし、よく見本にされた。
そういうことが多くなると、決まっていじめが起き始める。

中心にいつも意地悪な吊り目のC子がいて、周りに数人の女子がいた。
ぽっちゃり体型だったからほとんど体型いじり。
小学2年生だった。
わたしは気の強さもあり、言われた時には言い返し、くってかかっていた。
ある日、隣の男の子が
「いじめる会、できてるよ。あべと話したらダメだって言われてる」とこっそり教えてくれた。
仲良くしていた賢い子だった。
これをわたしに伝えるのは、勇気が必要だったと思う。
今でも、感謝している。

そのことを家に帰って、祖母に何となく話した翌日、学校に行くと大変なことになった。
その時の女性教師は、怒るとかなり怖い先生。
チンピラのような雰囲気もあった。
昭和でまだ体罰も当たり前だった。
「あべをいじめたやつ!!前に出てこい!!」と怒鳴り、教壇横に正座させた。
その時、4〜5人が前に出たと思う。
先生は、怒鳴り散らし正座した足を次々に蹴っていった。
どうしていじめたか、という問いに「わからない」と言っていたのを覚えている。
わたしの机の横にきて、「ごめんなさい」と言ったが、それ以外の選択肢もないだろうと思う。
いじめの中心になったC子は、大学が同じ校舎だったが、やはりまた遠くからわたしを馬鹿にしていた。
人はそう簡単に変わらないんだと確信した一件。
ましてや怒鳴られたくらいで変わるのなら、みんないい子になっているのだから。
その後は、大きないじめはなかったが、女子からの無視や体型いじりはしょっちゅうあった。
それよりも辛かったのは、「お父さんの絵」を父の日に書くこと。
正直、自分が何を書いたのかも覚えていないが、その時の胸の真ん中が冷たく、穴が開くような苦しさは今でも覚えている。

周りの友達には大体、両親、または母親がいる。
「お父さんがねー、海に連れて行ってくれたの!」
「ママとパパと弟で、遊園地に行った!楽しかったー!」
わたしは、その時どうしていたんだろう。
家族で出かけるのは、墓場ばかりだし、楽しい話もない。
小学2年生あたりの作文で、うちのおじいちゃんの様子を書いてしまったことがある。
お酒を飲んで、暴れて、ひっくりがえって「悪魔がいる!」と叫んでいた、という内容のもの。
ふんどし丸出しで、壁付近で怯える姿。
その目の異様さ。
アルコールによる幻覚だったのだろう。
周りの子供や先生は、どう思ったのだろうか。
家で見られるのは、暴言や暴力。
誰かの悪口や批判。愚痴。
絶えない争い。
苦しむ祖母の姿と、苦しめる人たちの姿。
わたしの母親も含むひどい人間たちの醜態。
わたしの耳が、今も耳鳴りや音量の調節がうまくいかないのは、この影響が強そうだ。
わたしはその中で、ひたすら聞き役になり、祖母を自分が助けなければいけないと、思い込んだ。
ヤングケアラーとしても生きるようになっていた。
「そんなことしたら、おばあちゃんが可哀想だよ!」と言っても、何かしらの依存症を持った大人が、態度を変えることなどない。
それはいつしか、自分の全てを犠牲にしても、人の喜びや欲求に応える癖へと変わった。
今でもたまに顔を出すことがある。
両親がいない自分に、たまに追い打ちをかける嫌なイベントもあった。
わたしは、よく高熱を出したので、緊急外来に行った。
看護師が、「お母さんは?」と聞いた時、わたしは子供だったので
「いません。」と答えた。
看護師は、ものすごい形相になり、
「親がいない訳ないでしょ!嘘つかないの!」と怒鳴った。
その後、腕に注射されたが、経験したことのないスピードで押し込まれ、肘近くまで腫れ上がった。
祖母は、腫れ上がった腕をタオルで冷やしながら、
「○○科の看護婦は気が強いからね…。」とぼそっとわたしに話しただけだった。

「嘘をつくな」と厳しく育てられて、少しでも違うことを言うとボコボコに殴られ続ける。
本当のことを言っても、信じてもらえないし、助けてももらえない。
きっと、普通と違う家庭で育った人は、こんな理不尽をひたすら重ね、
人を同じように攻撃するようになったり、逆に内にこもり、何らかの精神疾患を引き起こすのだろう。
わたしが子供の時に求められていた「こうあるべき」は、人生に悪影響を及ぼすものばかりだ。
大人にとって都合のいい子は、将来役に立たない。
体罰も。
勉強を押し付けることも。
養育者は、もちろん「その子のタメだ」と必死になっているのはわかる。
だけど、子供はどこかで、心身を壊してしまうのだから。
そして、よく言われた。
「育ててもらったんだから、感謝するべきだよ」
それは、もちろん。
感謝という言葉で収まらない気持ちがある。自分の人生を祖母のために使おうとしていたのだから。
でもそれは……第3者が軽はずみにするべきではないアドバイスだ。
深く共感した人ほど、軽はずみなことは言わないものだ。

今思うと、3年生くらいの時に公園でたまに遊んでくれたお兄さんが大好きで、追いかけ回してキックしたりしていたのも、完全に愛着の問題だったんだと思う。
大人になって、子供と関わる仕事をしたことがあるが、わたしと同じような距離が取れない子や大人に暴力や暴言をする子供はとても多い。
兄弟がいる場合は、そのたちみんなに同じような攻撃性などがある。
家庭の問題。
これはとても難しいものだ。
虐待まではいかない小さな人格否定、毎日の孤独感、色々なものが、1人の人間を生きられなくする。
正直、今でも辛さは残っている。
本当は人と仲良くしたいが、そうするとわたしはベタベタするくらい近寄りたい。
日々近寄りたいのを、必死で頭でストップしてさせている。
近寄りすぎたら、つい離れようとしてしまう。
自分がいい距離を取れる自信がないから。
いつか、何も気にせずに甘えてみたいけれど、きっとそう思いながら、この世界を終わるのかもしれない。
もしくは、それ以外に何かを見つけられたら、それはわたしの人生で最もしたかったことなのかもしれない。
さらに、おかしな距離で仲良くなった人は、相手も適切な距離を取れない人間だと言うことが、分かった。
モラハラ、パワハラ、何かの依存症、わたしを利用したい人ばかりになる。
だから、自分が程よい距離を持つことは、自分自身のしあわせな生活に直結すると最近はよく理解している。
小学生時代には自覚できていなかった孤独感、
この後、自分でどうすることもできない大きさに広がっていくことになる。
第5話、読んでくださりありがとうございます!
重い気持ちが残っていたら、まずは飲み物でも飲んで気分転換してください。
「これはわたしの出来事ではない」とはっきりした境界線を引きましょう。
このように、人の人生を読んで体験することは、それを通して自分の人生を客観的に考える最短かつ最善の方法でもあります。
自分は、何を思ったか。
何を悲しく感じ、何に怒り、何を思い出したのか。
そう言ったことをひとつひとつ自分の栄養にしていくことで、人生は鮮明さと豊かさを取り戻していきます。
これが、今52歳になってわたしが体得したことのひとつです。
これから、暑い季節になります。
みなさんが少しでも体調よく過ごせますよう心から願っています。
