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正月の遊び①(正月の遊びは、なぜ生まれたのか──日本人は「何もしない時間」を遊びに変えた)

正月には、
たくさんの遊びがあります。

凧上げ。
こま回し。
カルタ。
百人一首。
福笑い。
羽子板。

どれも、
誰もが一度は触れたことのある遊びです。

けれど、
それらを見つめ直すと、
ひとつの不思議に気づきます。

正月の遊びには、
急ぐものがありません。

勝ち負けはあっても、
急かされる空気はない。

うまくできなくても、
叱られない。

ただ、
そこに時間が流れている。



正月は「間」の時間だった

正月は、
働く時間ではありませんでした。

戦う時間でも、
競う時間でもありません。

正月は、
間(ま)の時間
でした。

何かを始める前の、
何かが終わったあとの、
ゆっくりと呼吸するための時間。

だからこそ、
正月の遊びは、
速さも、成果も、効率も
求めなかったのです。



遊びは、暇つぶしではなかった

私たちはつい、
遊びを「暇つぶし」と
考えてしまいます。

けれど、
正月の遊びは違いました。

それは、

・家族が同じ場所に集まり
・同じ空気を吸い
・同じ時間を共有する

ための、
文化装置 でした。

遊ぶことが目的ではなく、
一緒に過ごすことが目的。

だから、
正月の遊びは
どれも簡単で、
どれもやさしい。



子どもと大人の境目が消える時間

正月の遊びには、
年齢の差がありません。

凧は、
子どもも大人も空を見上げます。

こまは、
うまく回れば一緒に喜び、
倒れれば一緒に笑う。

カルタでは、
反射神経で
大人が負けることもある。

そこには、
教える人も、教えられる人もいない。

ただ、
同じ時間を生きている
人たちがいるだけです。



正月の遊びは、人生の練習だった

正月の遊びを
よく見てみると、
人生そのものが
そこにあります。

回るもの。
落ちるもの。
外れるもの。
ずれるもの。
取り損ねるもの。

けれど、
それを誰も責めない。

失敗しても、
笑って次へ進む。

正月の遊びは、
人生をやさしく練習する場
でもあったのです。



何もしない時間を、怖がらなかった

現代の私たちは、
何もしていない時間を
少し怖がります。

役に立たない。
成果がない。
生産性がない。

けれど、
昔の日本人は違いました。

何もしない時間を、
丁寧に守りました。

そして、
その時間に
遊びを置いた。

正月の遊びは、
時間を埋めるためではなく、
時間を味わうために
生まれたのです。



正月の遊びは、心の居場所だった

正月の遊びがあったから、
人は、
正月という「間」を
持て余さずに済みました。

忙しさから離れ、
責任から少し距離を取り、
ただ笑い、
ただ見上げ、
ただ並ぶ。

正月の遊びは、
心の居場所でした。



このあと、
ひとつひとつの遊びを、
順番に見つめていきます。

凧上げ。
こま回し。
カルタ。
百人一首。
福笑い。
羽子板。

それぞれの遊びが、
どんな願いを持ち、
どんな生き方を
静かに教えてくれているのか。

ゆっくり、
辿っていきましょう。



正月の遊びは、
懐かしいものではありません。

いまの私たちの心にも、
そっと必要な文化
です。



次回は、
「凧上げ」から書いていきます。

空を見上げる遊びが、
何を教えてくれていたのか。

また一緒に、
縁側に座るような気持ちで
読んでいただけたら嬉しいです。

志書実現メソッド ワタナベキョウザン
https://4zelc.hp.peraichi.com

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