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正月の遊び⑧(正月の遊びは、人生の縮図だった)

正月の遊びを、ひとつずつ見つめてきました。
凧上げ。こま回し。カルタ。百人一首。福笑い。羽子板。
どれも、懐かしい遊びです。

意味をたどっていくと、ただの遊びではないことが見えてきました。


●空を見ること
凧上げは、空を見る遊びでした。
高く飛ばそうとしながら、糸で地面とつながっている。

夢と現実のあいだで、人は生きている。
凧は、それを静かに教えてくれました。


●回り続けること
こま回しは、回り続ける遊びでした。
倒れても、また立てて回す。
速さよりも、美しさと持続。

人生も、そんなふうに回ればいいと、こまは語っていました。


●言葉と出会うこと
カルタは、言葉と身体がひとつになる遊びでした。
百人一首は、千年の言葉と今の自分が出会う遊びでした。

言葉は、読むものではなく、受け取るもの。
遊びの中で、言葉は生きていました。


●不完全を笑うこと
福笑いは、不完全を祝う遊びでした。
ずれている顔を見て、みんなで笑う。
正しさよりも、温かさを選ぶ文化。

そこに、福が宿っていました。


●音で祓うこと
羽子板は、音で邪気を祓う遊びでした。
勝つためではなく、場を清めるために打つ。
笑いと音で、空気を整える。

祓いは、怖いものではなく、やさしいものでした。


●すべての遊びが語っていたこと
こうして並べてみると、正月の遊びは、すべて同じことを語っていました。

急がなくていい。完璧でなくていい。勝たなくてもいい。続ければいい。笑えればいい。
そして、一緒にいればいい。


●正月の遊びは生き方の練習だった
正月の遊びは、子どものためだけのものではありませんでした。
大人が大人に戻るための時間。
社会の役割を脱ぎ、肩書きを外し、ただ一人の人としてそこに座る時間。

正月の遊びは、人生をやさしく練習する場所だったのです。


●なぜ、正月だったのか
それは、一年のはじまりだからです。
新しく始まる前に、どう生きるかを遊びの中で思い出す。

正月の遊びは、人生の説明書ではなく、人生の感触でした。


●正月の遊びは今も生きている
これらの遊びは、消えていません。
形を変え、場所を変え、人の心の中で今も生きています。

そして、私たちがこうして思い出すことで、また息を吹き返します。


●正月の遊びは人生の縮図でした
縮図だけでは、人生は語れません。
縮図の外側には、まだ語られていない小さな遊びたちが、静かに残っています。


●“余白”に残った遊びたち
主役にはならなかったけれど、心には深く残っている遊びたち。
正月の縁側に、まだ残っている時間があります。
その少し静かな場所へ移っただけ。
その余白のその静かな遊びたちを、
次回からそっと拾い上げていきます。

志書実現メソッド ワタナベキョウザン
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