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田植え⑤(実りはみんなで支えていた)

田んぼの仕事は、ひとりでは成り立たなかった。
水の流れ。
時期を合わせること。
手を貸し合うこと。
田んぼには、最初から「自分だけでは済まない」が入っていました。
そして、もうひとつ大事なのは、その先にある実りもまた、「みんなで支えるもの」だったということです。


●実りはひとりの手柄ではなかった
秋になって稲が実ると、目の前には確かな成果が見えます。
育った。
実った。
ここまで来た。
その実りは、たったひとりの力だけでできたものではありませんでした。
苗を植える手。
水を回す段取り。
畦を守る手間。
季節を読む目。
困ったときに貸してもらった手。
どれかひとつ欠けても、同じようには育たなかったかもしれません。

そう思うと、実りとは、「自分が取った結果」というより、「みんなで支えた時間の形」だったのでしょう。


●自分の田だけよければいい、では回らなかった
田んぼの世界では、自分のところだけうまくいけばいい、という感覚では回りにくかったのだと思います。
水はつながっている。
時期も重なる。
作業も重なる。
困りごとも、どこかで伝わっていく。
自分だけが得をして終わる形は、長くは続かなかったのでしょう。

むしろ、周りも整っていてこそ、自分の田も守られる。
その感覚があったからこそ、田の仕事には、
「みんなでよくなる」という考え方が育っていったのかもしれません。


●「おたがいさま」は、田んぼの中で育っていたのかもしれない
おたがいさま、という言葉があります。
助けてもらったら、今度は自分が支える。
今日はうちが先でも、次はあちらを支える。
そういう行き来の中で、関係は続いていきます。
この感覚は、どこか田んぼの仕事に似ています。
今だけ。
自分だけ。
その場だけ。
そういう考え方では、
季節を越える営みは続きにくい。
人は、助けてもらうことも、助けることも、
暮らしの中に自然に置いてきたのでしょう。

「おたがいさま」は、きれいな言葉として生まれたのではなく、生きていくための実感として育ってきたのかもしれません。


●みんなで支えるから実りは安心になる
実りとは、量が増えることだけではありません。
ちゃんと育つこと。
無事に収穫まで届くこと。
暮らしがつながること。
安心して次の季節へ進めること。
そういう意味でも、実りは「みんなで支えるもの」だったのだと思います。

ひとりの頑張りだけに頼ると、どこかで無理が出ます。
でも支える手がいくつもあると、暮らしには少し余白ができます。
その余白が、安心になる。
その安心が、また次の助け合いを生む。

田んぼには、そんな循環があったのかもしれません。


●日本の暮らしの土台の「この感覚」
田植えの風景を見ていると、日本の暮らしの基礎にあるものが、少し見える気がします。
自分だけで完結しないこと。
順番を守ること。
分け合うこと。
先に動く人がいること。
困ったときに手を差し出すこと。

こういうことは、道徳の時間に教わる前に、
暮らしの中で必要だったのでしょう。
田んぼは、米を育てる場所であると同時に、人の関わり方も育てる場所だったのかもしれません。

実りを守るために身についたことが、そのまま暮らしの作法になっていった。
そんな見方もできる気がします。


●小さな実践
今日の小さな実践は、“みんなで支えられているものを、ひとつ意識してみる”ことです。
・家の中で回っている役割を思う
・仕事の向こうにある支えを思う
・使っているものの向こうにいる人を思う
・自分も誰かを支えている場面を思う
・心の中で「おたがいさま」をひとつ置く
実りは、ひとりで抱え込んで生まれるものではなく、支え合いの中で育っていくことがあります。

そう思うと、今日の暮らしの見え方も、
少し変わってくるかもしれません。


そして、最後にひとつだけ。
あなたの暮らしの中で、「みんなで支えているもの」は何でしょうか。

志書実現メソッド ワタナベキョウザン
https://4zelc.hp.peraichi.com

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