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夜更けのウエディングケーキ

29歳の時、1年間オーストラリアに語学留学した。
私はその頃、働きすぎたことを深く反省していた…と言っては語弊があるか。
もちろん働くことは生きていくうえでとても大事なことだし、意味のあることだ。
しかし、私は20代の自分の時間を働くことに捧げすぎた結果、人生におけるその他の要素をあまりにも蔑ろにしすぎていたように感じていた。
自分自身のこと、自分の人生を軽視しすぎていたような気さえする。

そういうわけで、一年間語学留学という名目で人生をエンジョイすることを決めた。
ちなみに当時私の英語レベルは中学一年生以下。意思の疎通すらままならない状態だったため、ワーキングホリデーではなく、語学留学を選択した。

その留学でお世話になったホームステイ先のホストファミリーの話をしたい。

ホストファザーの名前はトニー。
彼はブラジル人の母と、イタリア人の父との間に生まれた心優しい男性だった。
ホストマザーの名前はタマラ。
彼女はユダヤ人をルーツにもつ生真面目で聡明な女性だった。

当時私はいつまで経っても英語が上手くならず、劣等感から内気一直線だった。
ただしかし、恋バナだけは特別だった。
下手くそな英語を話す恥ずかしさよりも、恋バナをしたい、聞きたい欲求が上回る。
普段は口数少なめの私が、こと恋バナになると、デタラメな英語らしきものを、瞳キラキラで次々と繰り出す。

そんな私の壊れた英語を二人はいつも楽しそうに根気強く聞いてくれた。

私達は夕食後トニーの作ったデザートを囲み、度々リビングに長居をした。
当時私はもうすぐ30歳。
結婚したいと思っていたものの彼氏すらできず悶々とする日々。

「将来子供が3人欲しいけどこのペースじゃ無理みたい」
身振り手振りを交えながら、半分冗談で弱音を吐いたところ、タマラは真剣な顔をして、なにかの研究の結果、双子が一番授かりやすい年齢が38歳(だったかな?具体的な年齢は忘れたが30代後半だった)らしいことを、いたって真面目な顔で教えてくれた。

だから大丈夫!Taitaiは夢をあきらめる必要なんてないわ。

そこに一切の冗談めいたものはなく、かといって必要以上に同情的でもなく、タマラはデータを元に私の夢が実現可能な範囲内であるということを示してくれた。

また別の日の団らん中、私は昔の日本では女性はクリスマスケーキに例えられていたという話をした。
女性は25歳までに結婚できなければ行き遅れ、いわば売れ残りケーキで大幅に値打ちが下がるというあれだ。

もちろん、一昔前は日本だけでなく世界中で同じような考え方が割と普通だったことを知っているし、別にそれを非難したかったわけじゃない。
クリスマスどころか大晦日すら軽々と越えてしまいそうな私自身を自虐する笑い話として披露したのだ。

タマラとトニーはリアルな本場のTHEオーマイゴッドを繰り出した。
そしてこんな話をしてくれた。

どこぞの外国では、結婚式にウエディングケーキを用意するがそれは日本のような生クリームを使ったものではない。
洋酒を生地にいっぱいしみこませ、たくさんのナッツやドライフルーツを入れたものなのだそうだ。
そして表面をガチガチに砂糖でコーティングする。

それは長期保存が前提のケーキだという。
そして、1年、2年と熟成させながら結婚記念日毎に夫婦で少しずつ食べて楽しむのだそうだ。

つまりねTaitai。
タマラはまたしてもとても真剣な表情で言った。
そのケーキは新しいものより、年月を重ね熟成させたもののほうがより美味しくて価値が高いの。
女性(人間)も同じだと思うわ。

「ワインも同じだね」
イタリア人の父を持つトニーが横からそう付け加えウインクしてみせた。

タマラからまじりっけなしのまっすぐな瞳を向けられ私は、冗談でも自分を卑下するようなことを言ってしまったことを微かに恥じた。


日本に帰り、結婚し息子を生んだ私に、ある日トニーからメッセージが届いていた。

私はトニーとタマラに自分が結婚したこと、息子を生んだこと、息子がダウン症をもって産まれてきたことを伝えた。
そしてとりわけ愛らしく映った息子の写真を数枚送った。

2人からすぐに返信がきた。
「What a beautiful boy!!」
なんて可愛い子だ!

私は夫に笑いながら「トニーとタマラが息子のことビューティフルボーイって言ってたよ」と伝えると、夫はニマニマとしながら、「ビューティフルボーイ…」と呟き、嬉しさを嚙みしめていた。

その後二人からお祝いの小包が届いた。
息子へと頂いた可愛い食器のプレゼントはただいま絶賛使用中である。
プレゼントの中に、いくつか女性用の自然派化粧品が入っていた。
子供を産んだ女性は肌も髪も本当に一気にダメージを負う。
「自分のことも大切に」
タマラらしい細やかな心遣いに胸が温かくなった。

小包の底には、ジンジャーベアというグミがたくさん入っていた。
なんだっけこれ?
思い出せないまま一つつまんで口に入れる。
咀嚼したとたん、甘いショウガ味とともに記憶が鮮明に蘇った。

トニーだ。
私がこのグミを好んで食べていたことを彼は覚えてくれていたのだ。

小包に対するお礼のメール後、現在まで連絡は取っていない。
しかし私は多分ずっとあの素敵な夫婦のことを忘れない。
トニーの温かな眼差し、タマラの生真面目な中に息づく繊細な優しさ。

あの夫婦と夜更けに甘いものを食べながら恋バナをした、その思い出だけで私のオーストラリア留学は十分に価値があったと思う。

ちなみに英語は最後まで上達しなかったし、今となっては双子育児なんて体力的に恐怖でしかない。
子供3人かぁ…。
自分も3人いるなら、多少は…ね。

自分のキャパシティを把握できるほどには大人になったよ、タマラ。

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