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泣いて小学校に通ったあの日、母の働く姿を見た

 2月。外はまだ寒い。

 けれど毎年その時期になると、実家のリビングには「うれしいひなまつり」のピアノ演奏が響く。幼い私は、間もなく春がやってくることを、母の奏でる音から感じとっていた。そして桜の予感とともに、伴奏曲は「ドキドキドン!一年生」へと変わっていく。

 母は保育士だった。

 だから、私の小さい頃の記憶をたどれば、ピアノを練習する母の背中と、季節を告げる数々の曲が浮かんでくる。

 “サクラさいたら いちねんせい”

 この歌詞で始まる「ドキドキドン!一年生」は、その名のとおり、新一年生になるドキドキ・ワクワクが詰め込まれた1曲だった。当時、保育園の年長組だった私は、卒園式に向けて園で練習するこの歌を、家に帰れば母の伴奏に合わせて歌った。ランドセルを背負って、新しい友達と小学校に通う日を想像すれば、歌詞にあるように“ドキドキドン!”と、心が弾む気がした。

 しかし、いざ小学校に入学してみると、私は一向に新しい環境に馴染むことができなかった。クラスの友達や先生、座って授業を聞くスタイル、春特有の空気感。周りの子は少しずつ変化に対応しているというのに……。

「学校、行きたくない」

 朝ごはんを食べ終わって、出発の時間が近づくと私は声を出して泣いた。毎朝のことだった。自分でも、どうすることもできないのだ。家を出て、馴染めない空気のなかに行くことを考えると感情を抑えられない。

 そんな私を、母はピアノの前で静かに抱きしめる。「学校へ行きなさい」とも「行かないでいいよ」とも言わない。母は代わりに、感情をそのまま受け止めるように私の身体を両手で包み込んで、背中をさすってくれる。その温もりにホッとしながらも、時間がくれば母は仕事に出かけなくてはいけないことを、幼いながらに理解していた。

 毎日、母は集合場所まで歩いて送って行ってくれた。班のみんなが集まって、いよいよ出発が近づいてくると「昼休憩の時に、お母さん空を見るから。ちくわも休み時間に空を見てごらん」と言って、母は私に手を振った。

 学校へ歩き出しても、私の涙は止まらないまま。1時間目の授業が終わる頃になって、ようやく少しずつ落ち着いてくる。

 母に言われたように、昼休みに運動場から空を見上げた。けれど、“お母さんも見ているかも”と思うと、寂しい気持ちを思い出して、また涙が出そうになる。

 4月が過ぎ、GWも明けた。それでも状況は変わらない。その頃、毎日泣きながら学校に通うのは、私くらいだった。春の遠足は、強い風のなか雨カッパを着て、担任の先生と2人きりでお弁当を食べた。

 そんなある日のこと。

「今度の土曜日、お母さんの働いている保育園に一緒に行ってみない?」と、母が突然の提案をした。「園長先生が遊びにおいでって言ってるよ」と加えて。その言葉に、私は「行きたい!」とすぐに返事をする。行ったことのない母の保育園へ、一緒に行けるのが嬉しかった。

 園に向かう車内、1つだけ約束をした。

「到着したら、子ども達の前で『お母さん』と呼んではいけないよ。みんな、自分のお母さんを思い出して寂しくなっちゃうから」と。その言葉に私は頷いた。

 働く母を見るのは初めてだった。いつもは自分だけの「お母さん」が、たくさんの子どもの「お母さん」のようだった。母が歌って、手遊びや絵本を読めば、周りの子どもが声を出して笑う。家でたくさん練習をしていた、ピアノの伴奏に合わせて、高い声が重なっていた。

「青空先生」

 口には出さなかったけれど、心のなかでつぶやいてみた。「ここでの母は、毎日みんなの先生なんだ」今までだって分かっていたはずなのに、スッと心に実感として広がっていく。

 保護者の迎えが来て、子ども達が帰ると、母と一緒に職員室へ行った。園長先生が私に「お母さん、どうだった?」と、聞く。即座に私は返事をした。

「かっこ良かった」

 園長先生は私の言葉に優しく微笑むと、「そうだよね。お母さん、いつもかっこ良いんだよ」と言った。

 すごかった、楽しそうだった、先生みたいだった(先生なんだけど)、色々な言葉が浮かんだけれど、1番ピッタリな言葉が「かっこ良かった」だった。

 その後、園長先生は机の引き出しから紙袋を取り出すと、私に差し出した。「これは私から。あなたへのプレゼント」と言って。チェックの包装紙にはピンクのリボンがかけられている。封を開ければ「こんとあき」の絵本が入っていた。

「これね、園長先生の1番好きな絵本なの。気に入ってもらえると良いな」そう話した。

 家族や親戚以外の人からプレゼントを貰うのは初めてで。“あなたへのプレゼント”と、大人のように扱ってもらえたことが嬉しくて。園長先生の1番好きな絵本は、私にとって宝物になった。それから私は、もらった絵本を何度も何度も家で読んだ。


 母の保育園へ行って、働く様子を見たからといって、すぐに泣かずに学校へ行けるようにはならなかった。朝になれば、変わらず私は涙してしまう。

 それでも。登校時間になればゆっくり玄関へと向かえるようになった。保育園で、母を待っている子がいると思ったからだ。

 昼休みの時間に空を見上げれば、以前と同じように寂しい気持ちになったけれど「自分も頑張ろう」と感じるようになった。母も保育園で頑張っているんだからと。

 それから少しずつ泣かずに学校へ行けるようになって、3年生になる頃には親友と呼べる友達もできた。学校はいつの間にか楽しい場所になっていた。


 あれから約20年、私は母になった。

 毎朝「学校、行きたくない」と泣く私を送り出して出勤していた母の葛藤や、そんな毎日でも園児の前で笑顔でいた母の強さが今になって分かる。

 あの頃、母は仕事を辞めようか本気で悩んでいた。きっと、そんな相談を園長先生にしていたからこそ、私は母の働く姿を見ることができたのだろう。

 宝物になった「こんとあき」を、わが子に読み聞かせながら、今でも園長先生を思い出す。そして「みんなのお母さん」として笑顔の輪を作っていたあの日の母のことも。

 当時の母と比べれば、今の自分は至らない点ばかりだ。

 わが子が「保育園に行きたくない」と泣いていた頃、母が私にしてくれたように、抱きしめてあげる余裕は全く持てなかった。通勤までのバタバタした時間のなか、感情を受け止めるどころか「早くして」ばかり言っていた気がする。

 母のように毎日フルタイムで仕事をしている訳ではないのに、部屋は散らかり放題。自分の幼少期を思い出だして、季節の行事を大切にしたいと思うけれど、いつも準備はギリギリ。つい最近も、「今年は旧暦スタイルで」なんて言って、5月6日にようやく(過ぎている)五月人形を飾ったくらいだ。我ながら、だらしがない。

 いつまで経っても母には追いつけないし、今後も追いつくことはないのだろう。

 家事も仕事も育児も、思うように上手くはいかない。落ち込んでしまう日だってある。それでも、子どもの頃のように泣くことは出来なくなった。自分の気持ちと、目の前の生活に折り合いをつけてぼちぼち歩いていくしかない。

 泣いてばかりいた子ども時代から、何回の春が巡ったのだろう。そんなことを考えながら久しぶりに空を見る。

 あの頃、幼い私に「空を見て」と言った母は強かった訳ではなく、強くあろうとしていたのかもしれない。ふと、そんなことを思った。

 GW帰省時に、大量に持たせてくれた母手製の惣菜をベランダで食べながら、見上げた空は、どこまでも高く、そして広い。

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