まさか自分が気難しい客になるなんて
別れは突然やってきた。
「青空さん。僕が担当をさせて頂くのは、今日で最後になると思います」伊沢拓司似の男性美容師(以後: 伊沢さん)は小さな声で私に告げた。
「ぇ゙っ」
人はショック過ぎると、普段は喉の奥に隠している低い声が出るらしい。
「友人の美容室で働くことになりまして。正確には4カ月後からなのですが。青空さんの今までの周期でいくと、次回のご来店は約半年後ですよね?」
確かにそうだ。今日髪を切れば、私は以後半年、再びここを訪れることはない。改めて周期を確認されたら、急に恥ずかしくなった。なにせ、目の前には【賞美期限】なるチラシが貼られていたから。
チラシによれば、【賞美期限】とは、美容室で施術してから美が約束される期間のことらしい。カットの場合は、およそ1ヶ月半〜2ヶ月とのこと。分かっていたことだが、半年前の来店以後、何もメンテナンスをしない私の髪は、とっくに賞美期限切れだった。
「お肌の曲がり角」と言われた年齢はとうに過ぎ、髪質も若い頃とは変わってきた。アンチエイジングとまではいかないまでも、もう少し美容にお金をかけるべきだと痛感している。2ヶ月に1度ヘアカットや爪のケアをする、実家のトイプードルに私は美容面で完全に負けている。
賞美期限が切れる前に通いたいのだが、なにせ私は美容室がとても苦手だ。長い時間、ジッと同じ場所に座っていなくてはならないし、シャンプー後にターバンのようにタオルで髪を上げられるのも嫌だ。鏡に映るホームベースのように大きな自分の顔を直視したくない。
それでも、この2つはまだ良いとして最大の苦手ポイントは、カット中の雑談だ。何度経験しても、美容師さんとの会話に緊張してしまう。
美容師さんから話かけてもらうのは嬉しい。聞かれた質問に答えて、問題はそのあとだ。会話のキャッチボールでいけば、次は自分が話す番。グローブにボールが納まっているのは百も承知なのだけれど、次にどんなボールを投げたら良いのか考えているうちに、いつも固まってしまう。
まず、美容師さんと自分との共通点が見いだせない。あまり個人的なことを聞くのも申し訳ない。でも……とにかく、何か話さなきゃ!!とは思う。皆、どんなことを話しているのだろう?周りを見渡せば、店内にいる他のお客さんは皆、自然に会話しているように見えた。
「今日は良い天気ですね」
「好きな食べ物はなんですか?」
「おいくつですか?」
↑これは多分ダメなやつ……💦
焦る私の頭に浮かんでくるのは、中学英語の例文のような質問ばかり。私がもっと自然にスムーズな会話ができたのなら、もう少し美しくなったかもしれない(多分違う)
しかし、そんな悩みを抱えた私に救世主が現れた。それが冒頭の美容師、伊沢さんだ。彼との出会いは、約3年前に遡る。
「新人の伊沢です」そう自己紹介した彼は、つづけて「今日はどんな髪型にされますか?」と聞いた後、ほとんど話すことをしなかった。黙々とシャンプーをし、ドライヤーをかけ、手際よく私の髪を切ってくれた。
その間、私が手持無沙汰にならないように正面の台にさまざまな雑誌を適宜補充してくれる。「おや?」と思った。もしかしたら伊沢さん、私と同じタイプではなかろうか?と……。
伊沢さんは、私のカットと並行して別のお客さんのカラー準備も行っていた。そこでも、お客さんと雑談する様子は見られない。疑念は、少しずつ確信に変わる。「なるほど伊沢さん、同じタイプかぁ」と、勝手に親近感を覚えた。
それからというもの、私は美容室に行っても「会話しなくては」という呪縛から逃れ、ゆったり雑誌を読んで過ごすことができた。
それなのに……。
***
半年後。宣言通り、そこに伊沢さんの姿は無かった。「新しく担当させて頂くTです」と、若い女性美容師のTさんがハキハキした口調で自己紹介してくれる。私は「よろしくお願いします」と挨拶して座席に座った。
少し待っている間、Tさんは他のお客さんに笑顔で話しかけていた。久しぶりの緊張感が私を包む。「何を話そうか……」
しかし、その心配は杞憂におわった。シャンプーが終わり、カットが始まろうとしたその瞬間、Tさんは「雑誌持って参りますね」と、複数の雑誌をカット台に置いてくれた。その後、伊沢さんがそうしてくれたように、Tさんは私に話しかけることなく黙々とハサミを動かした。「あれ?他のお客さんには話かけていたよな?」と、不思議に思う。
それに加えてTさんは、私が雑誌を数冊読み終わると「新しいのを持ってきますね」と、直ぐに補充してくれた。ありがたい。ありがたいけれど、なぜ私だけ?と、疑問は大きくなっていく。
ふと、私はカット台に置いてあったカルテ(髪質や個人の来店履歴の紙)に目をやった。うっかり表向きのまま置いてしまったカルテには私の様々な情報が書かれている。そのなかに、ひときわ目立つピンクの付箋。
〇あまり話かけないこと
〇雑誌を切らさないこと
えっ!ええ~っ!!
その付箋を見て、伊沢さんとの最後のやりとりを思い出した。
「僕はもう今日で最後になるのですが、良ければアンケートにご協力お願いできますか?引き継げることがあれば、次の担当に引継ぎますので」そう。あの時、伊沢さんは確か、そう話していた。
特に引き継いで欲しい内容はなかった私はあの時、そのアンケートに何を書いたんだっけ?そうだ。伊沢さんへのお礼を書いたのだ。
美容室では今まで「何か会話しなくては」と、緊張することが多かったのですが、伊沢さんの空気感や雑誌をいつも補充してくださる心づかいが心地良くてありがたかったです。新しいお店でも頑張って下さい。
なるほど。
なるほどね!!
伊沢さん。私のアンケートの言葉を要約して、新しい担当の方に引き継いでくれたのね。嬉しい!ありがたい!!
ただ……
すごく気難しいお客さんと誤解されてないかしら〜🤣💦(私の伝え方が分かりにくかったのかも〜!!伊沢さんTさんごめんなさい💦)
だって。私が数冊読み終わる度にTさん、すごい勢いで雑誌補充してくれるよ?「わんこそばじゃないから、無理しないで」って言いたくなるくらい。
そして、全く話かけられないよ?「すみません、髪のこと聞いても良いですか?」って。いや、もちろん良いに決まってるよ。ごめんなさい、めちゃくちゃ気を遣わせているよね~。
なんだか申し訳なさすぎて、きゅっと身体が一回り小さくなる思いがした。せっかく伊沢さんが引き継ぎして下さったけれど、美容室変えようかな?ってくらい。ほんとうに申し訳ない。
でも。変えたら変えたで「半年に一度の青空さん、あんなに頑張ったのに気に障ったのかしら?」って思われないかな?
まさか自分が気難しい客になるなんて。
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