休職は、逃げではなく権利だった
職員室のドアを開ける前に、深呼吸をしないと入れない朝があった。
廊下の先には、いつもの蛍光灯の白い光があって、コピー機の音がして、誰かの「おはようございます」が聞こえる。昨日と同じ風景のはずなのに、その数メートルがひどく遠かった。足が止まる。胸がつまる。行かなければいけないのに、体だけがその場に貼りついてしまう。
あのときの私は、もうかなり傷んでいたのだと思う。
でも、そのときはまだ、自分のことを「休むべき人間」だとは思っていなかった。
私は教員として十年以上働いた。
朝早く学校に行き、授業をし、空き時間には教材研究やプリント作りをし、放課後は部活動や生徒対応、保護者対応、会議、分掌の仕事。退勤時刻なんてあってないようなものだった。帰宅しても仕事が頭から離れない。土日も、月曜のことを考えていた。
それでも私は、ずっと「これが教員の仕事だ」と思っていた。
残業して当たり前。
持ち帰り仕事をして当たり前。
子どものために自分を後回しにして当たり前。
しんどくても、学期末までは頑張って当たり前。
そうやって、当たり前の顔をしながら、自分の限界を見ないふりをしていた。
ただ、心の奥では別の声もあった。
私はこのまま、教員として人生を終えていいのだろうか。
この働き方を、あと何年も続けるのだろうか。
本当にこれしかないのだろうか。
でも、その声に耳を傾けるのは怖かった。
住宅ローンがある。
収入が途切れたら困る。
家族に迷惑をかけられない。
休職なんて、自分には関係ない。
そう思っていた。
いや、正確には、そう思い込もうとしていた。
休職という制度があることは知っていた。
でも、自分が使うものだとは思っていなかった。
本当に限界の人だけが使うもの。
自分よりもっと大変な人のためのもの。
私はまだ頑張れる。頑張らなければいけない。
そんなふうに、自分で自分を追い込んでいた。
そんな時期に、上司からの言動で強く傷つくことがあった。
たった一言で人は壊れない、と思う人もいるかもしれない。
でも、ずっと我慢を重ねて、すでにひびが入っていた心には、その一言で十分だった。
その場では何とか表情を保った。いつものように返事をして、その日の仕事も終えた。けれど、家に帰って玄関で靴を脱いだ瞬間、もう動けなかった。スーツのまま床に座り込んで、しばらく何もできなかった。
そのとき、初めて思った。
ああ、これはもう無理なんだ。
いや、むしろ、これは「休んだ方がいい」というサインなんじゃないか。
私はそこでようやく、休職を現実の選択肢として見た。
休職に入ったら、すぐ元気になるわけではなかった。
むしろ最初は、平日の昼間に家にいることに強い違和感があった。
時計を見ては、「今ごろ一時間目だ」「今ごろ学年会だ」と考えてしまう。
何もしないことが落ち着かない。
ソファに座っているだけで、何か悪いことをしているような気がする。
十年以上、ずっと「やるべきこと」に追われて生きてきたから、休むことが下手になっていたのだと思う。
でも、時間がゆっくり流れ始めると、少しずつ見えてくるものがあった。
まず、自分が思っていた以上に傷ついていたこと。
平気だと思っていたのは、平気なふりをしていただけだったこと。
忙しさに押し流されて、自分の気持ちを確かめる余裕すらなくしていたこと。
朝、アラームに叩き起こされずに目を覚ます。
急がずにお茶を飲む。
外の光を見ながら、今日は何をしようかではなく、今日は何もしなくてもいいかもしれない、と思う。
そんな小さなことの積み重ねの中で、私は少しずつ、自分の傷を自覚していった。
傷は、急には治らない。
でも、静かな時間の中で、確かに少しずつやわらいでいった。
私はあの期間に、「休む」ということは、ただ勤務しないことではなく、失っていた感覚を取り戻す時間なのだと知った。
そして、同時に気づいた。
休職は、逃げではなかった。
休職は、権利だったのだ。
私は、その権利を使うことをずっとためらっていた。
本当は使えたのに、自分で自分に使わせなかった。
「休んだら終わりだ」
「迷惑をかける」
「甘えだと思われる」
そんな言葉で、自分を縛っていた。
でも今ははっきり言える。
あのまま壊れ続けるより、休職を使った方がずっとよかった。
苦しみながら耐えることより、回復のために立ち止まることの方が、ずっと大事だった。
そして、もう一つ伝えたいことがある。
休職をためらう理由として、とても大きいのが「お金」の不安だということだ。
私もそうだった。
休みたいと思っても、収入がなくなったらどうするのか、生活は回るのか、住宅ローンは払えるのか、そういうことが頭から離れなかった。
だから、休みたい気持ちより、「休めない理由」を並べるほうが先だった。
でも、公立学校教員には、病気休暇や休職、共済の給付など、経済的な負担を少しでも抑える制度がある。
もちろん自治体や共済、病状や勤務条件によって違いはあるけれど、一般的には、病気休暇の一定期間は給与が出る。病気休職に入ってからもしばらくは一定割合の給与が支給される場合がある。その後も、公立学校共済の傷病手当金によって、標準報酬ベースで3分の2相当の給付を受けられる仕組みがある。少なくとも、「休んだ瞬間にすべてがゼロになる」というわけではない。公立学校共済組合京都府例規集
公立学校共済組合は、傷病手当金について、病気やけがで勤務できず報酬が減額されたときに生活を保障するための給付であり、支給期間は原則として起算日から最長1年6か月、給付額は標準報酬月額等をもとにした日額の3分の2相当と案内している。また、自治体の休職給与条例では、病気休職中の給与について8割支給を定めている例がある。たとえば京都府では、結核性疾患以外の心身の故障による休職は満1年まで8割支給とされている。公立学校共済組合 京都府例規集
※病気休暇・休職中の給与や手当の取り扱いは、自治体、条例、共済組合、勤務条件などによって異なります。利用を考える場合は、所属自治体の制度や共済組合の案内を必ず確認してください。
だからこそ言いたい。
お金が不安で休めないと思っている先生ほど、一度、自分の自治体の制度と共済の案内を確認してほしい。
制度を知らないまま「無理だ」と思い込んで働き続けるのは、本当にもったいない。
休職は、精神論で乗り切るためのものではなく、制度として使うために用意されている。
教員は、我慢に慣れすぎている。
しんどくても笑う。
苦しくても授業に立つ。
眠れなくても出勤する。
動悸がしても、年度途中だからと踏ん張る。
そうやって、壊れかけているのに「まだ大丈夫」と言ってしまう人が本当に多い。
でも、本当に壊れてからでは遅い。
心が完全に折れてしまったあとでは、休むことすらうまくできなくなる。
だから私は、壊れる前に休んでほしいと思っている。
学校現場には、見えない圧力がたくさんある。
職員室の空気。
言葉にしづらい上下関係。
表立っては言われないのに、確かにある同調圧力。
子どものためという正しさを盾に、教員自身の限界が後回しにされる空気。
そういうものに、少しずつ削られていく。
私は、その現場に戻らなかった。
戻ることを選ばなかった。
教育現場が、私にとって安心して働ける場所だとは思えなかったからだ。
残業は減っていない。
忙しさも消えていない。
ストレスフルな構造も大きくは変わっていない。
もちろん、素晴らしい先生はたくさんいる。子どもたちのために本気で向き合っている人もたくさんいる。
でも、その善意と我慢の上に成り立つ職場に、私はもう戻れなかった。
私は今でも思う。
休職する人や辞める人が増えること自体は、決して良いことではない。
でも、みんなが無理をして黙って働き続けていたら、外側は何も変わらない。
行政も社会も、現場のしんどさを本気では見ようとしない。
壊れる人が増えたのではない。
壊れかけたまま、それでも立ち続けてきた人が、ずっと多すぎたのだと思う。
だから、今この文章を読んでいる先生へ。
もし朝、学校に向かうだけで苦しいなら。
職員室のドアの前で深呼吸しないと入れないなら。
授業中は何とか立てても、家に帰ると何もできないなら。
日曜の夕方になると涙が出るなら。
「もう無理かもしれない」と何度も思っているなら。
どうか、本当に壊れる前に休んでほしい。
休職は逃げではない。
弱さでもない。
甘えでもない。
休職は、自分を守るための権利だ。
私は、あのとき休職してよかった。
あの時間があったから、自分がどれだけ傷ついていたのかを知ることができた。
あの時間があったから、自分の人生を、自分の意思で見つめ直すことができた。
あの時間があったから、壊れたまま進み続けることをやめられた。
あのまま無理を続けていたら、私はもっと深く壊れていたと思う。
だから今は、あのとき休んだ自分を、ちゃんと肯定したい。
そして、同じように苦しんでいる誰かにも言いたい。
あなたが休んでもいい。
あなたが制度を使っていい。
あなたが自分を守っていい。
苦しみながら耐えることが美徳みたいに語られる職場で、休むことを選ぶのは簡単ではない。
それでも、自分の命や心を守ることより大切な仕事はない。
休職は、人生を止めることではない。
壊れたまま進まないために、自分の人生を守る時間だ。
どうか、本当に壊れる前に。
休んでほしい。
