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怪談「染(しみ)」

美恵子は醜い少女だった。その事は自分で良く解っている。
親には小さい頃から顔を見る度

「あんたは不細工な子だねえ…」

と溜息をつかれ、周りからは容姿を笑われ
虐められて来たのだ。

だからすれ違い様に全く知らない人に

「ブス!」

などと言われようが
今はそれ程気にはならない。
慣れる訳ではないが
悪意ある言葉に心が揺らぐ事は、もう無い。

そんな彼女にも仄かに心惹かれる男性はいた。
高校時代、ブラスバンド部の一つ下の後輩は寡黙で
誰彼分け隔てる事無く、美恵子にも普通に接してくれた。
特に優しくされなくても
他の人と変わらない対応をしてくれただけで嬉しかった。

しかしある時、譜面台から落ちた楽譜を拾った拍子に
隣りにいた彼に身体が触れてしまった事がある。

その瞬間彼は

「気持ち悪りぃ!」

と叫び、反射的に身を捩(よじ)り飛びのいたのである。

ショックだった。

きっと性根が優しく
恐らくは親からも良識ある教育を受けていたのだろう。
彼は面と向かって人を嘲(あざけ)る事をしなかったが
醜い美恵子に対する生理的な嫌悪感を
節度で覆い隠していたのかもしれない。

『今までの優しさは正しい気持ちから出ていたのだ……』

と解っているからこそ
咄嗟の反応は悪意の侮辱以上に多感な少女を傷つけた。
なぜならばそれは
相手の人間的な低俗さを嗤(わら)ったり恨んだりして
留飲を下げる事すら出来ない
感情の行き場の無い屈辱だったからだ。

成人して社会に出るようになると
あからさまに虐める人はいなくなり
そのかわりに存在しない
空気の様に美恵子は扱われた。
それは無視ですらなかった。

けれどもある種の男たちにとっては
たとえ全く美しくなかったとしても

”若い女性と言うだけで存在価値があるのだ”

と言う事に美恵子は気付いた。

特にインターネットでは
自分を如何様(いかよう)にも偽れ、作れる分
”肉体関係に辿り付くまでは”
男どもは女の気分を害さない様に幾らかの気を使う。

美恵子は正直セックス自体に魅力を感じた事は無かったが
そんな男の愚かしさと
その瞬間にのみ感じる優越感を味わうために
少なくは無い人数の(そしていつも必ず、一回限りの)
男性経験を積んだ。

『一度きりの関係であれば
 いつも違う相手に優しい言葉をかけてもらえる……』

たとえそれが性欲を果たしたいあまりに口を吐(つ)いた
上の空の戯言(ざれごと)であったとしても。

つまり、美恵子には
ずっと気遣いをしてくれる様な男が現れなかった
とも言えるのだが。

マサキと名乗る男とも
ある出会い系のチャットで知りあった。
誰にでも話を合わせる調子の良さに軽薄味を感じながら
何度かの会話の後、強引さに押し切られて
美恵子はマサキと梅田で会う事にした。

キタ*は職場に近いので待ち合わせには少し気が引けたのだが
約束した堂山交差点に立っていると
派手な音を立てた青いオートバイが脇に停まった。

バイクに合わせたのあろう青いヘルメットを脱ぐと
マッシュルームカットの様な髪型に
黒縁の四角いメガネをかけた顔の長い男が現れた。
それがマサキであった。

奇妙な髪型とも相まって年齢不詳である。

『なんとか言うお笑いコンビの片割れに似ているな……』

と思った。
なまじお洒落に気を使っている分、冴えない風貌が目立つ。

美恵子自身、自分の見た目を自覚しているだけに
不細工な人間が外見に拘ることの滑稽さを知っていた。

『着飾る事は美しい人だけに許された特権なのだ』

と。

「こんにちは 美恵子です」

「やあ」

と挨拶してから会話が続かない。
マサキは黙って歩道にオートバイを停める。

美恵子は何とか話し掛けるきっかけを探そうとする。
こいつはハーレーとか言うバイクなのだろうか。

「ねえ、これハーレーなの?」

しかしタンクにはHONDAと書かれている

「ハーレーじゃないけどね……まあそんな感じ」

そう答えたマサキは明らかに機嫌が悪そうだ。
と言うよりも落胆の色を隠さない。
理由は簡単だ。美恵子が美しくなかったからだろう。

ネットの出会いは素の姿を曝け出した途端
お互い残酷な現実に直面する。
そんな事、美恵子は慣れっこなのだ。
彼女にしてみればマサキの不機嫌でそれでいて冴えない顔に

『あんただっておあいこだよ』

と言ってやりたい気分であった。

「これから……どうする?」
「うん……オレもあんまり時間ないんやけどね」

そんな事言ってなかったくせに 。
私の顔を見て急に帰るとか言い出すのだろう。或いは ……

「カラオケでも行く?」

美恵子は少し意地の悪い気持ちになった。

「カラオケもいいんやけどなぁ」

マサキは口ごもる。

さあ、言え!ブスと思って落胆した女に懇願しろ!

「いきなりやけど…オレ今Hな気持ちやねん……」

美恵子は下を向いたまま醜い笑いをかみ殺した。

『あんたは落胆する程不細工な女相手でも
 欲情だけはするんやね。』

「あかん……かな?」

黙り込んだ美恵子が気分を害したのかと
マサキは急に気弱な聞き方をする。

「ううん……ええよ。あたしでええんやったら」

じゃあ話は早い!とばかりにマサキはすたすたを先を歩く。
決して美恵子と並んで歩こうとはしない。
まあいい。連れ込まれるのはラブホテルと解っている。

曽根崎方面に暫らく南へ歩き
阪急東通り商店街を右に折れる。

細いアーケードを抜けると
マサキは一軒の小さなビルに入って行く。
何処へ行くのだろう?ラブホテルではないようだ。

「ここ……安いねん」

マサキが連れて行ったのは
レンタルルームと言う簡易宿泊施設で
どうやらそこで事を済まそうと考えているらしい。

梅田の近くとは思えない四畳半ほどの汚い部屋。
安普請なちゃぶ台と潰れた座布団が二枚置かれている。
トイレもシャワーも無い。

「ここ……で?」

さすがに美恵子は情けなく思ったが
マサキはそんな気持ちには全く気が付いていない様だ。
気がついていながら無視しているのかもしれないが。

「うん。ええやん」
「じゃあ服脱ぐね。向こう向いてて」
「ええよ。そんなもん」

美恵子はいきなり覆い被さられた。
シャツも下着も一緒に捲り上げられ、胸をまさぐられた。

「ちょっと……ちょっと待って」

しかし美恵子はパンティーを脱ぐ事すら許されず
マサキが荒っぽく入って来た。

果てるまでの間
美恵子は何も考えず染みだらけの壁を見上げていた。

『この夏に出来たのだろうか?』

叩き潰された蚊が
どす黒くなった血と一緒に潰れて貼りついていた。

こんな部屋で知らない男の欲望処理に使われている自分が
お似合いだとも思った。
けれどもがっかりするほど醜い女でしか欲望を果たす事が出来ないマサキも又
潰れた蚊の脚や羽の破片とさほど変わりはしないのだ。

「じゃあ帰るよ」

バイクを停めてある新御堂の歩道を
やはりさっきと同じ様に早い歩調でマサキは歩く。

「もう?」
「うん。ごめんな。今日あんまり時間ないんや」

良く見ると、10m程先にあるバイクには
マサキが被っていたヘルメットと別にもう一白いヘルメットが縛り付けてあった。

『本当はあたしを後に乗せて
 どこかに行くつもりやったんやろ。
 あたしが可愛かったら乗せてくれたんやろ』

それを見抜かれたくなかったのか
マサキはだいぶ手前でこう言った。

「うん。じゃあ又メールするわー」

多分彼からメールが来る事はもうない。
そんな事も美恵子は慣れてる。

「うん……じゃあ」

美恵子が踵(きびす)を反した途端
バイクに近づいたマサキが声を上げた

「うわ!駐禁(駐車禁止)切られとるやん!」

美恵子は聞こえなかった振りをした。

「最悪やぁ……こんなんやったら今日来るんと違ごたわぁ!」

その声を後(うしろ)に地下道へ続く階段を下り
泉の広場を通って東梅田駅から谷町線に乗って家に向う。

そのあいだ美恵子はずっと

「死・ん・じ・ま・え 死・ん・じ・ま・え」


呪詛(じゅそ)の言葉を繰り返し呟いていた。

翌日出勤すると
聞くとは無しに同僚たちの他愛無いおしゃべりが聞こえる。
美恵子が耳をそばだてても、聞き逃しても
どの道会話の中に入れてもらえることは無いのだが。

「昨日の夕方なぁ
 堂山でバイクのごっつい事故があったらしいで」

「ああ。ニュースで死んだゆうてたなあ」
「曲がりきれず環状線の橋脚に激突したんやて」

 マサキだろうか?!まさか・・・

「又ヘタクソがイチビった運転してたんちゃうのん?」

昼休み、美恵子は堂山の交差点まで行ってみた。
すっかり片付けられていたが事故現場はすぐにわかった 。
そして一目見て

「マサキだ!」

と確信した。

そこには勿論遺体は無く
HONDAのバイクの部品が散らばっていた訳でもない。

ただ
コンクリートの支柱にこびりついた血痕と
バイクが付けた黒い傷跡は
あの部屋で見た
蚊の染みそっくりの陰気な模様を描いていた。

予想した通り
その後美恵子の元にマサキからメールが来る事は
無かったそうである。
単に幻滅して連絡をよこさなくなったのか
或いは、それとも……

「別にどっちでもいいんだけどね」

暗い目をして、美恵子は私にそう笑った。

*大阪市内(特に盛り場としての大阪)は梅田界隈をキタと呼び
難波~阿倍野などを含むミナミと大きく二つに分けられている
2007年11月29日23:18


登場人物全部クズ(笑)
ブラスバンド部のクダリだとかは目にした実話。
厭なハナシだなー(;´・ω・)

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