現役京大院生が万城目学『鴨川ホルモー』を読み直す
みなさんは『鴨川ホルモー』という本をご存じか。
友人から「あなたの人生に影響を与えた本を3つ教えてください」と質問された際(面接で同様の質問を投げかけられたらしい)、私はこの本を挙げた。
はじめに
簡潔に本文の紹介をすると、京大に入学した主人公が、怪しげなサークル「京大青竜会」に入り、ミニ式神を用いて戦う伝統競技「ホルモー」に巻き込まれる物語である。
この本は、幼い私に「京大生っておもろいんや」ということを教えてくれた。
小学生の時、父親が市立図書館から『鴨川ホルモー』を借りてきて、机の上に放置していた。
図書館の本は、表紙の赤文字が色褪せて蛍光ピンクになっていた。本来の表紙の柄を知らなかったので、「ずいぶんハイカラな表紙やなぁ」と思った記憶がある。

思い返すと、私の「おもろい京大生」へのリスペクトの原点はこの本である。
唯一無二のへんてこな生活を楽しんでいる彼らを見て、「私もこうなりたい」となんとなく感じてしまった。そして、この世界観に"なんとなく"憧れてしまった点が、人生の分岐点だったと思う。
高校生になり、周りが将来のことを多角的に考えて志望校を固める中、私は偏差値とおもろさの2点だけを考慮し、軽率に京大を志望した(少なくない数のクラスメイトが京大を志望していた影響も大きいけれど)。
晴れて入学した京大は、期待を裏切らないカオスさだった。
おもろい(アホ)京大生に出会ってはワクワクしているし、時にはおもろい京大生について行っておもろさのおこぼれにあずかる。
「おもろい大学生活を送りたい!」と願った高校生の私の夢は、とうとう叶いそうである。
そういえば、私が『鴨川ホルモー』を読んだのは小学生の時で、当時は京都のまちに詳しくなかった。京都市内の学校に十数年(!)通った今読めばさらに面白いかもと思い、読み直した。
感想
「京都市内の学校に十数年(!)通った今読めばさらに面白いかも」←大正解
京都の地理を頭に入れて読むと、情景がさらに浮かびやすい。また、主人公たちは大学生なので、同世代の今だからこそ、状況や心情が理解できる場面もあった。
さらに、登場人物が皆、何かしらの葛藤や悩みを抱えて、それでも愚直に生きていく姿に感銘を受けた。そのような姿を傍から見た時に、当人の意図とは無関係におもろさが生まれるのかなあ、とも思った。
一方で、私の大学生活での反省点も見つかった。(以下懺悔パート)
それは、目先のおもろさだけを追い求めたばかりに、「どんな学問を学びたい?」「どんなおもろいことをしたい?」「大学で何者になる?」といった問いを自身に投げかけなかったことだ。
就活で外の世界に目を向けてみて、私は「0からおもろさを生み出せる京大生」にも「社会で活躍できる賢い京大生」にもなれなかったのだと痛感した。
前者になるためには、京大のおもろい雰囲気をただただ享受するだけでなく、自ら「おもろい」を追求すべきだった。後者になるためには、大学選びや学部選びなど大きな選択をする際、長期的な目線で慎重に考えるべきだった。
『鴨川ホルモー』に出てくる登場人物の多くは、自分の興味のあることに対して素直で貪欲で、何かしらの行動を起こしている。自分の好きなことを追求できる場に身を置き、それを実際に追求すれば、まさに「おもろさ」と「賢さ」を兼ね備えた人間になれたのだと気づいた。
「小学生の私と京大青竜会のメンツ」と、「京大生の私と京大生の友人ら」の構図は、似ていると思う。
小学生の私は、馬鹿なことを真面目に取り組む京大青竜会の行動を本の外側から見て、ワクワクしていた。大学生の私は、他のおもしろ京大生が考えたおもろい事にタダ乗りしている。
私は、「鴨川に小舟を浮かべよう!」「京都の神社仏閣巡りを徒歩だけで完結させよう!」「猪を捕まえて猪肉ラーメンを作って時計台前で勝手に売ろう!」「福井で鯖を買って、鯖街道を2日かけて歩こう!」なんて奇行(褒め言葉)、思いつかない。念願の京大生になっても、憧れの彼らには未だ追いつけないのだ。
(懺悔終わり)
やはり、おもろくも賢いメンバーがたくさん出てくる『鴨川ホルモー』の世界に、私は今でも憧れてしまうのだ。
ちなみに
2026年6月に、ホルモーシリーズ完結編『ホルモー燦燦』が発売される。京大を卒業する(?)年に、完結編が出るのは、大変嬉しい。
