労働組合役員の未来へ
私が労働組合の専従、非専従の役員、現在のただの1人の組合員になって思う事があります。日本の労働組合の大半がもう町内会と同じです。一つ私の意見を言いますが、町内会を軽んじているわけではないです。個人主義が全盛期の中、どれだけ自分勝手になれるのか?を突き詰めると町内会費は出したくないが、町内のイベントにはいつのまにか参加し、タダで飲み食いする。集合住宅なので改修費を払っていないが、全体のことなので会費を出さない人も恩恵を受ける。当然町内のゴミ捨て場を使う。という人は非常に多いです。だからと言って強制的に加入させる方法なんて当然ないので、話はそこでストップ。成り手不足の現状は、地域のコミュニティまで及んでいて、今後はどうなるかなんとか風向きが変わってほしいとは思います。
ちょっと自己紹介にもなりますが私は産別の専従から、小規模労組の組合役員生活をトータルすると10年以上勤めて現在はただの会社員(兼組合員)です。私を支えてくださった皆様のおかげですが、随分と長く労働組合の運営に携わり本当に色々経験させて頂きました。何もかも素敵な思い出です。ただ日本の労働組合は危機的な状況であり、これは世界中でも同じことが起きています。今年の4月6日、日本最大のナショナルセンターである日本労働組合総連合会で簡単ながら世論調査が行われました。そこには衝撃的な数字も並びます。
「連合および労働組合のイメージ調査」という形で行われたこの調査は労働組合の認知度は81%と高い水準を維持していますが、その最大のナショナルセンターである「連合」になれば46.9%というかなり低い水準です。さらに「連合」のイメージが「影響力のある」「保守的な」「堅実な」という評価が挙げられています。そして私達全体のイメージは高齢組合員が集まって団結、ガンバロー!というイメージを持たれているかと思いきや、「連合について好感が持てる」と答えた10代の方では60.9%と非常に高い水準を記録しています。「今後労組に入り続けたい、加入したい」と考える20代は半数を超え51%。私が若い時は労働組合の役員といえば、七三分けで眼鏡をかけていて、本来部長になってもおかしくないような年齢の人が執行委員長。こうしたイメージは私だけでなく多くの労働者、もちろん海外を含めてそうしたイメージが定着しました。組合旗が赤旗から多様性あるデザインになり、パッと見える範囲では随分と一新されたものですが、中身は相変わらずだった事も、私達労働組合の組織率低下の一つの原因でしょうね。
調査では「現在のお仕事で何か問題点がありますか?」との質問に約6割の方が不満に思っていて、その1位は当然「賃金が少ない事」意外にハッキリしている事ですが10代の悩みは「仕事の賃金が低い事」30代は「会社に不安がある事」が挙げられます。もう少し特徴を挙げられるには10代と60代以上の傾向は似ています。社歴が短い人と社歴は長いがあと数年で労働者生活を終える人。対照的な両世代ですが人間関係で悩んでいることが、この世代だけ10%以下というシンクロをしています。会社の将来に対する不安なども10代、60代以上低い水準です。考えさせられる結果ですね。
労働組合という組織はまだまだ力を発揮できる場面もあるし、必ず受け皿となれる。ただ現実にはそう簡単には行っていません。様々な説があります。一つ製造業の労働者がグローバル化によって少なくなり、非正規雇用が多いサービス業が増加し、オルグが上手くいかなくなったというもの。一つ若者が組合費を払うメリットがないため、そうした若い世代中心に組合に加入する機運が無くなったため。一つ企業再編が進み、存在していた労働組合が企業を合併し風土が変わる中で徐々に影響力を落としていったため。一つSNSの発達は組合ではなく、法律が詳しい人と手軽にアドバイスができるために労働組合の存在感が薄れたため。どれも一理ありそうで、それが全ての要因ではないと思います。そしてもっと複合的なものが含まれて、現在の姿があると考えます。
かつて革新勢力を支えてきた労働組合は、少なくとも冒頭の世論調査と同じように随分と保守的になってしまったと思う事はあります。大企業の組合なら、まだしも中小企業労組は金太郎飴が如く同じ役員をぐるぐると入れ替えて、運営しています。セレモニーどころかやっつけでやっているような感じしかしない定期大会、他の組合との横の交流がない単組中心の産別、とにかく影が薄くなる事もある「連合」これで組織率を上げようと言っても、虫がいい話です。
だからこそ労働者の労働組合の国際連帯は必要です。毎年優れた労働組合指導者に送られるアーサー・スヴェンソン国際労働組合権賞にナイジェリアのジョー・アジャエロ(ナイジェリア労働会議会長)が受賞しました。世界の同志達は、弾圧にも全く怯まず献身的に民主主義を目指して戦っています。私が専従になった当初、「労働組合は民主主義の学校」でした。皆が自分の意思に基づいて、議決権を持ち全員が参加できる。これほど直接民主制はないでしょう。私はいずれ労使の分断より労使の共同経営を、一定の経営に対する議決権を労働者にも求めています。労組に一定の株主取得でもいいし、経営陣の枠に労働組合の役員などをおいて現場の意見を経営に直接伝えるほど参加してもいい。こういうことを私は21世紀の社会主義運動だと思っています。
長くなりました。これはまだ序章です。私は労働組合の役員をとりあえず終えて、今は周辺人物。まだまだできなかった事をやりたいです。町内会と同様、組合に加入していないのに、自身が会社での立場が悪くなると急に組合に相談するケースもありました。急にそういうリソースを避けない。もっと早く加入していれば、こちらも準備ができたのに。人生何が起こるか分からず、何にしても保険は入っていた方がいいです。今すぐに必要ではなくても、今後必要となる、必要になる事が急にあるかもしれない。これは健康保険と一緒ですね。私達はそうした労働者人生に大切な社会保障や労働者救済に組織的に取り組んでいます。それを踏まえて今から進めていきます。
第1章 労働組合役員前史
かつて労働組合と言えば、激しいストライキやデモ更新、ピケ戦術、集会など特に戦後の映像記憶を見るとそうしたイメージが浮かび上がります。あの映像で激しい運動をしていた人達は、基本的に現在の私達と同じ就職して、その会社に労働組合があり、そこから組合の活動家になったパターンが多いです。友人から誘われた、組合主催のレク活動に参加し面白いと感じて役員になった、どうしても頼まれて渋々専従となった。これが基本です。
ただ当時は、労働組合でもマルクス・レーニン主義、もしくはそれらにシンパシーがある社会主義協会ら左派と呼ばれる人、組合主義者協議会などいわゆる労働組合が使用者と協力し、生産性を上げてそのパイを分配しようという右派と呼ばれる人。他に様々なグループがありますが、基本的に後者のグループが後に労使協調路線として主流派になりますが、当時は労使協調は禁句であくまで労使協力でした。今は一部産別でも「労使協調」という言葉を使いますが、かつて組合主義者協議会ではあくまで「労使協力」使用者側に明らかに欠陥があるなら、キチンと言える関係性は作らないといけない。言葉一つとっても、大事にしました。
時代が流れ、そうしたあくまで労働組合と経営者は対等な関係である事は随分と形骸化したと思います。労働戦線の統一は悲願であり総評、同盟、中立労連、新産別は統一され、日本労働組合総連合会を誕生させましたが、もはや単組、産別で競争の必要はなく経営側と多くのマンパワーと向き合えるようになった反面、内部でオルグの競争の必要性がなくなった組織は年々経年劣化を繰り返し、私の知る限りでは10年以上役割を多少入れ替えて、役員体制を維持している中小労組は10ではきかないです。
第2章 労働組合役員の肖像
戦後、日本の労働組合は賛否はとりあえずおいておくとして、明確に目標がありましたが、現在ではそれが薄れてしまったとの評があります。かつて労働組合にとって、その組織綱領に必ず「社会主義」という言葉が入っていました。それこそマルクス・レーニン主義にも近い社会主義だったり、ヨーロッパのイギリス労働党やドイツ社会民主党をモデルとした民主社会主義と呼ばれるものだったり様々でした。現在、こうした言葉を使う事はほとんど耐え果て、一部単組の綱領に残っている事もありますが、社会主義も民主社会主義も消え果てた労働組合の目指す社会というものは、どこまで組合員だけでなく非組合員に浸透するのかと問われていくのならほとんど役員は答える事もできないでしょう。
かつて労働組合は、企業、経営側が見落とす部分を吸い上げて労使交渉に臨むという役割もありました。箸にも棒にもかからない悪徳企業は別として、一部企業は労働組合に頼らない経営を最初から行おうとしています。最近はストレスチェック、エンゲージメント調査、リモート面談など企業経営もマネジメントに対して熱心になってきた時代です。そういう事実から総合的に考えれば、労働組合の存在意義というものは、やはり役員自身がそして組織一丸となって殻を破るような改革は必要です。この種類の問題は、現在欧米などの地域でも問題となっていますが、労働組合自体が目指す大きな方向性、方針を見失っている点は今後大きな課題となります。
破産寸前というわけではなく、むしろ繰越金は年々積み上がっている。少なくとも資金は潤沢だとまで、言わないが一部単組では闘争資金を投資で増やそうとしていたり、それが失敗すれば脱退騒動になったりとお金に関しては必ずしも良いニュースばかりではないです。また役員体制は人事が全く微動だにしない単組もありますが、動員や各種組合行事をいいか悪いかは別として旅行感覚や文化祭感覚で楽しんでいる人もいる。それは別に自由なので構いはしませんが、薄れていく労働組合の存在感の中で他にできる事はあるのか?悩む日々です。
横の繋がりが極めて少なく、縦の繋がりをかろうじて維持しているだけ。これは日本の企業だけではなく、労働組合にも言えます。企業に入社し、企業別労組で専従になってもせいぜい系列が同じ企業グループ労連の繋がりが全てであり、他社どころか他産別の交流など、ほとんどの役員が皆無に等しい。それどころか自分が所属している産別の名前も、よく分かっていない役員もいる状況において、労働組合に入ろうと言われても新入社員はそれは躊躇するでしょう。これは多くの方から指摘されている事ですが、現在の労働組合が1番団結する時は、その会社が倒産する時です。組合員一人一人の目標の大枠が一致し、同じ方向に向かって行動するのだから当然強い交渉ができる。ただこれをもっと労使交渉の場で会社の経営状況を知り、動けていたら倒産という事に対して一致団結する必要もなかったと思います。普段から、どこまで多くの組合員を自発的に動員できているか?残念ながらそう多くはないでしょう。どこを変えていくのか?やらなければいけない事は沢山あります。
これは私も専従時代において、そして経験者もよく言われた事ですが「組合の専従に労働基準法が適用されると思わないでほしい」という先輩からの訓示です。勘違いされる表現ですが、組合専従者もしっかり労働基準法で保護されます。ただ残念ながらその是正はやはり組織次第という事はあります。働き方改革が進み、企業では長時間労働が少なくとも回避するように一定の努力が成されるようになりましたが、むしろ労働組合の専従の方が前近代的な働き方をしていて、心身に影響がある事が報道までされるようになりました。専従と非専従の役員を私も経験しましたが、専従時代の忙しさは若い時だからできた事。よくナショナルセンターの執行部クラスになれば「労働貴族」という批判を浴びる事があります。ただ実際は「労働モーレツ社員」という方が実態に近いです。朝から晩まで活動し、夜は明け方まで宴を開き、早朝には別組織の組合行事に参加する。こんな状況で女性はおろか青年でも無理です。その点についてようやく最近は、悪しき風潮とも思う専従の働き方は注目されています。
努めて第3者の目線で労働組合を見つめていますが、労働組合という専従というキャリアは仮に専従を退任し、社業に専念する時にどこに配属されるのか?基本的に専従になる前の職場に戻る事は稀だし、かなりの割合で昇格を兼ねて社内異動をする事が多いですが、これがギャップになってしまいます。私は昇格自体はしていないものの専従を解かれ、社業に戻った際同僚との距離感に悩みました。こうした労働組合役員、専従のためのメンタルヘルスはようやく最近対策に乗り出している組織も多いですが、こうした取り組み積み重ねが労働運動の再活性化につながるものと考えています。旧来の運動では必ずしも労働者と労働運動のプラスにならない事も露呈し始めました。そうした観点から見ると政治運動は必要です。現状では足りない部分があり、打破するためには思い切った事を行っていく。今後は中身の濃い運動を示さないといけません。
第3章 労働組合の多様性を問う
労働組合は男性中心の組織であり、女性役員の少なさが指摘され最近では女性の登用も取り組みとして進んでいます。これは私も私が何度か言っている事ですが、私が新入社員の時代において、産別や有力単組の委員長、書記長は七三分け、眼鏡、男性というのが相場が決まっていました。これは案外海外でも、私と同じイメージがあり「組合活動をしていきたいけど、どことなく古臭く感じる組織」というものが定着しています。少し擁護するなら、組合内の手続きは非常に煩雑であり時として面倒だと感じる事はあるかもしれませんが、これは組織内民主主義を守るため必要なものです。やり方は変えていっても、決して省略できるものではなくその古臭いと思う手続きが時に力になりますが、単純に組織の怠慢で誰かに押しつけるようなやり方は決して良い方向にはいかないです。
最近では「クミジョ」という労働組合活動に邁進する女性組合員という意味でポジティブに捉えられていますが、私はこれこそかえって女性役員の輩出を難しくさせているものだと解釈します。前述したように、組合の専従は場所によってはいわゆる「ブラック労働」とまで言われるほど業務量も活動行事も多く、これ自体女性の参加を微妙にさせているのに、女性参加の道をと言いつつ希望を聞かずに女性部に配属させ、結果として労働組合のオルグとしての経歴を歩まないと言うキャリアも横行しています。第一「クミダン」と言う言葉は使わないでしょう。結局「女性が労働組合に携わる」事が珍しいので、それを形容する言葉がポジティブなものになるのです。そう言う癪な事を行ってきて何が多様性だと思う事はあります。真の意味で多様性を訴えるなら、やはり組織自体を変える部分は変えていくと言う強い意志と実行力は必要です。
もちろん個人差がありますが、組合女性部だったとしても法制度にそれほど詳しい訳ではないと言う事例もあります。組織的な構造において女性が不利であり、立場が人を育てると思って思い切った女性の登用は絶対必要だと考えますが、女性役員となった側も忙しい事は重々承知ですが基礎的なものはやはりしっかりと覚えておく事は重要です。最もそれは女性組合員だけの話のみではないですが、労働組合は学習する場も提供する役割もあります。パンデミックで一旦停止した活動をどう言う形であれ復旧させていく事は必要です。簡素化が当たり前のように、やっつけ仕事のようになってしまっては組合と言うものを新しい世代は見透かしてしまうものです。
最近では特に日本の労働組合の大きな特徴である企業別労働組合のデメリットばかりが目につき、人材が特にオルガナイザーや将来の委員長、書記長候補の人材が優秀な人は組合にどこかのタイミングで見切りをつけて、結局成り手不足が常態化しています。連合と言うナショナルセンターに限った話で言えば、現在後の育成のために様々な取り組みがなされています。とかく会社の籍はそのままで産別はおろか連合でも執行部入りをしてしまう特殊事情なこの国の労働組合において、労働組合が「雇用する」官僚は必要不可欠です。地方の連合は一部では素晴らしい政策を打ち出し、それに向かって明確な行動をしている組織もある。それが全く共有できていないのが残念です。多様性を保つなら、もっと組織間の交流を深める事です。現在顔合わせすら、ほとんど行われてこないナショナルセンターにおいて心あわせ、力合わせなんて事ができるでしょうか?
第4章 役員を終えた後
労働組合として専従期間が解かれても私達は会社に籍を置いたままの在籍専従と言う形なので、退任すれば会社に大半戻ります。前提として専従、役員経験は基本的に皆が自分にとってプラスだったと考えています。自分の小さな職場でしか見れなかったのに、大きな活動を通して物事を俯瞰して見る事ができるようになった。実際に制度が変わっていく瞬間に立ち会えて、組合の重要さを知った。組合で活動しない限り出会えない人と出会えた等々、どれも非常に前向きな内容です。だからこそ役員退任後のキャリアはどう言うものになっていくか、これこそ成り手不足解消の中核になるはずです。
さて、長いと会社員ではなくほとんど労働組合に就職したと言われるキャリアになってしまう現代。仮に専従を解かれたとしても、メリットが大いにある反面デメリットも少なからずあります。まず特にホワイトカラーでは顕著となりますが、そもそも労組と会社では同じ業務で求められる内容が違うので会社員に戻るなら一から業務の勉強をやり直しとなります。労働組合で得た仲間たちも組合活動から離れてしまうと、日々の業務でなかなか会う機会を作れないと言う課題は解消されていません。上記に記したように単組レベルではほとんど横の繋がりがないのに、ましてやオフィスの中ではある意味外界と隔絶した陸の孤島になります。
運良く連合まで出向できた人は、会社に戻れば色々ギャップを感じてしまいキャリアに悩んでいると言う実例が報告されています。さらに多くの企業が在籍専従時代は休職と言う形になり、数年も経てば会社のシステムはブランクあればより浦島太郎状態で、復帰による会社のサポート体制はほとんどないです。ない事もないですが、こうした状況である事に関わらず「労働組合から会社に戻ると管理職となって帰って来るなんて、御用組合だ」みたいな意見も散見されますが、専従期間は昇給も昇格もストップ、そして運良く希望の部署や管理職になれる事例もありますが、大概は上記のようにキャリアに悩む事になります。もちろん形として労組委員長が子会社の社長になる事を肯定できるか?と問われると色々な意見が出ても仕方がないし、組合経験がある私露骨であると感じます。ただ多くの役員経験者が労組活動に邁進した前歴があればあるほど人生に迷う事はあるのです。この部分を改善していかないといつまで経ってもジリ貧のままです。
そしてこれも良く指摘されるものですが、役員退任後むしろ組合との距離感が掴めなくなったと言う声も多数上がっています。出しゃばるのもおかしい。ただ何もしないのも、またおかしい。そして私も役員退任して2年になりますが基本的に外から見ると執行部は活動量が少なすぎて、ほとんど存在感もない。たまに見ると秘密結社のように見えると言った人も存在しますが、確かに大人が仲良しサークルを作っているように見え、積極的に自分から入りたいとは思わないです。実際私が役員時に若手社員に「あの輪には入りにくい」と言われた事もあります。退任後この人なら組合に向いていて是非役員としてスカウトしたくても、ただの一会社員では接点もなく職場委員のアプローチも期待できないとなれば、どうすればいいのか熱心にやってきた人ほどそう感じる事でしょう。
良くニュースになりますが、労働組合は組織率の低下はもう毎年の恒例行事になってしまっています。一部は数を増やしている産別も見受けられますが、それもどこまで手堅い組織化であるか?こうしたものに正解はなく、不正解があるだけです。ただ多くの人数ができるだけ明確な方針に向かっていく事は相当なパワーになる事。その気になれば国の制度どころか世界中の社会変革に寄与する事ができます。そのために土台が必要です。その土台を強固な素材にするには、色々と飛び越えないといけない課題は多くあります。
最終章 労働組合の未来
産業革命によって農民から労働者となった市民は労働組合を結成し、社会主義運動の動力となりました。冷戦末期には製造業が先進国を中心に頭打ちになり、新興国が台頭。サービス産業が急拡大し、その組織化に対して満足に対応できないままに新自由主義の波が訪れ、非正規雇用の増大、経済のグローバル化、そして労働者すら将来要らなくなる未来まで予言されています。私は未来のことは見通せませんが、数年で産業は大きく変わる事は重々承知です。人類は技術革新のすえ便利なものを沢山生み出していきましたが、それではより平和になったのか?と問われると疑問符がついてしまいます。
かつて日本のナショナルセンターである連合は、「1000万人連合」を目指しました。現在でも一応その旗は下ろしていませんが実現性は年々低下し、それは単なるスローガンになりつつあります。だからこそ一定の政治活動は重要である。ただ政党活動に関しては、もう少し組織内で議論が必要な部分もあります。パンデミックや今年に発生した中東の動乱はグローバル経済の思わぬ脆さに直面しました。様々な国の素材や部品を使って成り立つ製品によって市場が動いている以上、どこか一つ目詰まりを起こせば全てが影響し、崩壊しかねない弱点を露呈しました。ただ経済グローバル化については、今更リセットはできないと思います。必要なのはどれだけ人に優しい成熟した社会になるか?これは権力者だけでなく、私達1人1人の有権者市民全員が問われている事です。
労働組合は元々イギリスの酒場から始まりました。安い酒を呷り、仕事の愚痴を言い合い、怪我や病気で倒れた仲間を憂いて、それならここにいる仲間が今日飲む予定だった酒を一杯我慢してお金を集めて働けなくなった仲間のために送ろうと言う一つの提案が後に世界中に広がる労働組合運動の源流でした。生まれはべつに別に高尚なものではない。だけど、いつのまにか人は属した組織が高尚であると信じてしまいます。もっと泥臭くならないとこうした運動は今後向上する事が見込めません。
最近、様々な単組、産別で「TUNAG for UNION」と言う労働組合に特化したアプリを導入するケースも増えてきました。執行部と役員、1組合員の距離感が離れてしまっているなか、アプリを導入すれば全て解決するわけではありませんが、組合報や機関紙を作成するのも億劫になった人手不足単組にとっては、新しい技術に是非前向きになってほしいと思います。労組だけでなく、どこの組織運営にも必要な事ですがまず「記録」をとって公表する事は民主的運営にとって最重要事項です。そうした行動一つ一つが執行部と組合員との距離を縮める事になります。
多くの人が勘違いされている事もありますが、景気と言うものは完全にコントロールができるものではなく不況に陥ったら、対策として公的資金を投入する事もあり、好景気では多くの税収をまずデフォルトと言う財政危機を回避するために債権は返還されないといけません。日本の有権者を含めた悪い風潮は好景気の際はばら撒きを肯定し、不景気の際は緊縮どころか必要な費用もカットしてしまう財政規律論者になる事です。こうした事を繰り返す、グローバル資本主義in Japanでは現在の乱世ではとても生き残る事ができません。グローバル化を大幅に修正した協同組合的な民主的な社会主義体制に変革していく必要があると私は確信しています。
皆様、共に頑張りましょう。
