私に いちばん優しい私
~人生は 変えられる~
はじめまして
虹🌈と申します
ここに来てくれて 見付けてくれて
ありがとうございます
ここでは《人生は 変えられる》
ということを 私の経験を通して
お話していこうと思います
これまで私は たくさんの経験をさせて
もらいました
奇跡のような出来事や
泥沼のような生活も・・・
それは 私の身一つでは 持て余してしまう程に
たくさんの経験です
どうして こんなにも・・・と、考えました
そしてある時 思いました
これは 誰かに 何かを
伝えるためではないのか
私の経験が
誰かのお役に立つことができるとしたら
そんな有難いことはありません
これまでの人生が 報われる思いがします
どうか 必要な方に 必要なメッセージが
届きますように
虹🌈
【第1章】
私は 結婚を3度しました
離婚も 3度しました
一人目の娘は、
幼い時に 死の宣告を受けました
『命を取り留めても 意識が戻ることはない』
医師の残酷な言葉に
私はその場に崩折れました
私にできることは何もなく
ただ ただ 祈ることしかできませんでした
そして 奇跡が起きました
本当に 奇跡だったのです
娘は意識を取り戻し 医師さえも『奇跡です』と
驚いていました
私はこの時初めて
自分の命より尊いものがあることを知りました
その後も 奇跡は続き、
後遺症一つ残らずに、元気に育ってくれました
私自身も 骨の移植手術を 2度受けました
発見がもう少し遅れていたら
足を切断するしかなかったそうです
当時では まだ原因不明の病と言われていました
交通事故に4度遭いました
ことわざに『2度あることは 3度ある』
と ありますが 4度です
宝くじには 1度も当たったことがないのに
どれも 大怪我には至りませんでした
そこで私の運を使っていたのだとしたら
むしろ、強運なのかも知れません
泥沼の暗黒の時代では
『これでもか!』という程に
負の連鎖が止まりませんでした
思い上がりの強かった私は
薬物依存の人を《更生させる》という
謎の使命感に掻き立てられ
一緒に暮らしました
そして、
何も変えることはできず
身勝手な私の振る舞いで
ただ、子供たちを振り回してしまいました
愚かだった自分を恥じ 猛省しました
子供たちに 本当に申し訳なくて・・・
それからは、愚かな自分を 戒めるように
自分を責めながら生きるようになっていきました
全身から《負のオーラ》を発していたのでしょう
時を空けずに
連帯保証人になっていた会社が倒産しました
まさかの出来事でした
私は一夜にして
2億を超える負債を抱える身となったのです
2億数千万・・・
全く現実味のない金額でした
当時の私は 連帯保証人になるということの
重大さも 恐ろしさも
何も分かっていなかったのです
担当の弁護士に、今後についてを相談すると
弁護士は
『返済を 続けていきますか?』
『それとも 終わらせてしまいますか?』
と 抑揚なく聞いてきました
・・・終わらせる・・・?
意味が分からず 聞き質すと
『自己破産をご存じですか?』
弁護士の答えに
全身から 血の気が引くのを感じました
けれど、2億数千万という金額を返済していく
能力も 自信もありませんでした
一生を掛けても返済し切れない・・・
そう考えると 先行きが恐ろしくなりました
私は 『終わらせてしまう』という言葉に
一縷の希望を感じてしまい
自己破産することを決断しました
そこから 十数年に渡る 壮絶な極貧生活と
惨めに落ちぶれていく自分との
葛藤が始まりました
【第2章】
遠い昔の私は 根拠のない自信を持って生きていました
《結婚に失敗しても 何も恥じることはない》
《一人でも子供を育てていける》
《どんな時でも胸を張って 堂々と生きていく》
そんな信条の元、生きていたのです
けれど、1つの躓きから
そんな自信も、信条も いとも簡単に砕け散りました
『薬の依存から抜け出したい』
『一人でいると 誘惑に負けそうになる』
『傍にいてくれたら やめられる』
そんな まことしやかな言葉を
易々と信じ込んでしまったのです
泣きながら縋りつく姿に
《私が この人を救う》と、
決意を固めてしまいました
周りは『やめておけ』と苦言を呈してくれて
離れることを強く勧めてくれていました
けれど私は その言葉も聞き入れることなく、
謎の使命感に駆られていたのです
周りには 分かっていたのだと思います
その人は 薬をやめることはできない と。
私が、そのことに気付いた時には
身勝手に 子供たちを振り回してしまって
周りにも 距離ができていました
自分の愚かさを痛感しました
何より 子供たちへの申し訳なさが
償いようのない《痛み》となって
深く 心に刺さり続けていきました
自己破産の債務整理を終えて
私に残されたのは
わずかな現金と 弁護士費用の返済だけでした
誰とも関りを持ちたくなくなり
全ての交流を断ちました
引っ越しをして 電話番号も変えて
子供たちと ひっそりと暮らし始めました
それまで営んでいたお店も手放し
働きに出ることになりましたが
私は 中卒で、何の資格もなく、パソコンさえも
扱えませんでした
そんな四十過ぎのおばさんを雇ってくれる職場を
見付けるのは 簡単ではありませんでした
ようやく就けた職場はブラック企業で、
身も心も擦り減っていく毎日でした
それでも私は 辞める訳にはいきませんでした
しがみ付くしかなかった
仕事を選んでる余裕などなかったからです
4年が過ぎた頃 ようやく転職先が見付かりました
《退職時には1か月前までに申請する》
という規定を守り 退職願を提出すると
突然の申し出に 気分を害したオーナーは
『明日からもう来なくていい』と憤慨してしまい
翌日から 無職の身となりました
次の採用まで1か月以上あり
そこでのお給料は月遅れに支払われる
それまで 一体 どうすればいいの・・・
不安と恐怖に 眠れない日々が続きました
止めを刺すかのように
そのタイミングで、なんと娘が
怪我をしてしまいました
手術が必要になり 入院となったのです
無職の私は
健康保険の手続きもできていませんでした
手続きを急ぎましたが スムーズに
ことは進まず
学校での怪我だった為に
学校で加入している保険の手続きもありました
私は 毎日、手続きと焦りに気を揉んでいました
娘が痛い思いをしている時に私は
お金の心配ばかりしていたんです
貧しさは 私の心までも
貧しくしていきました
入院費を工面する当てもなく 途方に暮れながら
ダメを承知で 長く疎遠になっていた
遠くにいる兄に 連絡を取ってみました
兄は『久し振りだな』と 言って
余計な詮索もせず 送金してくれました
感謝に 涙が溢れました
次の勤め先はスーパーでした
劣悪な職場から離れたい一心で
ようやく見付けた仕事でした
決まった時は 嬉しくて
解放された思いに 心から安堵しました
けれど、お客様の中に知ってる顔を見掛けると
私は 咄嗟に 通路の陰に隠れてしまいました
見られたくなかったのです
――惨めに 落ちぶれた 成れの果て――
自分を そんな風に思っていたからです。
それからは お客様と目を合わせないように
俯きながら 仕事を続けました
いくら働いても 生活は
苦しくなっていく一方でした
その日暮らしもままならない生活で
残金が100円にも満たない日もありました
メインディッシュが 大盛りのもやしのお浸し
それでも 子供たちは
『ダイエット ダイエット』と
笑って食べてくれました
電気が止まる・・・
ガスが止まる・・・
『お金さえあれば・・・』
『お金さえあれば・・・』
私は 貧乏を恨みました
この世を支配している お金を心から憎みました
数年して
クレジットカードを作れるようになり
キャッシングができるようになりました
少額ずつ 借りて不足を補っているうちに
あっと言う間に 限度額に達してしまい
不足を補う為には また
借入先を増やすしかない・・・
抜け出せない泥沼に 足を踏み入れていると
分かりながらも
どうすることも できませんでした
【第3章】
子供たちは アルバイトをして
自分たちの身の回りのものを
自分たちで賄ってくれました
奨学金を借り 進学して
就職を機に自活を始めました
私は子供たちに 何もしてあげられませんでした
唯一できたのは
毎日お弁当を作って持たせることくらいでした
一人 一人 引っ越していくたびに
寂しくて メソメソ泣いていました
私の身勝手で振り回して 嫌な思いをさせて
なのに 私を一切責めることもせずに
傍にいてくれました
償いきれない申し訳なさを抱えながらも
私には 子供たちが支えだったのです
しばらくすると
それまで我慢していた身体の痛みに
限界を感じ出しました
仕方なく病院へ行くと 医師から
手術が必要だと告げられました
子供たちに伝えるか・・・迷いました
余計な心配は掛けたくなかったのです
何より 医療費の負担だけは
絶対にさせたくありませんでした
病院に相談をし
使える制度は 全て利用して
足りない分は 借り入れで何とかなりそうでした
子供たちに伝え 手術を決めました
職場に伝えると 上司から
『加入している保険会社へ連絡して』
と言われました
職場で 半強制的に加入していた
医療保険があったのです
退院後 申請すると
何と ありがたいことに
入院費を上回る保険金がおりました
復職までの間も 傷病手当金と、保険金で
何とか暮すことができました
療養の為の休職期間だというのに
私は《早く働かなきゃ 復帰しなきゃ》と
焦りに掻き立てられていました
働いていないと 不安で
いたたまれなかったのです
休んでいることに 罪悪感すら感じていました
【第4章】
復職する私に 職場は
身体に負担の少ない部署を
用意して迎えてくれました
勤務先のスーパーは
手広く事業を手掛ける会社でした
移動先は営業職で、
体力的には確かに負担は少ないけれど、
メンタル的には以前よりキツイ部署でした
ところが、思いの外 できてしまいました
成績もトップクラスの仲間入りを果たし
上司の期待も大きくなっていきました
《期待に応えなきゃ》
そのプレッシャーが重く圧し掛かっていきました
成約した時は達成感があり 喜びでした
けれど、上手くいかない時は
その原因が 全て自分にあるように思えて
反省点を探り 一人で苦しくなっていました
配属したてだというのに、
私は、チームリーダーに抜擢されました
私より経験の長い方々にアドバイスをしたり、
まとめていく立場になってしまったのです
新参者の私を 周りは、温かく受け入れてくれました
一層頑張らなければいけない立場となり
仕事のことばかり考える毎日になりました
そんなある日 仲間の1人に
『頑張りすぎだよ』
と声を掛けられました
その人は 仕事にあまり意欲もなく
成績も気にしていない人でした
そして、どうして意欲が沸かないかを
その時 教えてくれたのです
『この会社は、成績がお給料に反映するのは
正社員だけ。私たちは、どんなに頑張っても
お給料は変わらない』と。
確かに、成績が上がっても リーダーになっても
お給料は変わっていませんでした
いくら頑張っても 頑張り損
落胆しました
とは言え、
だからと言って手を抜けない性分の私は
変わらず努力は続けました
何より お客様に喜んでもらえる事が
嬉しかったのです
自分の存在意義を感じられたからだと思います
けれど、『頑張り損』という思いは拭えず
それからは《頑張り過ぎ》をやめました
上手くいかなくても、自分を責めるのを
やめて
『仕方ない』『そんな時もある』・・・
と、割り切るようにしていきました
働き方が 少し変わっていきました
【第5章】
子供たちは 月に1度は来てくれて
幸せな時間をくれます
昔のことなど 話題にも上がらず
近況報告や 仕事のこと 友達のことなんかを
楽しそうに話してくれます
明るい気持ちになり
『私も 前向きに生きたい』
そう思わせてくれました
けれど 私の心の闇は 思いの外 深く
自分を許せない 最大の敵は 自分でした
過去を思い返すたび 胸が苦しくなりました
子供たちへの思いだけではなく
愚かだった自分 情けなかった自分
思い上がっていた頃
惨めに落ちぶれていった姿・・・
まるで これまでの全てが
間違いだったかのように思えました
過去を 消し去ってしまいたい
記憶から追い払って
無かったことにしてしまおう
そう 思っても そうすればするほど
記憶が蘇って 苦しくなりました
いつまでも ぐるぐると思考を巡らせては
闇堕ちする
『誰か 助けて』
と 心の中で 何度も叫びました
許せたら 楽になれる
分かっているのに 許せない自分がいる
前向きに生きたい自分と
過去へ引き戻す自分が
綱引きをしているようでした
【第6章】
私はもう《初老》を過ぎる年になっていました
天井を眺めながら
《このまま ただ 老いていくだけか・・・》
《私の人生・・・何なんだろう・・・》
子供たちに
『これからは 好きなことをして
自由に生きてね』
と 言ってもらいました
けれど 私には趣味もありませんでした
何が好きなのか 何がしたいのかも
分かりませんでした
何も 無かったのです。
自分を責める 気力もなくなって
考えることにも もう 疲れていました
『もう どーでもいい!』
そう言い放ち 考えることを 投げ出しました
過去も 未来も もう どうでもいい
そんな思いでした
そうすると 不思議と
気持ちが 少し楽になるのを感じました
『もう どうでもいい』
繰り返してみました
すると 何だか それまでの全てのことが
本当に どうでもよく思えたんです
あれほど もがき苦しんできたことが
すーっと身体から 出ていくようでした
魔法の言葉を手にした私は 胸が苦しくなると
『大丈夫だよ』『大丈夫 大丈夫。』
『もう いいんだよ』
と、自分に声をかけました
徐々に 心のしこりが溶けていくように
気持ちが 軽くなっていきました
過去を否定するでもなく
悔いるでも 戒めるでもなく
《あるがままでいい》
そう 思えていきました
どんな自分でも それでいい。
かっこ悪くても 情けなくても いい。
私は 懸命に 必死に 生きてきた
よく頑張った
えらい えらい。
【第6章】
それからの私は 仕事中でも
『頑張ってるね 私』
『えらいね 私』
と わざと声に出して言うようにしました
周りは『自画自賛』と笑っていました
そして 自分に掛けている甘々な言葉と
同じ言葉を 周りにも掛けるようにして
それが《当たり前》になっていました
私たちのチームは
いつも笑顔で 励まし合います
成績が伸びなくても『大丈夫 大丈夫』と
笑っているので、
たまに上司に『状況を把握しなさい』と
喝を入れられてしまいます
周りを見渡すと 苦虫を嚙み潰したような
面持ちで 仕事をしている人が多く
不平不平不満を話の種に
盛り上がってる人たちもいます
私はつくづく 幸せを実感しています
いつも優しさに囲まれて仕事ができているからです
ある日 上司から
『資格試験を受けてみないか』と
声を掛けてもらいました
本来は 正社員だけが受けられる試験でした
正社員になれる訳ではないけれど、
今後の役に立つだろう
と、特別に機会を与えてくれたのです
しかも、その資格というのは
《FP》 ファイナンシャルプランナーでした
私がこれまで
恨み辛みを繰り返してきた《お金》
に関する資格です
因果を感じました
勉強を始めると 驚く程おもしろいのです
夢中でのめり込みました
そして、私は《お金が怖かった》
ことに気付きました
無くなっていく恐怖
足りない 不安 苦しみ
家族を苦しめる 元凶とさえ思っていました
お金が 憎くて 憎くて
それが 恐れからきていたことに気付きました
勉強を進めていくに連れ
その感情が薄れていくのが分かりました
不思議と お金の流れが変わっていきました
少しずつですが 借金が減っていったのです
社内試験ではありましたが、
FP2級同等の学びを得ることができました
合格証書を手にした私には
未来が 明るく見えました
もう 背中を丸めて 俯いている私はいません
知り合いを見掛けると 私から
笑顔で声を掛けています
【おわりに】
最後まで読んでいただき ありがとうございました
十数年に渡る 長い長い 苦悶の日々でした
『もう いい』『どうでもいい』と
もっと早くに 思えていたら
もう少し早く 人生を変えることが
できていたのかもしれません
お金への憎しみを もっと早くに
手放すことができていたら
もう少し早くに 貧困生活を
抜けられていたのかもしれません
私は 十数年の歳月をかけてしまいましたが
その苦悶の歳月さえも
今では愛おしく思えています
もし 今 かつての私のように
苦しみの中にいて
この記事を読んでくれていたら
もう 大丈夫です。
だから 一言でもいい
自分に 優しく声をかけてあげてください
『大丈夫 大丈夫』
世界に たった一人の自分に
世界一 優しくしてあげてください
私はこれからも
私に 世界で一番優しい私
で 生きていきます
誰かの希望と 幸せの架け橋になれますように
虹🌈
