女装男子が苦手な理由
私は女装男子とのプレイが苦手だ。
もちろん、ここで言う女装男子とは、日常的に女性として生活している人や、トランスジェンダー女性のことではないよ。
私が苦手なのは、セッションの時間だけ女性に変身し、女王様から女性として扱われることを求めるタイプの人たちだ。
昔は予約が入れば普通に受けていた。
しかし終わると決まってどっと疲れる…
なぜ私はこんなにも疲れるのだろう?
私は、嫌いなものをそのまま放置するのが好きではない。
嫌いなら嫌いで構わない。しかし、せめて理由くらいは知っておきたい。
そして、できることなら嫌いではなくなりたい。
嫌いなものが一つでも少ない方が、人生は生きやすいと思っている。
だから今回、自分の女装男子への嫌悪感について整理してみようと思う。
まず、私は男性を女装させたいと思ったことがない。
むしろ男性には男性らしくいてほしいと感じる。
そして正直に言えば、普段から女性として生きているわけでもなく、身体的な変化も伴っていない男性が、数時間の女装だけで劇的に美しく見えることは少ない。
しかし本人は大変身したつもりでいる。
さらに困るのは、プレイの中でそれを肯定しなければならないことだ。
「可愛いね」「素敵だね」
本心ではそう思っていなくても、ストーリー上はそう言わなければならない。
この違和感は思った以上に認知負荷が高く、私を疲れさせる。
だが、本当に私を疲れさせているのはそこだけではない。
女装プレイを見ていると、私は時々怒りに近い感情を覚える。
女になった瞬間に可愛がられ、守られ、快楽を与えられる。
そんなハッピーエンドストーリーを見ていると、
「女を舐めるな」
という感情が沸々と湧いてくる。
もちろん、相手はそんなつもりではないだろう。
それでも私には、女性の良い部分だけを切り取って楽しんでいるように見えてしまう。
私は、生まれてから何十年も『女性』として生きてきた。
外見を整えること。
年齢を意識すること。
社会から求められる女性像に向き合うこと。
女であることには、楽しいことだけではなく、多くの面倒や不自由さも含まれている。
そうしたものを背負いながら生きてきた私からすると、
「いいとこ取りしやがって」
という気持ちになってしまうのだ…
さらにもう一つ、私には引っかかることがある。
なぜ男性のまま服従しないのだろう。
犬になる。家具になる。ラバー人形になる。
そういう変身願望は不思議と受け入れられる。
しかし女性になるとなると、途端に引っかかってしまう。
おそらく私は、男性が男性であることを維持したまま服従する姿に性的にも価値を感じているのだと思う。
だから、
「女性にならないと服従できないのか」「潔くない」
という苛立ちが生まれる。
もっとも、女性らしい女性になることを拒み続けてきた私が、そんなことを言う資格があるのかと聞かれるとかなり怪しい。
しかし、そんなふうに考えていた私の見方を少し変えた出来事があった。
以前セッションしたある女装男子は、会社ではバリバリの管理職だった。
責任ある立場で働き、周囲からは強さを求められる。
彼は長身でガッチリしていて、どこからどう見ても男性だった。
女装男子というより、年齢的にはもう立派なおじさんである。
けれどセッションの日になると、わざわざ女装サロンへ行き、何時間もかけてヘアメイクを整えてくる。
その手間のかけ方は、正直なところ私よりよほど本気だった。
歩き方や仕草も妙に自然で、女性らしさだけで言えば私の方が負けているかもしれない。
そんな彼が拘束椅子に固定され、快楽責めを受けている姿を見ていると、不思議な感覚になる。
ついさっきまで管理職の男性だった人間が、別の何かに変わっていく。
快楽が深まるにつれて表情は緩み、やがて恍惚とした顔になる。
私はその姿を見ながら、
「この人は一体、何になろうとしているのだろう」
と思った。
彼はこう言った。
「普段の男性の自分のままだと、プレイ中に素直に快楽を表現できないんです」だから女装をするのだという。
女性になりたいからではない。
見た目を女性にして、新しいペルソナを降臨させる。
そうしないと快楽に溺れることができないのだと。
その話を聞いた時、私は少し考え込んだ。
女装とは女性になりたい願望だと思っていた。
しかし彼にとっての女装は、女性になるためではなく、男性であることを一時的に降ろすための装置だった。
女性になりたいのではなく、男性をやめたいのだ。
男性だって、男性を365日やるのは大変なのだ。
そしてその時、私はふと別のことを考えた。
私はずっと、女装男子に対して怒っていた。
しかし、本当に私が怒っていた相手は彼らだったのだろうか?
彼らは「男」でいることに窮屈さを感じていた。
私は「女」でいることに窮屈さを感じていた。
もちろん、その苦しさは同じではない。
けれど、
「男は強くあれ」
「女は美しくあれ」
そうやって性別ごとに求められる役割や社会構造に息苦しさを感じていたという点では、どこか似たものがあったのかもしれない。
以前の私は、花柄のワンピースを着る女性を見ると、
「仕事でもないのに、なぜそんな男に媚びた服を着るのだろう」
と本気で思っていた。
今思えば、私は女性性そのものではなく、自分の中の女性性と喧嘩していたのだ。
女装男子に男性性を押し付けたいのに、自分に女性性を押し付けてくる人間は嫌いだった。
そんな矛盾を私は抱えていた。
私は彼らを見ているようで、自分自身を見ていたのかもしれない。
彼らが女性になろうとする姿は、かつて女性であることから逃げたかった私自身の姿と、どこか重なって見えたのだ。
だからこそ、私はこんなにも強く反応していたのかもしれない。
最近の私は色々あってかなり変わった。
女性らしい服を着ることに抵抗がなくなった。
今の私は、花柄のワンピースも普通に着る。
以前ほど「女性」であることに反発しなくなった。
自分の中の女性性を受け入れられるようになったのだと思う。(私が自分の女性性を肯定する話は、またいつか詳しく書きたいな)
では、今の私が女装男子とセッションをしたらどうなるのだろう?
女装男子を見ると、昔はまず違和感が見えた。
今は違和感の向こうに、その人の葛藤が少し見えるだろう。
そして、その葛藤の形が、自分の過去とどこか似ていることにも気がついてしまった。
次に女装男子とプレイする時、成長した私は何を感じるのだろう。
少し違う景色が見えるのだろうか。
それはまだ分からない。
でも、その答えを少し楽しみにしている自分がいる。
これもSMの醍醐味だね。
では、股!
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