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【創作大賞2026】「産む身体」も「法律婚」も合わない私が、32歳でミレーナを選んだ話【エッセイ部門】

今日は少々マイノリティーな話をしましょう。

この記事を開いて下さった方の状況、お考えによっては読むのがしんどいな、合わないなって
思うかもしれません。
人それぞれ違って当たり前です。

この記事は私の独白。
読んでくださる方の中には
違う考えをお持ちの方も
多くいらっしゃると思います。
「こんな人もいるんだね」って
眺めて頂ければ幸いです。

これは子供を産みたくなければ
結婚もしたくなかった私が
ミレーナという1つの正解に辿り着くまでの
お話です。


まず私について話しましょう。
現在33歳。女性です。
法的婚姻関係にはありませんし
同居もしておりませんが
大切な男性のパートナーがいます。
関東某所の、比較的地方と呼ばれる場所に住んでおります。

こうした背景の人間に
悪意なく投げかけられる言葉があります。

「子供はいるの?」
「早くしないと産めなくなるよ」
「いい人がいないの?」
「老後一人は寂しいよ」

職場の人間には強く牽制している為
もうこうした事は言わせません。
しかし20代半ばは
色々と「世の中の当たり前」について考えさせられるシーンがありました。
30代前半の今も、時たまあります。

また、同居家族の母と祖父。
この人達は都会暮らしが長かったはずなのですが
遠回しに「むむむ?」
な事を言われる事があります。
世代だから仕方ないものなのでしょうか。
遠回しなのは、せめてもの分別でしょうか。
近いからこそ分かり合えない謎も多い。
それが家族ですかね。

先日祖父はケアマネさんに
大声でこんな話をしていました。
「孫は結婚しない、子供も産まない、そうすると天涯孤独になってしまう」
お黙り!…と思いましたが言いませんでした。
直接言われておらず、こちらの立ち聞きのような形だったことや
92歳と高齢で
思考力も衰えた祖父を論破することに
意味を感じなかった為です。

母には、私が20代前半の時に
「孫ハラスメント禁止宣言」をしております。
それは聞くに堪えない発言が目立つようになったから。
「この俳優さんくらい素敵な人なら婿さんにして良いよ」
「もし孫ができたら」
「もし望まぬ子を授かっても、孫は私が育てる」
黙ってて!
婿さんはいらない。子は決して産まない。
これは口に出して言いました。
すると、母にあたかも自分が被害者のように
泣かれました。
「身体の弱いあなたが出産に耐えられない事は分かっている。でも心の中で孫を望むこともいけないの?」
口に出てるのがいけないの。
それに、身体の弱さの話は論点がズレています。


私にはいわゆる結婚願望はありません。
今現在のパートナーとは何らかの形で
生涯添い遂げたいですが
それを叶えるのに
司法の定める結婚という形式を
取る必要を感じません。

夫婦別姓が実現したら
その時は法律婚もアリかもしれませんが
現状では名字にこだわりのある身としては
事実婚が最適解かな、と。

ただ、法律婚でないと
同居していないとパートナーであることが
証明できない等のデメリットも感じています。


しかし、家族の言動への一番の拒否感の源は別のところにあります。
私は妊娠出産を決してしたくないのです。
私は自分が女性であり、出産可能な身体と認識した幼少期から
「子供を産みたくない」と
感じてきました。

この感覚は、パートナーと
ごく僅かな友人のみ
しっかり理解して受け止めてくれています。


「身体が弱いから」とか
「子供がそもそも好きじゃないから」とか
「経済的に不安だから」とか
傍目から分かりやすい
そんな理由じゃないんです。

私は、私が妊娠出産の可能性がある身体なのが
気持ち悪くて気持ち悪くて仕方ないのです。

いや、正確には
気持ち悪かった。
過去形です。

今は、ミレーナのおかげで
限りなく妊娠の可能性が低い身体になれました。


子宮のある身体が気持ち悪い。
産み育てる(可能性のある)性であることが
ゾッとする。

本能でそう思いながらも
現在のパートナーと交際を始めるまでは
具体的アクションは取りませんでした。

細心の注意を払っていても
妊娠することはあるかもしれない。
でもそうなったら堕ろせば良い。
そう考えていたからです。

しかしパートナーと出会い
触れ合う中で
万が一にも
望まぬ妊娠をしてしまったらどうしよう。
愛する人の子を堕ろせないかもしれない。
でも産みたくはない。

そうなったら極端な話
堕ろさない、産まないの両立には
海に身を投げるしか無いのかもしれない。

そんな事を考えるようになりました。

パートナーは
「もしそうなったら堕ろして構わない」
「堕ろせなかったら自分1人で育てても良い」
「いま目の前にいる君の健康と幸せが一番」

そこまで言ってくれて嬉しかったです。


それから、私は
「産まない身体」になる方法を
調べ始めました。
最終的にはミレーナにたどり着くのですが
それまでの記録をこちらにしたためましょう。

一番の望みは子宮の摘出でしたが
こればかりは
どうにも叶いそうにありませんでした。

これは日本の法律によるものです。
「母体保護法」という法律で
病気や多産の場合を除き
子宮の摘出はできないのです。

母体、ねぇ。
私は自らが母体にならない方法を調べているというのに、母体保護法という名の法律に
まず阻まれる事になるのか、と複雑な心境に。


この法律に関しては現在進行系で様々な議論が交わされています。
昨今巷でも話題になっていますが
「緊急避妊薬(いわゆるアフターピル)」
が市販されるようになったから
子宮摘出という方法を取らなくても
望まぬ妊娠はしない、
だから法律は変わらない、らしいです。

しかし緊急避妊薬は
それなりに副作用や禁忌もありますし
性交後72時間以内に飲まないといけません。

子宮摘出の代替え案としてはかなり弱いかと。


と、まぁ現行の制度についてボヤいていても
仕方ないので
次なる案を考えました。
「低容量ピル」
これはメジャーに使われていますね。

しかし私にはちょっと難しい部分がありました。

元々の消化器系の持病などで
すでに10種類ほどの薬を内服しており
飲み忘れ厳禁の低容量ピルが
このメンバーに加わった場合
とてもじゃないけど管理しきれない…。

さらに最大の問題が
「たまにもらいタバコする事」
…いや、今の世の中で褒められたことじゃないのは分かってますけれど。
大学生の頃から禁煙と挫折を繰り返し
現在は一応禁煙中という事で自分でタバコを購入する事は無いのですが
飲みの席とかで
「一本どう?」はありがたくいただきます。
まぁこれは「ちゃんとした禁煙」は
できてないですね笑

低容量ピルは喫煙者は血栓リスクが高まる為
服用できないんです。
ピル服用の為にこの習慣を
改善する気は起きません。
他の動機ならともあれ、今は一旦スルーです。


ここでミレーナの選択肢がやっと出てきます!
色々調べて辿り着くのに
かなり時間がかかりましたが
私にはまさに運命の出会いでした。

まずミレーナとは。
簡単に説明しますと、いわゆる
「避妊リング」です。
T字のプラスチックから妊娠を防ぐホルモン剤がゆっくりと染み出してくるというもの。
子宮に入れることで妊娠を防ぐ事ができます。

また、避妊は目的の1つであり
月経困難症などの病気を抱える人の
治療法としても確立されています。

定期的な検診と
5年に1回の交換が必要ですが
毎日薬を飲むような煩わしい事はありません。

これは私にピッタリでは?と
1ヶ月ほど考えてミレーナ挿入を決めました。


元々、卵巣嚢腫という
卵巣に水が溜まるなどして起こる良性腫瘍で
婦人科に通院していた為
そこで「ミレーナをつけたいです!」と
希望を伝えます。

ミレーナは子宮に入れるものですから
お産経験が無いと
子宮口が狭くて入らないこともあり得ます。
よって産婦人科の先生としては
ミレーナが第1選択にはならず
低容量ピルをオススメしてくるのが普通です。

ここで大切なのは
「なぜミレーナにしたいのか?」を
ハッキリ先生にお伝えする事。

ちなみにこのタイミングは
一応しっかり禁煙できてるかも…?
な時期だったので
やはり初手は低容量ピルを勧められました。

しかし多剤服用で定時服用が難しい事を訴え
無事熱意が届きました。

またこの頃、私はやや貧血気味だったのですが
胃腸が弱く鉄剤服用ができない(副作用で気持ち悪くなっちゃう)ことも決め手になりました。


そこからは早かったです。
その日は事前検診して帰宅でしたが
生理周期を見計らい
後日無事に
ミレーナが子宮に収まりました。

あの時は本当に嬉しかったな。


ミレーナのおかげではありますが
もうほぼ妊娠の可能性が無くなること。
うまく行けば無月経になること。
5年に1回のミレーナ交換を
あと人生で3〜4回行えば
妊娠の可能性をほぼ0にしたまま
閉経に辿り着けること。

これ、ほとんど
私もう閉経できたと言っても過言じゃないんじゃないかな?32才(※当時)ですでに!
勿論閉経とは違うのは分かっておりますが
気持ち的にはそのくらいの勢いです。

嬉しくて何度もお腹を撫でました。

その時に初めて
今まで祝福はしても理解はできなかった
「妊婦さんが幸せそうにお腹をさする」
ってこういう感じなのかな…?という感覚を得ました。

身体があるべき状態になっていて
子宮に望み通りのものが入っている。
妊婦さんも尊いし、ミレーナを入れた私も尊い。

充実感や
1つライフステージを進めた達成感で
いっぱいになりました。


ミレーナ挿入後は
パートナーもすごく労ってくれました。

2ヶ月くらいは
「身体が大事な時期だから無理しないで!」
と過保護なくらい笑
(※本人に不快感が無ければ普通に生活して大丈夫です!笑)

「普通の」男女とは違うかもしれませんが
家族計画を話し合い
私たちにとって望ましい状態にして
パートナーに労ってもらう。

変わってると言われても
これが幸せというものだと感じます。


半年くらいは家族には隠し通しましたが
母と同居している以上
生理が無いことには早晩気づかれるだろうと
ザックリとカミングアウトしました。

ミレーナというものの詳しい説明は省きましたけれどもね。
不可逆なものと母が勘違いしてくれたので
その勘違いは敢えて正しませんでした。

まぁ反応は芳しく無かったです。

「知りたくなかった…」みたいな事を言われ
その後その話題はタブーな雰囲気に。

予想の範囲内ではあるのですが
どうもモヤッとします。

モヤモヤポイントは
「ミレーナ程度でこの反応ということは、例えば私がバイセクシャルだったとして、母は受け入れなかったのでは?」
という点です。

私はおそらく性自認も身体も女性ですが
この点が相違していた場合を
長年脳内シミュレーションしてきたので
こうした緩やかな失望を感じるに至りました。


妊娠、出産への本能的忌避感を感じるようになったのはいつだったでしょうか。

はっきりと自覚したのは
おそらく大学生あたりかと記憶しています。

その年齢までにも
妊娠への強い恐怖心はありました。
万が一にも子を授かってしまったら
学業も何もかも終わりだと。

しかし成人後は
休学するなりなんなり
望まぬ妊娠をしたとしても
やりようはあったと思います。

社会人になってからは尚更
どうとでもなる。

それでも妊娠への恐怖心、子を持つことへの
忌避感は私の中でより強くなっていきました。

その時々のお相手を愛していないからでは?
と他人様からは問われましたが
愛していればいるほど
その人の子を
私の意思で堕ろすことになる可能性に
強い恐怖心を感じました。


一般的に
女性は本能的に母になりたいものだ、と言われているように感じます。

その論理でいくと
私の性自認は女性ではないのでは?と
真剣に考えていた時期がありました。

しかし私の中で
自分自身が女であるということは
揺るぎないものです。
恋愛対象も男性です。

じゃあ私は何なのか?


答えは単なる
「子どもを産みたくない女」です。

この結論に至るまで
10年以上かかりました。

今のパートナーと出会い
身体も心も惹かれ合い
愛情に比例するように
妊娠への恐怖と忌避感が高まっていく中で
やっとこの答えが出ました。

パートナーに優しく触れられ
愛情を言葉で伝えられる時
私は絶対的に「女」でしかない。

だけど、子どもは欲しくない。

これは二律背反じゃなかったんです。


こんな当たり前の結論に至るまで
長い時がかかったのは
無意識に
社会的性別役割分担の考え方に
染まっていたのでしょう。

私はそうした考えに否定的な立場なのに
それでもいつの間にか染まり
「子どもを産みたくない私」を
女性では無いのか?とまで
不確かなものにしてしまっていた。

愕然としました。

私は元来自我が強くて
良くも悪くも染まりにくい人間です。

それでも
街中の広告、周りの人の言葉、テレビ、スマホ…
そうした無意識に入ってくる
「女は母になるのが幸せ」が
弱い弱い毒みたいに
私の神経を冒していたのです。


こうした無意識の毒への気づき、
私という存在のアイデンティティ、
それらはパートナーと話し合い
ミレーナを挿れることで
32歳で初めて得られた確かなものでした。


たかがミレーナ、されどミレーナ。

私の世界は変わりました。

それでもまだ子宮はそこにあるわけで。
ミレーナを挿れて10ヶ月、
もうほとんど生理もありませんが
たまにほんの少しの出血はあり
それは私にまだ忌まわしい子宮がある事を思い出させます。


少し話題は脱線しますが
私は献血をしたくてもできない身体です。

私の血液型はO型。
O型の血液は基本的に不足しているそうですから
ぜひしたいところなのですが
なんせ持病の薬をたくさん飲んでいるもので。
薬を飲んでいても
献血ができる場合もあるのですが
調べたところ私の飲んでいる薬はダメでした。

さて、皆さんはロキタンスキー症候群
というものをご存知ですか?
生まれつき子宮や膣が無い先天性疾患です。

膣は外科的手術で作れますが
子宮はそうはいきません。

このように、私には不要な子宮も
求めている方がいるのなら
ぜひお渡ししたいです。
献血はできませんが
臓器移植はおそらくできます。

勿論、法的・倫理的観点から
簡単ではない事は承知していますが
理想を語るのは自由ですよね。


しかしながら
現状私が閉経までの間
限りなく妊孕機能を
クローズに近い状態にするには
やはりミレーナを使い続けることでしょう。

現在33歳。
繰り返しになりますが
5年に1回交換するとして
あと4〜5回交換したら
閉経を迎えられるはず。

残念ながら子宮は無くならないけど
子宮に何を入れるかは
私が決められる。
だから私は胎児じゃなくてミレーナを入れる。

子を宿す宮殿と書いて「子宮」。
名前からして私の身体には不要です。

新しい名前をつけちゃおう。
「ミレーナの容れ物」
「ミレーナケース」
「筋肉の袋」

うーん。もうちょっと良い名前をつけてあげたいですね!笑


巷で独身税なんて揶揄させてる
子ども・子育て支援金制度。

払うの全然抵抗無いです。

私は産まない。
だけど産む人、産まれてくる子どもは
社会からサポートされて然るべきです。

その代わり、私みたいな
外れ値の存在も爪弾きにはしないで下さいね。
そんな気持ちです。


地方だからか?
日本だからか?

私の感じる息苦しさについて
このような見解がなされることがあります。

でも、多分違うんだろうなって気がします。

都会に行っても
海外に行っても
母性信仰はつきまとう。

どこに逃げても大なり小なり同じ事。


だったら、私は逃げない道を選びます。

なにも大々的な発信活動をしようって事ではありません。デモもしません。

このnoteでミレーナの事を書きます。

周りの人に
私の選択や思想の話をします。


こんなにも思想がはっきりしているのに
私は私が正しいと信じる道を
実際に選んでいるのに
それでも私に薄くベールみたいに纏わりつく膜があります。

それは
「パートナーを父親にしてあげられないことへの罪悪感」

パートナーは優しい人です。
私と違って、子供にも優しい。
元来子供を持つことに否定的な人では無いです。
「君の幸福が一番だ」
「女性の思想に併走するのが自分なりの愛し方」

彼は、自分にも他人にも
無器用なほど正直な性格で
心にもない言葉は出てきません。

心底ありがたい言葉です。

でも心の片隅で
「私を選んだことで、この人は子を持てない」
と、ふとした瞬間に浮かぶ日もあります。

2人の間で子を持たない人生に合意があるのですから、本来必要の無い感情です。


この薄いベールは
なぜ生まれたのか?

私が成長し、生活する中で
レジスタンス精神を身につけると同時に
無意識に刷り込まれていった
「社会の一般的な常識」なのかと
考えています。

一般的な常識など必要としていないと
思っていても
染み付いてしまっている。

簡単には取り去れないベール。

他者に発言すると同時に
私自身のベールを
取ることはできなくても
いつか違う色に染め直してしまおう。

そうした目標をうっすらと掲げています。


そうそう、余談ですが
私は何かと日用品を買い溜めるタイプです。
なるべくお得なタイミングで
何かあった時のために多めに買います。

食品以外の腐らない、必ず使うものは
常に2ヶ月分以上のストックがあります。

それは大抵の場合、役に立つ。

私が管理している家で
トイレットペーパーを切らして困ったことなど
1度たりともありません。(( ー`дー´)キリッ)

まぁローリングストックといえば
それなのですが
やはりデメリットもあります。

そう、ミレーナを挿れて
生理がほぼ無くなって
生理用品が余っているのです…。

ストックを使い切ってから
ミレーナを挿れようかとも考えましたが
私にとっては大きな決断、勢いも大切ですから
生理用品を数ヶ月分ストックしたまま
プレ閉経。

寄付や友人への譲渡も考えましたが
開封済みのものも多く
実現せず。

災害時、怪我時の止血にとても優秀と
聞きますので
とりあえず捨ててはいませんが
さすがに量が多すぎる。

どのように活用しようかな?
せっかくなら楽しいものが良い。

そう考えてひとまず
タンポンの糸を切り
小さな缶に入れて
アロマオイルを染み込ませてみました。

言われなければ
これがタンポンだとは
誰も分からない仕上がり。満足。


最後に少々、苗字の話をしましょう。

私は選択的夫婦別姓を強く望んでいます。

これは賛否両論ある話でしょう。
でも私個人は熱望しているのです。

現状の流れでは
かなり遠い道のりにはなりそうですが…。

私は今の苗字に強い愛着を持っていて
法律婚によって変えることは
選択肢にありません。

パートナーも「それは残さないとね」
と言ってくれています。


私は苗字が二文字。苗字にちゃん付けが
幼い頃より私の愛称でした。

それを失うことは
私の半分を失うようなものです。

パートナーの苗字になった
私のフルネームを読み上げても
文字にして書いても
それは私じゃないほかの誰かです。


この大好きな苗字、でも実は2歳までは違う名前だったんですよ。

よくある話ですが、両親が離婚してまして。

母方の苗字になったのです。

母方の方が経済的、社会的な立場は弱かったので
かなり頑張って私の親権を手に入れたようです。

母の友人の弁護士、母方の祖父母、
色んな人が関わって下さったそうです。


しかしここで、私の苗字をどうするか
母は迷ったようです。

私のペンネームは「ルリ」ですが
実名も二文字です。

そして母方の苗字も二文字。

苗字二文字+名前二文字で
バランスが悪くないか?と
母は考え、友人に相談したところ
「いいじゃん!かわいい名前!」との答えが。

そんな訳で
みんなが色々考えて頑張って
私に授けてくれた
苗字二文字+名前二文字
の私の名前。

フルネームで一生変えたくないです。

前半の「子を持たない人生への無理解」
においては
家族へのドロドロした感情を書きましたが
なんだかんだ
この名前でこの土地で
私を育んでくれた。
その点には感謝してます。


この話は
5年前に周りの人にすると
「相手を愛していれば変えられる」とか
言われたものですが
最近は
「色んな考えの人がいるもんね」
などと反応が返ってきます。

少しずつでも変わっているのかもしれません。
絶望するにはまだ早い。


しかしながら冒頭に軽く触れたように
法律婚をしないと
パートナーが倒れた時などの
医療における決定権が得られない可能性があるのが現状最大のデメリットです。

そこで数年先に実現させたい代替案としては
事実婚をした上で
住民票に「未届の夫」「未届の妻」
と記載してもらうこと。

事実婚でも一応こうして公式文書に
パートナーである痕跡を残す事で
何もないよりは
重要な場面への参加が認められる確率が高いのではないかと考えています。


ただし、この住民票への記載の代替案は
共に暮らさないとならない事がネックです。

法律婚であれば別居婚も可能ですが
事実婚は同居状態に無いと認められない。

2人暮らしは
いつかはしてみても良いかもしれない
と思うけれど
共同生活というものが得意でない私にとって
彼とのパートナーシップを崩してしまいかねない
諸刃の剣です。

また、可能性は限りなく低いものの
どちらかが単身赴任になったら
文面上パートナーで無くなってしまうのは
納得いきません。


この状況でよく聞く意見が
「では男性に姓を変えてもらえば良いのでは?」
というものですが
私達の場合はあまり適しているとは言えません。

パートナーも自身の苗字に愛着を持っている様子ですし
姓の変更にはっきりNOとは言われていませんが
YESとも言われていません。

姓の変更に少なからず抵抗感がある様子の彼に
私がどうしても嫌な事を
押し付けるのは
良い選択とは思えません。


一方でこんなシミュレーションもしています。

私よりも9歳年上の彼が
もしも将来私より先に身体を壊し
私からの臓器移植や輸血で助かるとなった場合。

おそらく法律婚でないと
臓器移植や輸血などの行為は認められない可能性が高いと思われます。

この場合は
どちらかの苗字を犠牲にしてでも
一時的にでも
法律婚をするつもりです。

このシミュレーションにおいては
私が健康で動ける状態ですから
私が苗字を変えるでしょう。

苗字は私の半分。
ある意味、
私にとっては臓器よりも血液よりも
大きな犠牲です。

それでもその犠牲を払う事で
愛する人が助かるなら。


逆に言えば
それくらいの状況にならなければ
私は苗字を変えたくないという事です。

ある人にとっては
すんなり幸せを感じながら変える苗字が
私にとっては内臓をえぐられる程に
変えたくないのです。


願わくば、そんな状況が起こる前に
選択的夫婦別姓の実現が叶いますように。


いかがでしたでしょうか。

産みたくないこと、夫婦別姓のこと。

私のことを「リベラルな人」だと
お思いですか?
そう見えるかもしれません。

しかし私には明確なスタンスや心情がある訳ではなく、まして政治的な背景みたいなものもありません。
もちろん一市民として
選挙には行きますが。


こうして自分の思想やスタンスを
明確に言語化すると
誰かとの対立構造が
どこかに生まれそうな世の中ですが
私は何かと対立したい訳ではなく
ただただ
やりたいこと、やりたくないことを
表現しただけです。


やりたいこと、やりたくないことを
心の中に思っているだけの状態と
こうして書いて
他人様の目に触れる場所に出す状態。

世界から見れば
本当に小さな小さな事だけど
バタフライエフェクトのように
何かを起こす可能性が少しでも増えるなら。


幸いにも表現の自由が存在するこの場所で
小さな蝶の羽ばたきの風を作れたら、と
筆を執った次第です。


驚く事に、日本でもそう遠くない昔
妊娠中絶は法的に罰せられる行為でした。

今の時代を生きる我々がこの事を振り返ると
多くの人は「そんなバカな」と感じるのではないでしょうか。

こんなに社会や常識は変わっていく。

そう遠くない未来で
「ミレーナをつける人は少数派だったらしいよ」
「夫婦は同じ苗字にしなきゃならなかったなんて驚きだね」
そんな風になっている事も
可能性としては否定できない。


ずっと先の自分の死後ではなく
できればそんな時代を
この目で見届けたい。


多様性なんて言葉も
当たり前すぎて淘汰されれば
良いと思っています。


もちろん、全員が
同じ考えを持つ事のほうが不自然です。

リベラルな考えの人のほうが
違う考えを持つ人に不寛容だ、と言った説を
聞いたこともあります。

保守的な人との会話を無駄だと打ち切ってしまう傾向にあるとか。

これは我が身を振り返ると
あながち他人事ではありません。


他者や社会に寛容を求めるなら
自分自身も
自分とは異なる考えに聞く耳を持つ必要はある。

これを自分自身の肝に銘じた上で
生活者として観測者として
なるべく遠くの未来まで
自分の目で見届けていきたいです。


先のことは分からない、だから面白い。

私は子供を持たないし
余程の必要に迫られなければ苗字も変えない。
 
時代と場所が違えば
こんな事を言って回れば
魔女狩りに遭っていたかもしれませんね。


少なくとも
物理的に危険な目に遭わず
こんな話を文章にして
世の中に出す事ができる。

この時代、この場所は
満足はできないけど悪くない。


50年後にこの記事を読み返した私が
「そんな時代だったな」
なんて言っているところを空想しつつ
筆を置きます。

長文にお付き合い頂き
誠にありがとうございました。


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