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父のいた人生と、父のいない人生。


父が亡くなった。

2017年大晦日の朝のこと。
私は日本海にいた。

9時は回ってなかったと思う。
母からの電話は怖かった。

「なんですぐ出てくれないのよ。
お父さんが倒れたの!倒れたのよ!
ねえ、聞こえてるの?!」

うん。
それで、大丈夫そうなの?
と、様子を伺った。

「なんでそんなに冷静なの?!
お母さんもうどうしていいかわからない。
お父さんもう手が少しだけ冷たいの...」

嘘でしょ、と思った。
救急隊の到着を待っているのか
救急車の中からなのかもう
よく分からなかったけど
あまり考えないようにした。

どうか大丈夫でありますように。
とか願ったら死んでしまいそうだったから。

きっと大丈夫でしかないから。
まさかそんな訳あるはずないから。

程なくして母から二度目の着信。
10時を回っていたように思う。
すかさず出た。

「お父さん、亡くなったから。」


_

翌朝の元旦ほど辛い目覚めはなかった。

「明けましておめでとうございます」
新年を祝うべく山陰を訪れていた
我々夫婦は昨日の内に大阪に戻っていた。

昨年出たばかりの実家へ早々に帰る羽目になった。
不本意だった。

会えもしない父に会いに行くなんて。
こんな悲しいことない。

死について思いが巡った。
失踪したり、不慮の事故だったり、
事件や災害、色んな命の終わり方があるんだよな。
もっとしんどいんだろうなとか。

気持ちをごまかすために、
父の突然の死、とか適当に検索した
ブログ記事を読んだりした。

最期に声かけてやればよかった、
とか後悔が書いてあったりした。

みんな色々あるよな、とか必死に共感しに行った。
そうでもしないとどうにかなりそうだった。



_

夕方だろうか。埼玉の実家に着いた。
確かに父は横たわっていた。
白い布をめくるとやっぱりそうだった。

「お父さん!」
思わず泣いた。わんわん泣いた。
だって、生気がなかったから。
本当に、死体だったから。
生身の温かさが微塵も残ってなくて
ひんやり冷たかったから。

通夜、葬儀は三が日明けに執り行うことになった。
遺体保存のために毎日業者さんが
ドライアイスを変えにきた。

これ以外の記憶はあまりない。

いつもは好きな正月のお笑い番組も
あまり楽しめなかった。


_

父、火葬場へ。
玄関への通路が狭いとのことで
担架が通らなかったのか?
そんな感じなのかな葬儀屋さん界隈は。

何せ初めてのことなので分からない。
男二人がかりでも持ち上げるだけで精一杯だ。

遺体は重い。
力の抜けた水の袋はものすごくずっしりしてる。

私も一緒に支えたから手の感触が残ってる。
曲がり角で、頭がぐにゃりとなって、ひえぇっとなった。
お父さん、ごめん。

焼く前に挨拶の儀があった。
最期にお母さんが「じゃあね」と声をかけてた。
火に飲み込まれていくのを見たら
声を上げて泣いてた。

お父さんが焼かれていく。
死の直前まで習得していた
難しい資格をインプットしたはずの
明晰な頭脳も灰になってまうんだ。

死んだら終わりなんだ。

煙突から出る黒い煙を眺めながら
人間の変容について考えた。

_

父、骨になる。

ああ、こんなにもあっけなく肉体は
なくなるんだ。

お父さんが、こんな
バラバラになってしまった。

頭部、背中、腰、脚、などと
解剖学的な説明が入る。
これは仙骨ですね?とか
私も無駄に知識をひけらかす。

骨壷が小さく入りきらなかったのか、
係の人が、上からぎゅって潰しますよ?
いいですね?とかお母さんに確認する。

そんな鋭い目で言われたら、
いやとは言いにくい。
ミニちりとりで、ぎゅうってしてるとき、
お母さんも目をぎゅうってしてた。

いたたまれなくなった。


_

通夜、葬儀が終わってほっとした。
たくさんの人がきてくれて
お父さんも嬉しかったと思う。

みんなでご飯を囲んだ際、
遺影にも同様にお供えされた。
最後にグラスビールがぽつんと。

旦那さんが
「お父さん、今さら?って思ってるやろな」
と言ってきて笑えた。

確かに、結婚式に参列する時も
乾杯前から酒を注文する人だったから
食後にビールはない。

遅すぎたね。
もっと早く気づいてあげたらよかった。

_

ひと通り済んでから弟がぽつりと言った。
「俺、ともみに先、泣かれちゃったから
ちゃんと泣けてなかったんだよね」

そうだったんだ。
それはそれは。すまなかったねえ。

弟の奥さんが、知ってるよ、
こないだソファで顔のタオル外したら
泣いてたでしょう。

「でも、ともみみたいに、
お父さんの前で、お父さん!
みたいに発散できてない。
俺、お父さん死ぬの初めてだし」

そりゃ誰だってそうだ。
弟31才、私33才の時分だった。

「昔、俺が高校の時、
同級の親父が死んで、
そんときは大変だなー、
とか呑気に思ってたけど、
父親死ぬって
こんなに辛いなんて思わなかった」

私も同じことを思っていたから分かる。

大学の時の知り合いの子が、
Dear, Dad. I miss you.
みたいな投稿を
命日のたびに上げていて、
むちゃ好きだったんだな
お父さんのこと
とか思ってたもん。

そんな特別な感情なんかじゃない。
家族って、
親って、
特別な間柄なんだ。

その人だけの記憶が、
積み重なっているから。

「それに俺、
ともみやお父さんみたいに
LINEのアイコン自分の写真にするとか
できないタイプだし。
全然、お父さん似じゃないし。
だから、もっと学びたいことあったのに…」

え?でも半分は同じ血液が
流れてるのに?
と思わず返した。

弟は少し驚いたように、
「ああ、本当だ。」

とつぶやいた横で奥さんが
さすがお姉ちゃん!
と言ってくれて嬉しかった。


_

 「君は波なんかじゃない。海の一部なんだよ。」


そんな話を読んだとき、
私はあの日の弟との会話を思い出した。

私たちは、
似ているか、似ていないか。
見えるものでばかりで、
人とのつながりを測ってしまう。

でも、本当にそうなのだろうか。

あの一言は、
見た目の話ではなく、
もっと深いところの話だったのかもしれない。

「ああ、本当だ。」

弟は、
そう言って妙に納得していた。

「俺の半分、お父さんの血が流れてるんだもんな」

父の姿が見えなくなってさらに、
父の存在は現実味を帯びていた。

父に会えなくなったらの方が、
父との会話が増えたようにも思う。

父の好きだったものや場所に出くわすと
私は自分のことを見つめ直しているし、

父に似た言動がこぼれるたびに、
もはや私は父なのだとさえ思う。

見えないものが身体の中に宿っている。
それは記憶なのか、血なのか、
もっと別のものなのかは分からない。

父の死をもって確信した感覚だ。

血液も
体液も
海水も
別々のようでいて
どこか同じものを感じる。

「私」という存在は、
私一人だけでできているわけではない。

人は家族につながっている。
身体は海につながっている。
海は地球につながっている。

そう考えると、
境界とは何だろう。

どこからが「私」で、
どこからが「あなた」なのだろう。

あの日、
弟は「ああ、本当だ。」と言った。

あのひと言と波の話はリンクしている。

私たちは波ではなく、
海の一部なのかもしれない。

その海は、
今も私たちの身体の中を静かに流れている。
あの日、流した涙がしょっぱかったように。

元日に届いた年賀状。
前日に亡くなった父からだった。

家を出て初めて届いた一枚であり、
最後の一枚になった。

そこには、
「思うようにならないことにこそ価値がある。」
と書かれていた。

父は、
いなくなったのではなかった。

会えなくなってからの方が、
父との会話は増えた。

父のいた人生と、
父のいない人生。

どちらも、
父と共に生きている。

そのことを、
父に会えなくなってから知った。

あの日、
私は日本海を見ていた。

あの海を、
今も憶えている。

#創作大賞2026 #エッセイ部門

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