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「二人とも失うかもしれない」あの日の夫の恐怖を知って、私は孤独を手放した。

今日は、夫のことについて話そうと思います。
子どもをなくすという経験をした両親として、あの日からどのように過ごしてきたか、どのような夫婦関係であるか。

彼はスウェーデン人で、3年前に結婚しました。
ちょうど交際中、コロナ禍がどんぴしゃに重なり、大げさでなく2年2か月、まるまる会えない状況に追いやられました(飛行機は全て欠航だったし、そもそも鎖国状態で、外国人の入国規制もあり、本当に自分たちのチカラではどうしようもない状況だった。)
この状況は、あらゆる国際カップルや遠距離恋愛をしているカップルの「お試し期間」となったようで、コロナ禍で破局するカップルも多くあったようだ。そりゃそうだと思う。

でも、私達はちがった。会えない期間も、本当に毎日(1日も欠かすことなく)連絡を取り合って、むしろどんどん絆を深めていった。
平日はお互い仕事をしているので、時差もあるしテキストのみのやりとりだったが、週末には必ずテレビ電話を1時間~1時間半くらいした。

そして、会えないならしょうがない(どうしようもない)から、気持ちを切り替えて、それぞれの仕事やキャリアアップのための勉強、趣味などを満喫して、お互いの人生を楽しんでいた。(それが、遠距離恋愛の秘訣だとも思う。相手に依存せずに、自分の人生をまずは楽しめるかどうか!)

今思ったら2年って超長い期間だし、よく乗り越えたなって思う。しかも私は当時30代半ばで、結婚や未来について真剣に考えている時期だった。

それでも、この人だ!ってお互いに思える相手だったから、お互いにソウルメイトだなって確信していたから、別れるという選択肢は1ミリもなかった。なるようになる、って本当に一切の不安なく、おおらかに2年間過ごせていた。

当時は、いつ国境が再開するのか、いつ飛行機が飛ぶのか、出口の見えないトンネルの中にいるような感じだったにも関わらず。しかも、結果として2年で終わったものの、最中においてはお尻がわかってる2年じゃない。
「次いつ会える」ってわかってるもしくは、遅かれ早かれ再会の目途が立ってる遠距離恋愛なら、その次会える日を指折り数えてがんばれるだろうけど、次いつ会えるかもわからない、国境が開く(飛行機再開する)のが、1年後なのか2年後なのか、もしかしたら5年後なのか・・・すらわからない、みんなマスクして緊急事態宣言が何度も出て、混沌とした世の中だったにも関わらず。

そんな状況をも、変わらぬ愛で乗り越えた私たち。まさか、その未来にこんな悲劇が待ってるなんて想像だにしなかった。

けれど、以前、このように書いたように、

こんな辛い経験、絶対ぜーーーったいもう二度としたくないけど、もし、今回の記憶は全て忘れてしまって結末(運命)は変えられないとしても。
もう一度シモンに会えるなら、会いに行きたい。
そう思うくらい。
会いたい。
それくらい大切な出逢いだったんだ。
それくらい、大切な人なんだ。
当たり前だけど。

この感覚は、ふと、
「ああ、人は生まれる前に誰と会うか、何を経験するか、等すべて決めてくるっていうけれど、確かにそうかも」って妙に腑に落ちる感覚でした。
私は、シモンとこうなる運命だったとしても、シモンと出会うという人生を選んで生まれてきたんだと思う。
そして、シモンも、こうなる運命だったとしても、私というママに逢うために生まれてきてくれたんだと思う。
本当に、魂同志の約束というか、深い深い繋がりあるんだな。

記事「たとえ結末は変わらなかったとしても、私はもう一度息子に会いに行く」より

こう思えるくらい、大切な唯一無二の私達の息子(シモン)との出逢いを経験することができた。だから、やっぱり私は夫と出会って、一緒になって、本当に良かったって思ってる。

で、親として本当に身を引きちぎられるような経験を共有したわけだけれど。本当に、息子が生まれてから天国に見送るまでの6日間は特に、まさに「人」という字そのまんま、「人」という字はよくできてるなぁと妙に感心するくらい、お互いに横並びになってもたれ合って、おいおい泣いていた。

息子を見送り、1週間ぶりに帰宅して、また2人生活に戻ってからは、主に私の方がずっと泣いていた。母親として、トツキトオカ一心同体で共に過ごしたわけだから、肉体的にも精神的にも、私の方が圧倒的に喪失感は大きかったと思う。

だから、私より普通に過ごせている(ように見える)夫を見て、温度差を感じたこともある。でも、夫は夫で男性として、仕事や趣味に集中することだったりで悲しみを紛らわせていたのだと思う。そこは、男性ならではの癒し方で、感情派な女性とは違うかったりする。それに、どっちもが絶望のどん底から抜け出せなかったら「共倒れ」になってしまうから、この絶妙なバランスがあって助かったな、と今では思う。

温度差を感じていた時、「私ばっかりが、こんなに辛いの??母親の方がそりゃ父親よりも何倍も辛いと思うけどさ・・どうせこの私の苦しみは誰にもわからないんだろうな・・」って、ある意味孤独を感じた時、事後の病院とのやり取りの中で、初めて知った事実があった。

それは、緊急帝王切開の末、赤ちゃんが心肺停止の新生児仮死状態だったものだから、現場はものすごくバタバタとカオスになって、さらに「母親(の状態)も安定していない」的な言葉を夫は耳にしたらしい。(私は2150mlの大量出血だった。)

その時、夫は、「二人とも失うかもしれない」という恐怖で震えていたらしい・・・その話を、病院とのやり取りの中で初めて聞いたものだから(夫はトラウマすぎてわざわざ夫からは私にまだ話せていなかった)、麻酔で意識のなかった私(知らぬが仏…)には到底知らない壮絶な体験をも夫はしていて、夫は夫で本当につらい思いをしたんだな、と理解できた・・・

私は、麻酔から意識が戻ってからしか実際に見ていないし知らなかったけど、夫は、目の前で息子がこのままなくなるかもしれない、という危機をも体験し、さらに妻まで危険な状態を目の当たりにするというのは・・・本当に本当に逆の立場だったら身が持たないほどの辛さだ・・

このことを知る前、私が息子を想い泣いている時に、夫は抱きしめながら「シモンのことはもちろん悲しいけど、Marikoが生きていてよかった」と何度も言ってくれた。その時は正直、ただの慰めかと思っていた。
けれど、今は夫のこの言葉が、本当に心の底からの言葉だったんだな、とよくわかる。

そのことを知って以降、「自分ばっかりがこんなに辛いのか」と思うのはやめようと思った。人は、実はこちらが知らないだけで、こちらには想像できないような色んな感情を内に秘めているかもしれない。だから、お互いさま。
(それでも、母親の喪失感、辛さは、まちがいなく想像を絶するものがある。口にして伝えないと理解してもらえなくて当たり前かもしれない。だから、こちらの気持ちをわかってほしいからこそ、あえて言葉にして伝えるのも大事と思う。)

もちろん、時には夫の方が感情を吐き出した時もある。そんな時は私の方が自然と少しでも気持ちが軽くなるような言葉をかけることができたり(とにかく相手の感情がめちゃくちゃ理解できるからこそ、まずはそうだよねって受け止めるのが大事だけど)、私が落ちていて視野が狭くなっている時には、夫が自然と、高い視点から救われるような言葉をかけてくれて、一気に気持ちが変わったり。

そんなことが何度もあった。
お互いに、本当に支え合ってのこの1年だった。
お互いがいたからこそ、乗り越えられた。

今、振り返って改めて思う。本当に、共倒れしない”絶妙な”バランスで支え合い、さらに息子を通して、息子からも愛をたっくさん受け取って、ますます私たち夫婦は家族として絆が深まった、ということ。これは、まぎれもない事実。

だから、色んな感情の末にいつも最終的にはここに行きつく。

シモン君、私達のところにきてくれて本当にありがとう。
生まれてくれて、がんばってくれて、本当にありがとう。

そして、いつも当たり前に私の一部としていてくれてるフレちゃん(夫)、ありがとう。

夫は妊娠中から、「Marikoは宇宙一すばらしいお母さんになるよ」と言ってくれていたけど、今も変わらずシモンを毎日思い続け、その愛を行動に移している私の姿を見て、「Marikoは宇宙一すばらしいお母さんだ」と言ってくれている。(のろけ?みたいになってしまうけど、こんなところでしか書けないので書かせて・・)

本当に本当に色んな感情を経たからこそ、だけど、今は孤独は感じていない。



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