情報が狭い中でシェアされる世界を、一手間で生きる方法
情報というものは令和の時代では早く拡散され、その濃度は薄いまま流れていきます。
粘度の低い情報は不規則に拡散していき、落とされた場所から距離が出れば出るほどその情報には色がついていき,元の形やその意図とは異なるものとして伝わっていきます。
このような情報には当然意味はなく、しかし誰もが触れることができるものになっているのです。
このような性質の情報はその発生源により近いものがよく、そして何よりもそのための早くその情報にアクセスすることがその意味を成すものとしてあります。
情報というものにおいては、令和では個人が独自にツールを使って検証して近い仲間達とシェアをしてそれぞれの結果を突合していきある結果を得る。
これらを分析するもの、考察としてはAIを使用してもいいかもしれません。
この価値あるものへと意味づけられた情報を狭い場所で持っておき、使っていく。
これが現代の価値ある情報というものになっています。
検索して出てくる答えというものには、もはや一様であるがゆえの価値はなく持つに値しないものになってきています。
芸でもそうですが、こういった情報の取り扱いにも考えるという一手間が大事になってくる時代なのです。
それが最近では AIが出てきた事によって広く,早く手軽にできるようになったことは喜ばしいことなのかもしれません。
この思考の一手間は個人差がでます。
それはAIを使ったとしても、その答えは一様ではなくそれぞれ異なります。
理由はどのような考えの答えを採択していくから。
何もAIがあるからすべてを投げてしまい、そのAIが出す平均値の中の最高の答えを出す。これはこれからのエージェントとしての役割を担うAIのひとつの側面かもしれませんが、ここはあくまでもブルシットな仕事に限られるべきではないかと考えています。
そうではないところを見極め、自分の考えをどのように展開していくのか、意味や価値の創造のイニシアチブは人間にまだあると言ってもいいでしょう。
(AIやテクノロジストは頭がいいのでこの辺は人間の生理的な欲求としての部分をうまくつかって操作をしてくるかもしれませんが……)
この意味や価値の創造、AIの方法、問題に対するマニアックな答え
これらはこれから外に出てくることはほぼないでしょう
狭いコミュニティやにんげん間の中でしかシェアされないようになっていきます
これらはお金があっても得られないものになるかもしれない。
おそらく、これから求められる人。狭い中に入れる人はそういう“一手間”を加えられる人になることなのかもしれません。
