地球より身近なパラパラ論
最近、私は地球の自転よりも、米粒一粒一粒の自由を気にして生きている。
つまり、チャーハンである。家庭用コンロでいかにパラパラにするか——という、文明の危機とはまったく関係のない問題に、毎晩のように取り組んでいるのだ。
中華料理店のチャーハンは、たいてい火炎放射器のようなコンロと、宇宙船のアンテナみたいな中華鍋を使っている。
それに比べて、我が家のコンロは、ちょっと強めのろうそく程度の威厳しかない。
最初は「こんな貧弱な火力でパラパラになんかなるものか」と思っていたが、人間というのは不思議なもので、できないと言われれば余計にやりたくなる。私はいつしか、「虚弱コンロ解放戦線」の一員として日々チャーハンを炒めるようになった。
結論から言うと、家庭用コンロでも、米はちゃんとパラパラになる。
問題は火力ではなく、段取りと執念なのだと、私は最近悟りつつある。悟りにしてはスケールが小さい。
まず、フライパンを熱する。
油を少し入れて、うっすら煙が立つくらいまで、とことん熱する。
ここで弱気になってはいけない。中途半端な温度でご飯を投入すると、米粒たちは互いにしがみついて団結してしまう。団結力の高いご飯ほど、チャーハンには向かないものはない。
十分に温度が上がったところで、私は卵を落とす。
このとき、いきなりかき混ぜない。
まずは目玉焼きのように放っておくのである。なぜそんなことをするのかと言えば、白身がやたら水っぽいからだ。
世の中には、「溶き卵をご飯と混ぜてから炒める」とか、「先に卵を半熟にしてからご飯を入れる」といった立派なセオリーが存在するが、私の白身は、そういう綺麗事では処理しきれないほど水分を抱えている気がする。
そこで私は、まず白身の水分を飛ばすことにした。
フライパンの上で、卵の縁がちりちりしてきたころを見計らって、こう叫ぶのである。
「君に、めがけて!」
別に誰も聞いていないのだが、そこへドサッとご飯を投入する。
卵は驚く暇もなく、ご飯の下敷きにされる。白身から抜けかけた水分と、米の表面の水分と、熱と油がそこで一気に交渉を始める。卵の乳化作用だのなんだのという専門的な話もあるらしいが、私に言わせれば、「君にめがけて入れる」とパラパラになる、でよい。
ヘラでご飯を切るようにほぐしていくと、不思議なことが起きる。
さっきまで団結していた米粒たちが、急に個人主義に目覚めるのだ。
一粒一粒が卵と油をまとって、他人と距離を取り始める。
フライパンの中で、ささやかな自由主義革命が進行している。
こうなると、家庭用コンロの火力でもじゅうぶん戦える。むしろ、あまりに強力な火だと、私のような素人はその革命を一瞬で黒焦げにしてしまいかねない。
ここまでくれば、あとはお楽しみタイムだ。
刻んだチャーシューとねぎを投入し、ざっと炒め合わせる。
味付けはシンプルに、塩、こしょう、そして最後にちょっとだけ醤油を鍋肌から回しかける。
じゅっと香りが立ち上ると、私はいつも「よくやったな、俺」と小さくうなずく。
地球の自転にはなんの貢献もしていないが、フライパンの中は、なかなか良い速度で回っている。
皿に盛ったチャーハンは、箸を入れると、さらさらと音を立てる。
米粒が互いにくっつき合わないという、ささやかな奇跡。
私はその音を聞くたびに、二十一の夏に造成地で見上げた星を少し思い出す。
あのときは「地球って、まるいね」だったが、今の私は「チャーハンって、パラパラだね」と一人で頷いている。
世界は広く、宇宙は果てしないが、家庭のコンロの前で得られる悟りも、案外悪くない。
そしてまた次の夜、私はフライパンを熱しながら考える。
地球の内部構造はよくわからないが、少なくとも我が家のチャーハンの内部構造については、だいぶ詳しくなってきた——と。
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