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零れ落ちた足跡を、ポケットにねじ込んで


人間は、一日に何度も小さな分岐点に立ち、そのたびに何かを切り捨てながら歩いている。 今日食べる昼飯のような些細な選択から、進む学校、就く仕事、そして人生を共にする人間を選ぶといった、人生の舵を大きく切る選択まで。

たとえば、目の前に二人の人間がいるとする。Aさんと結婚するか、Bさんと結婚するか。あるいは、あの時あのプロポーズを受けるか、それとも一人で生きる道を選ぶか。 私たちは、どちらか一つの身体しか持っていない。だから、同時に二つの道を歩くことは絶対にできない。どれほど心が引き裂かれそうになっても、必ずどちらか一方に重みをかけ、もう一方の選択肢を「選ばなかった世界」として闇に葬ることになる。

厄介なのは、選んだ道が「絶対に正しい」と言い切れる保証など、どこにもないということだ。 そして同じように、選ばなかった道が「正しかった」のかどうかも、永遠に確かめる術はない。歩まなかった方の道は、いつだって脳内で都合よく美化され、まばゆい光を放ってこちらの出方を窺ってくる。

だからこそ、私たちは「選ばなかった方」を、そう簡単にゴミ箱に捨てるわけにはいかないのだ。

それは綺麗に片付いた過去にはならない。ふとした夜の静寂や、現実の理不尽に頭を下げた瞬間、背中に冷たくまとわりつく「後ろ髪」になり、割り切れない「未練」になって胸の奥をチリチリと焼く。 「もしも、あっちの道を選んでいたら」 そう思うことは、決して逃げでもなければ、今を不誠実に行きている証拠でもない。

むしろ、その未練や後ろ髪こそが、人間が血を流して生きている証そのものなのだと思う。

選ばなかった世界を、なかったことにして忘れてしまうのは器用で楽な生き方かもしれない。けれど、傷つかないために過去を都合よく塗り替えるくらいなら、選ばなかった世界を「忘れたらダメだ」と胸に抱き続け、生々しい未練を引きずって歩く方が、よっぽど人間らしい。

どちらが正解だったかなんて、死ぬまでわからない。 わからないからこそ、私たちは選ばなかったもう一つの世界を、愛おしい未練としてポケットにねじ込んだまま、今日もこの泥臭い現実の一歩を踏み出していく。それが、割り切れない感情を抱えた人間の、本当の生き方なのだ。

だからこそ、私はペンを取るのだと思う。 私が書く小説は、あの時、選ばなかった物語を、もう一度この手で小説にしているような気がする。

選ばなかったもう一つの世界を、愛おしい未練としてポケットにねじ込んだまま、今日もこの泥臭い現実の一歩を踏み出していく。それが、割り切れない感情を抱えた人間の、本当の生き方なのだ。

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