不思議クエスチョン
昼は散歩をするのですが、ポツリと雨粒が鼻先に落ちきてきました。傘も持っているし、大雨にはならなさそうだと思いましたが、引き返しました。撤退する練習だと思うことにします。なんでも進めば良いわけではなく、ときには引き返す判断も必要になります。大事なときにやめる決断ができる自分でありたいと思います。ポーカだって、ずっと勝負していたら勝てません。
他人に流された判断をするのをやめたのが一番良かったかなと思います。自分は興味がないけれど友達がたくさんいるコースと、自分は興味があるけれど、あまり評判の良くないコースがあったときに、自分の興味を基準にして選べたのが良かったと思います。結局、自分で選んだ道は楽しかったし、新しい友達もできました。このときに他者に大事な判断の基準を委ねるのは間違っていると考えるようになりました。
あとはやっぱり、大人数でやる作業を諦めたのも大きかったなと思っています。10人くらいでグループワークをしたことがあって、全く、その空気に馴染めなかったのです。役割を決めて、手を取り合って、仲良く作業に取り組むというお行儀の良い行動が取れなかったのです。大事なことはグループの和を乱さないことであり、決まった手順でロールプレイをすることで個性は滅しなければならないと直観しました。こういうのはやらないことにしようと決めました。
今にするとどちらもやめて良かったなと思っています。結局、自分の基準が自分にとって一番正しくて、社会的に言われる普通と言われる基準は正しくないことが往々にしてあるのだなと。
「私たちは、どこへ行くと思います?」
「どこへ?」
「どこから来た? 私は誰? どこへ行く?」四季はきいた。
「貴女は、貴女から生まれ、貴女は、貴女です」犀川は答える。「そして、どこへも行かない」
四季はくすくすと笑いだす。
「よくご存じですこと。でも、その三つの疑問に答えられることに、価値があるわけではありません。ただ、その三つの疑問を問うことに価値がある」
不思議クエスチョン
不思議とは選択です。物事を当然のこととして肯定的に捉えるのか、それとも不思議という感覚をもって懐疑的に捉えるのかの選択です。例えば、灰色の厚い雲が出てきたら、雨が降るのは当然のことと理解して、何も考えずに傘を差すのか。あるいは、どうして雨が降るのだろうと不思議に感じるのかどうか。不思議だと感じることができれば、白い雲だと雨が降るのは稀なのに、灰色の雲だと雨が降るのはなぜだろうか、と疑問を持てます。
疑問を持つことが問題解決には欠かせません。正しく質問を抱ければ、問題の8割は解けたも同然だと言うほどです。ですから、不思議という感覚から、疑問を作り出すプロセスを大事にしています。
不思議なことが見つかれば、それだけでnoteに書けます。不思議なことを見つけ、疑問に変えれば、AIが大抵の場合は答えを示してくれます。AIは疑問も作ることができます。ですが、起点となる面白い不思議を見つけるのは、まだ難しく、人間の感覚に依るところが大きいのです。
大人になっていくにつれて、世界は物理法則で動くだけの当たり前の連続にしか見えなくなります。脳が学習して、物理法則を理解し、科学が不思議を消し去ってしまうからです。大人がつまらなさそうにしているのは、余裕がなくなって、理に慣れてしまって、世界にある不思議が見えなくなってしまうからです。なので、そうならないように、不思議という感覚を大事にしたいと思うのです。
世界は不思議に満ちているから、好奇心をもって、疑いの目で見なければなりません。それは世界が信用ならないのではなくて、楽しみを見出すのに欠かせないからです。
