ASD(アスペルガー)目線で,ASDを見てみる

 私がASDであることは,多分記事を読んでくれる人は知ってくれていると思う。そんな私だけれど,一般的にASDと称されるような人とは,また違う性質を持っていると自覚している。

 一般的には,コミュニケーション障害とか,そういうふうに言われるものだし,全く間違っていない。だが,私の場合はその辺は軽度であったようで,中学生になったあたりから人との関わりでトラブルを起こすことが無くなった。今となっては,「俺ASD(アスペルガー)だよ」とサラッというと,「え,ASDなの!?」と驚かれるほどで,自己認識でも人と関わっている時にはASD感はほとんどないと思っている。

 だが,当然,これは後天的に直したからであり,小学校の頃とか,それより幼い頃なんて相当ひどかった。ああ,そう考えると重度なのかもしれない。何はともあれ,小学校の先生や親,友達にはとても感謝している。

 さて,そんな私だが,言語学を勉強していて,私以外に言語学を勉強するために大学に入ったであろう子を一人みつけている。しかし,彼はいつも無表情で,何を考えているのかもわからず,突然会話に入り込んでくるし,目も少しぎょろっとしていてなんというか不気味なのだ。
 なんとなく感覚として,彼もASDなのだろうと思う。

 しかし,恥ずかしい限りだが,友達たちが「あの子なんか変だよな」みたいに話しているのを見て,口には出さないけども,「もう少し"普通"の子だったら言語学とかの話したりして仲良くなれそうなのにな」とか思ってしまった。別に,普通だろうがなんだろうが,仲良くなればいいのに,ね。

 というのを,下の記事を見て思い返したというか,思い当たることがあったというか。

 なんとも歯切れが悪いけども,別に私は彼のことを見下しているわけでも当然なければ,悪口? に加担して陰口? を言っていたわけでもない。ただ心のどこかで,「うーん」という言葉にできないような引っかかりがあったのだ。

 私も,実際,一人で歩いている時とか,誰とも話していない時には当然,無表情だし,人と話す時には無理矢理に表情を生み出して顔に貼り付けているような節がある。(もちろん,笑っている時とかは普通に自然なありのままの笑顔なわけだけど。)

 高校時代,友達に「お前何考えてるかわかんない時あってたまに怖い」と言われたこともあるし,それがなんというか,強く印象に残っていて。その友達は特に,いじめられていた(?)過去の経験から卑屈になっている部分もあって,俺が何考えてるかわからないのが少し怖く感じたらしい。

 だから,表情を豊かにして人と話す時にはとても体力を使う。他人の考えていることとかを読み取るのもとても苦手なのに,アダルトチルドレンというか,昔の影響もあって「嫌われたくない」という意識が強く働いているせいで,苦手なのに,人の感情を人一倍読み解こうとしてしまう節もある。嫌われたくないから,人からの印象をよくするために声の抑揚をつけたり,表情をオーバーに動かしたり。そしてそれが不自然に映らないように,他人の反応を見て,結構うまくやれるようになったと思う。

 それを小学校の低学年の頃から無意識的にやっていた。

 なのに,私は人にあまり興味が持てない。いつも自分のことが一番で,私もそれを認めている。バイト先に,いつも人の心を気にかけているような人がいて,「俺はこうはなれないな」とよく思う。
 しかし私は昔から「優しいね」なんて言われる。でもそれは人に好かれるための,というか,自分が嫌われないための優しさなのであって,気配りも,人にいい気分になって欲しいからやってるんじゃない。俺が,嫌われないためなんだ。

 親戚の人から,「かわいいね」ってよく言われて,それが嬉しかった。だから,「可愛く」したのだ。でも,あとになって思い返すと,なんと醜悪だろうか。今の俺も,結局本質は変わらず,人に好かれること,そして嫌われないことを最もにして,「可愛く」演じている。昔から何も変わらない。
 そして,その「可愛さ」こそが最も私が私として社会的に認められる手段であった。社会に認められたいのは,それが最もストレスレス(?)だからだ。

 これこそ,人間らしい醜悪さの代表と言っても良い。なんと言うか,自分への言い訳としてこうやって文章を書いているのも気持ち悪さすら感じる。


 何よりも私は,自分が居心地の良い場所を求めている。だから,裏でも表でも,人の悪口は言わない。それをきっかけにして,自分の居心地が悪くなったり,「あいつこんなこと言ってたよ」っていきなり裏切られる可能性もあるから。LINEでなんて,当然,悪口は全く言わない。なぜなら対面で言うよりも履歴で証拠が残ってしまうから。
 でも,たまに言う場合もある(最近も少しあった)。言うんだとしたら,それはもうとある判断が下された後の話で,その場合も,俺が嫌われることに対する何かなのではなくて,「俺が嫌っていること」が表に出ても,「俺が社会的に嫌われない」と言う状況であることへの判断なのだ。

 だから私は,ASDであろう子の陰口にも参加しなかったし,その陰口を言っている子たちにもそれを咎めることはなかった。「自分の居心地の良さ」を最優先するためだ。


 ASDは空気が読めない,とか,人の気持ちがわからない,とか,色々言われるけども,実際のところ,一般の人が自然に備えるような社会性を持ち合わせていないだけで,後天的にそれを学習することはできる。今の私のように。
 自己認識では,私はかなりうまくやれていると思う。基本的には人に嫌われないし,「いいヤツ」で通っている。私の信条として,「人は裏にある性格ではなく,行動によって判断されるべきである」と言うものがあるのだが,それに従えば,私はほとんど理想的と言って良い。裏でも表でも,「行動」と言う面で見ればすごく紳士的なはずなのだ。

 先ほど共有させてもらった記事では,表情とか他人に見える形で表現できないだけで,心では喜んでたりする,みたいなことが書かれていたが,治したいんだとしたら,訓練でどうにかなるから頑張ってほしい。
 ただ,そもそもそれって人間性みたいなもので,頑固じいちゃんみたいな人みたいなものだと考えれば,「表情に出せない」みたいなのはそれはそれで魅力だと思う。あまり笑わない人が笑う姿って,見れたら結構嬉しいし。



 少し前の記事同様,殴り書きみたいなのが楽しいことに気がついたので,今回みたいに思ったことを思った順番で,淡々と書くだけの記事を今後も上げると思う。ここまで読んでくれてありがとう。
 一応,心配する方もいるかもしれないので追記。今回の記事では改めて自らの醜悪さに気がついただけであり,だからと言って私が私を嫌いになることはない。いくら自分が醜悪であろうと,自分が一番可愛い。
 言哲

  

 


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