小さなたからものたちと過ごす日々
~運を運ぶ(うんをはこぶ)~
「もう、お参りは行って来られた後ですか?
お参りされた後は、頂いた運を落とさないように、どこも寄り道されずまっすぐ帰るようにしているってお客様と多いみたいですけれど。」と鎌倉のブンブン紅茶店の奥様に声をかけられて「いや、お参りはこれから行くのですけど、帰り道じゃなくてすみません(笑)」と返しながら、30年くらい来ているけれど家まで運を持ち帰る初めて聞いたなぁと思いながら「そういえば、「運(うん)」ってなんだろう?と今まで運について真剣に考えたことなかったなぁと思いながら運ばれてきた美味しいチャイと、お店の名物スノーフレークケーキを頂いた。
今回「運」について考えるきっかけになった鎌倉のブンブン紅茶店は鎌倉の佐助という場所にある私のお気に入りの紅茶店だ。鎌倉の銭洗い弁天様と佐助稲荷様を中学の遠足で訪れてからリピートでお参りするようになってから、駅と神社の中間地点に位置するこちらのお店にかれこれ30年くらいのお付き合いで、コロナ禍や妊娠中などの期間を抜かしてだいたい毎年一回は訪れている。コロナ禍はブンブン紅茶店が恋しすぎて紅茶の茶葉をお取り寄せさせていただき自宅でしのいでいたが、寡黙なマスターが淹れてくれるアールグレイやオレンジティーやチャイやクローデッドクリームの添えられたスコーンや名物のスノーフレークケーキが恋しくてたまらなかった。寡黙で蝶ネクタイが似合うマスターが独身の時から通っていて、マスターがご結婚されて、ふたりのお子さんに恵まれ、成長されていく姿を眺め、さらに自分が結婚して、子どもを持つようになっても通わせていただくようになるとは、中学生の私には想像がつかなかったことだ。もう70代を越したマスターの腕はますます磨かれている。現在お店の母屋は数年前から大人だけの空間になっているので、子連れで伺うときはマスターの手作りの離れに(離れを手作りできるマスターも凄すぎるのだが)お邪魔させていただいているのだが、併設されている隠れ家のような雰囲気でとても素敵なのだ。
銭洗弁財天宇賀福神社は金運にご利益があったので実家が商売をしていたので経理担当の叔母とお参りをしたり、佐助稲荷神社は縁結びにご利益があったので、若かりし日の私は友人と訪れたり、まだ当時は彼氏だった夫と訪れたりしていたが、時間ができたらひとりでもブンブン紅茶店の紅茶とケーキが恋しくて訪れるようにしてきた。一番のお気に入りはアールグレイで、ここの茶葉を贈答品として使うようにしている。贈った人はだいたいファンになってくださるくらい間違いない。コーヒー派を名乗る知人も、「ここの紅茶は美味しい」と唸るくらいだった。
また、もう鬼籍にはいった父は訪れた時に「紅茶の美味しさは娘に教えて貰ったなぁ」と目を細めて本当に美味しそうに紅茶を味わっていたのも、懐かしい思い出だ。
タバコ以外にこんなに葉の苦味や旨味を味わえるのかと感動したいうようなことを言っていた気がする。私はたばこを吸わないのだが、ヘビースモーカーだった父が病でたばこをやめざるを得なくなったあとの話だから、もう少し早くブンブンさんの紅茶に出会っていたら、あんなにたばこを吸って健康を害さなくても良かったのかもしれないなと、流石に本人には言わなかったけれどぼんやりと思ったことを覚えている。昭和の頑固親父というかんじで、仕事仕事で家族をあまり省みず、ストレスで1日に何箱も煙草を吸って紛らわし、インスタント珈琲のカフェインとともにストレスを流し込みながらモーレツに仕事をしていた父。そんな晩年の父をたまに思い出して遺影にブンブン紅茶店の紅茶をお供えしたりする。あの世でゆっくり、味わってくれていると良いなと思いながら。
さて、だいぶ脱線してしまったが「運」の話しに話を戻そうと思う。旦那さんは「ブンブンさんにならお参りしてきた運を置いていっても悔いはないなぁ。お世話になっているし、ずっと続いてほしいし。」と穏やかに話すのを聞きながら、お参りに向かった。「運」を上げるために東京からはるばる来たのだけれど、大切なお世話になっているお店になら「運」を落としても良いという潔さはなかなか旦那さんの男前な考え方だなと思いながら聞いていた。(口にだして褒めはしなかったけれど。)
新緑の美しい道を、藤の花が鮮やかに咲いている道を、遠くでウグイスの声が鳴いている声を聴きながら緩やかな坂を登り、洞窟のような入り口を潜り抜けお参りをした。たくさんの人で賑わい、活気がある祈りの場は、端っこにある茶屋でお団子やお餅のような軽食が販売されていて東屋のベンチで食べられるような休憩スペースがある。ここに集まる人たちは皆笑顔で憩っている。休憩がてら買い食いをして我が家の子どもたちも楽しそうだった。
そして、裏道を抜けて佐助稲荷神社もお参りする。赤い鳥居の連なる道を登っていくと静かな祈りの場が迎えてくれる。鳥居の赤と緑豊かな、蒼あおとした緑のコンストラストが美しい。この景色を楽しむ過程で日常の雑事から離れて、小さな冒険を体験できること自体運が良いのだろう。と、思いながらの帰り道は、お腹を空かせた子どもたちにせがまれて追加の買い食いを購入したり、夕飯の食材を買って帰ったりと、せっかくブンブンさんの奥様に運を落とさず持ち帰る話を聞いたのにまっすぐ家には帰らなかった。
最寄りの駅を降りたところで、ちょうじょちゃんがふと、「私たちがお買い物したところに今日はたくさん良い運を置いてきたからみんな幸せになるから今日は良い日だね」と話しかけてきた。「運を置いてきて良かったの?」と聞き返すと、「お買い物したお店はお世話になったお店だからいいんだよ」と清々しい笑顔で答えた。パパは「いっぱいそんな風に考える人にこそ神様は幸運をさずけてくれそうだよな。」と笑い、「福の神様みたいな子がとなりにいるー」と歩き疲れた、疲れも思わず忘れて私も笑った。
運(うん)と運ぶ(はこぶ)は、そう言えば同じ文字なんだなぁと、40数年生きてきていままで考えもしなかったけれど、今日は良い日、運を運んだ幸運な日。
