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春だから、それだけでお出掛け

春になると旅に出たくなる。

肌に当たる風が柔らかくなり、目に見えて新緑が増し、日は伸びて大気の深呼吸が感じられる。自然、心持ちも明るくなって、次のお休みはどこかに出掛けてみようかと思う。
そうして今年の私が選んだのは、山梨だった。最近よくSNSで目にするAKITO COFFEEが気になってのことだ。印象は、コーヒーとカルダモンバンのお店。
というわけで4月の1週目、営業日に合わせてお休みを取った。4月というのは気持ちの良い気候のイメージと裏腹に、毎年雨が多い。私の実感だけではなくて、統計的にも数字が示す。この週は山梨行きを決めた日だけ、快晴だった。実は直前まで迷っていて列車も予約していなかったのだけれど、行けというお告げかな。そう思い、出発の朝にバスを取って飛び乗った。

道中、事故による渋滞に巻き込まれて路程が1時間半ほど遅れたが、さほど気にならなかった。そも私は、旅行に伴う移動というものが好きである。車窓を眺めてもの思いに耽るもよし、振動を背に浅い眠りに意識を預けるもよし。座った瞬間から、その席が絶対領域となって非日常へ連れ出してくれる気がする。
桜がまだ見頃とばかりに咲いていて、車窓からも綺麗な薄桃色がいくつも横目に流れた。山の中腹に1本咲いているのが見えたときなど、あんなところに、と少し不思議な感覚になる。季節が違えば数ある一景に埋もれるのに、花が咲けば紅一点の存在感がある。春の一時だけ、人の視線をちら、と集める瞬間を待っているのだ。

東京を抜けてしばらく走り、笛吹のあたりは、低木の桃も美しかった。町なか至るところに植えられていて、つつじにも似た濃いピンク色は春の陽光によく映える。山梨の県央に向かうに従って、雪を頂く南アルプスも見えるようになり、ことさら車窓から目を離せなくなった。白く連なる峰々が霞み空を貫く気高さは、都会っ子の心には刺さって抜けない。
それにしても、乗客は名も知らぬ駅でさくさくと降りていく。こんなところに何があるのか、と思うが、帰省なんだろうか。一度、釈迦堂という駅で8名ほど降りたときも、思わず地名をしげしげと見つめてしまった。地図を見たら近く、ワインで有名な勝沼がありこれには得心した。

12:30前に、甲府駅前に到着した。駅前は平日でも老若男女で賑わっている。
その人並みをすり抜け、立派に構える武田信玄像も横目にまっすぐ向かったのは、もちろんAKITO COFFEE。駅の南口から北口に抜けて、幅広の道路を歩く。ガードレールはなく信号も日にライトの表示が滲む旧式の見づらいタイプで、地方都市の味を感じる。が、桜が等間隔に植えられているあたり、駅前の整然さも感じ取れた。まっすぐゆくこと10分もかからず、こじんまりした店構えのカフェが目に入った。

深い木目と拭き上げられたガラスの対比も綺麗なショーケースに、ところ狭しと焼き菓子が並んでいた。いろいろな具材を焼き込んだパウンドケーキが1段目、ガレットにスコーンが2段目。おや、カルダモンバンがない。とすると、今回もう1軒、目的にしている姉妹店の商品か。個性豊かなパウンドケーキたちを前に判断力が働かず、お姉さんに少し迷わせてください!と断りを入れることしばし、ラズベリーとチョコレートに決めた。
店内席は2階で、窓辺には先客がいたので光の届くおひとり様席に落ち着いた。壁を穿ったような席で、テーブルの奥行きが広く、壁際にどっしりした植物と花が飾ってある。


12:39



そんな席でいただくパウンドケーキはとても美味しかった。端のベイクドな部分も硬派に決まりすぎず、全体がしっとりとしている。ラズベリーとチョコは存在感を誇示しつつも、生地と調和している。店内だと無料で小さなアイスクリームがつくとのことでお願いしたのだけど、しゃくっとした食感に反して、ミルクの味が舌に広がった。濃厚さがはじめから全面に押し出されず、体温で溶けて深みが増す。牛乳は昔から好きでなくて、贅沢にも生乳の乳臭さがあればあるほど苦手なのだが、小ぶりなこともありパウンドケーキのお供で美味しくいただいた。アイスクリームなのに、身体に健やかな味覚だ。
食いしん坊は、ケーキのお供に小さく盛られたアイスで語り始める。まだまだ永遠に言葉を紡げる。結構なことだ。

そして食いしん坊なので、語るのも早々にその30分後にはパスタをいただいていた。ほうとうを使ったトマトソースで、削られたチーズ以外に具材がないシンプルさが潔い。ガーリックが効いて、平たいもちっとした麺のすすむこと。



ホテルの1階をbar & restaurantとして営業するhornは、訪れたなかでもっとも開放的な店内で、余白を十分にとった贅沢なテーブル配置だった。甲府城跡地である舞鶴公園の裏手に位置するので、全面窓から石垣にこぼれた桜がよく見える。採光の設計がとても良い。


入り口近くの冷蔵ケースには、ワインがずらりと並んでいた。きっと県産のブドウを使っているのだろう。帰りに少し見たかったのだけれど、ランチタイム際の時間になっていたので願い叶わずだった。しかしむしろ良いかもしれない。こういう後ろ髪引かれる思いは、再訪の芽なのだから。

勢いその足で、TANEにも向かった。AKITO Coffeeの姉妹店で、甲府駅よりも、東隣の金手駅に近い。余談だがこの駅、「かなで」駅かと思いきや「かねんて」駅らしい。武田信玄の時代、城下町を守るために軍が進行しにくい曲がりくねった道を整備し、それを形容する鉤の手が訛ったのだとか、何とか。
TANEは少し広い大通りに面して、穏やかに営業していた。通りから1歩引いたところに居を構えるからか、探しながら歩いていると突然出会ったような印象を受ける。店前には大きなパラソルが手を広げて覆う丸テーブルが4つ。木製の簡単なチェアもある。一組親子らしき先客がいて、店内に進むとガラス張りのショーケースが視線を釘付けた。こちらはAKITO COFFEEと違い、1段のガラス張りの造り。サンドイッチにアップサイドケーキ、シュークリーム、そしてカルダモンバンズなどなど。ガラスの上には、むき出しでホットクロスバンズやサワードゥも顔を揃えていた。
オーダーは決まっていた。いつも間違いなく美味しいスイーツ情報を届けてくれる皆々様の投稿で見た、いちごのシュークリーム。それと、さっきから字を打ちすぎて予測変換上位に躍り出てているカルダモンバン。
胃が重力に抗えない重さをしていたので、テイクアウトと店内利用でしばし逡巡する。が、テラス席の心地よさを想像すると胸から離れず、店内で過ごすことにした。
そこから約1時間、それは快適なカフェ時間を謳歌した。シューを食べてはこのエッセイを書き、アメリカンコーヒーを口に含んでは本を読み進めた。奥まったこの立地のおかげで、通りを前にしたテラス席でものんびり過ごせた。

ナイフを立てればざくっと歯切れ良い音を立てるシュー生地、その内側いっぱいに詰まったカスタードはもったりしていて、切るとたっぷり溢れる。口に運ぶと、たまごの味がした。小ぶりな身にありったけの濃厚さを抱えて、素材そのままが味覚に届くこの感じ、たまらなく美味しい。
しかしシュークリームをフォークとナイフでいただいたのは、初めての経験ではないかな。

温かな気候の中でも、冷たいドリンクとともに日陰に長居すれば体が冷えてくる。途中、「風が出てきましたね~」と、無人の席のパラソルをすぼめに店員さんが出てきた。今日はお天気で外が気持ちいいですね、と何気ない会話も、春になればこそだ。そのあと程なくしていよいよ肌寒さが増したので席を立った。
甲府で訪れたカフェでは、偶然女性の店員さんばかりとお話した。お姉さんたちの距離感も笑顔も屈託なくて、とても心地よかった。

舞鶴公園は、週末の祭りに向けた準備に入っていた。そのせいで園内の展望台に登れなくなってしまったことだけ、帰ってきても心残りだが、それはそれ、と石垣に沿って歩いた。花咲く景色を刻み込もうと、ことさらゆっくり。昼下がり
花見がてらの逍遥はあまりにも平和で、いま散る桜吹雪を浴びながら歩を進めているにも関わらず、この花は永遠に咲き、永遠に花弁を降らせるのではないかと錯覚するほどだ。堅牢な石垣の上、瓦を乗せた城壁からせり出す桜は遠く、花吹雪は天からこぼれる贈り物なのだと思う。


甲府の上空は、多数の航路なのだろう、飛行機雲が幾筋も尾を引いた。それも長く青空にとどまって、明日からの雨の気配を伝えている。これほども気持ちよく晴れ渡っているのに、森羅万象は無常だ。
夕飯時前、駅前から高速バスに揺られて帰路に就いた。一睡もせず夜の灯りを眺めたが、満月が低く黄金色に輝くのも印象的だった。月の濃い黄色というのはいつでも妖しく映るものだが、この日はシュークリームのたまご色を思わせた。

これを綴るいまは、TANEでテイクアウトしたカルダモンバンを頬張っている。ひとくち目から驚きのカルダモンの押し寄せ具合だ。よくスパイスが鼻に抜けると言うが、これは脳天に抜けるほどのカルダモンの襲来である。
もはやカルダモンの乱。カルダモンの過剰登場で、ゲシュタルト崩壊を起こしかけるあたりで、ちょうど良く食べ終わり、この旅の徒然草も結びに入る。

とはいえ主題もなく好き勝手書いてきただけなので、さしたる結び文句もない。久しぶりの遠出にて五感を研いで、目線を高くする気持ちを取り戻した。
春なのだから、思い立って今日やってみる、そんな日があっていい。そういう時季ごとに訪れる感覚のかけらを集めて、ともすればすっぽり季節感の抜け落ちそうな記憶にたがをかけている。

さ、社会人も3年目です。できればなるべく旅に出て、そんな感じで歩けばよい。

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