【本】「日日是好日」を読んで
「気がつくと、私はただ黙々と濃茶を練っていた。お釜の前に座って、抹茶を練る感覚に、その一椀を練ることだけに、自分の『心』のすべてを傾けていた。…焦りはいつの間にか、消えていた。その時、私はどこへも行かなかった。百パーセント、ここにいたのだ。」
この一節を読んだとき、私は思わず立ち止まった。
「百パーセント、ここにいた。」
たったそれだけのことなのに、どうしてこんなにも心を動かされるのだろう。
読み終えた今、まず何を書こうと思っても、言葉が出てこなかった。
ぴったりとしっくりくる言葉は見つからない。
それなのに、心は不思議なくらい満たされていて、何かとても大切なものに出会ったような感覚だけが残っている。
この本を読んで私が大きく受け取ったことは二つあった。
「今ここを味わうこと」と、「季節を丁寧に感じること」。
どちらも心に残ったけれど、今回は「今ここを味わうこと」について書いてみたい。
作法の意味が分からないまま、お点前を何度も繰り返す。
先生は理由を説明するのではなく、「意味なんて考えずにやりなさい」と言う。
最初は、その意味が分からない。
私だったら、「何のために?」「これをやって何になるの?」と考えてしまうと思う。
実際、筆者自身も周りと比べて焦る。
「こんなことをやっている場合じゃない。」
「もっと急がなければ。」
そんな気持ちに何度も揺れる。
その姿が、とても人間らしくて、どこか自分と重なった。
でも、お茶は答えを急がせない。
意味を理解してから始めるのではなく、分からないまま繰り返す。
季節を感じ、雨の音を聞き、お湯の音に耳を澄ませ、一椀のお茶だけに心を向ける。
そうしているうちに、頭で理解する前に、体が少しずつ覚えていく。
そしてある日、筆者は「百パーセント、ここにいた」と気づく。
焦りは、どこかへ消えていた。
私はこれまで、何も考えず、ただ今ここに集中するということは、不安や焦りに正面から向き合うことのように思っていた。
だから、忙しく動き回った。
何か役に立つ技術を身につけようと勉強したり、未来につながることばかり考えたり。
そうしている方が、「ちゃんと前に進めている」と安心できたからだ。
でも、この本を読んで気づいた。
「今ここ」を味わうことは、立ち止まることではなかった。
むしろ、自分を取り戻すことだった。
子どもの頃は、砂場で遊んだり、ブランコを漕いだり、暗くなるまで友達と遊んだり。
ただ目の前のことだけに夢中になって、時間が過ぎるのも忘れていた。
でも大人になると、楽しい時間の中でも、頭のどこかでは別のことを考えてしまう。
百パーセント、今ここにいることは、思っていた以上に難しい。
筆者が雨の匂い、音、空気を全身で味わう場面も、とても印象に残っている。
「今という季節を、視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚の五感ぜんぶで味わい、そして想像力で体験した。毎週、ただひたすら。」
「遠い昔に嗅いだ、風や水、雨の匂いが、その時の感情と一つになって、ふっと立ち現れ、煙のように消えていく。過去のたくさんの自分が今の自分の中で一緒に生きている気がした。」
何もないことが、心地いい。
ただここにいて、自分のまま、そのままでいいんだと安心できる感覚。
重い鎧や武器をすべて置いて、ただ「自分」という存在だけになる時間。
そんな時間があることを、私はいつの間にか忘れていたのかもしれない。
最後の雨の場面は、この本のすべてが詰まっているように感じた。
「どこかに行く必要もなかった。してはいけないことなど、何もない。しなければいけないことも、何もない。足りないものなど、何もない。私はただ、いるということだけで、百パーセントを満たしていた。」
この文章を読んで、「自由」とは何でもできることではないのだと思った。
何者かになろうと力を入れ続けるのではなく、重い鎧を脱いで、そのままの自分でそこにいること。
それが本当の自由なのかもしれない。
この本を読んだからといって、何か特別な能力が身についたわけではない。
人生が大きく変わったわけでもない。
それでも、「今ここを味わう時間」の見え方は大きく変わった。
何かを生み出しているようには見えない時間。
一見、意味がないように思える時間。
でも、その時間があるから、人は自分を取り戻せる。
意味のないことをしているようで、意味のないことなんてない。
何もないように見える時間にも、ちゃんと「ある」ものがある。
この本は、そのことを静かに教えてくれた一冊だった。
P.S.
もう一つ、とても心に残ったことがある。
先生は、作法の意味をあまり説明しない。
「意味なんて考えずにやりなさい」と言い、筆者も長い間「なぜなんだろう」と思いながら、お点前を繰り返す。
本の中にも、「言葉にできない」と書かれていた。
きっと、言葉で説明してしまうと、それは誰かの答えになってしまうからなのだと思う。
だから先生は、あえて語らない。
その代わりに、季節や道具、お茶の時間、そのすべてを通して、小さなヒントをそっと散りばめてくれている。
そして、それに気づくのは自分自身。
そんなふうに、答えを教えるのではなく、自分で気づくまで信じて待ってくれる存在は、とても素敵だと思った。
私もそんな人に惹かれるし、自分もいつか、誰かにとってそんな存在になれたらいいなと思う。
