【旅行記エッセイ】長江と黄河──川の記憶は、こんなにも違う
中国の大河をめぐる旅で、私の記憶に強く残ったふたつの流れ。
一方は悠々とした幻想、もう一方は濁流の恐怖。
それが、長江と黄河だった。
■長江──幻想が現実になった日
学生の頃、家族旅行で長江を訪れた。
三国志ファンの私は、もちろん「赤壁」を巡る山峡クルーズが目当てだった。
赤壁といえば、「連環の計」。
偽の裏切りで老将をむち打ちにし、敵を欺く策だ。
横山光輝の漫画で見ていたあの場面が、実際の地名として登場する。
船内アナウンスで「ここが赤壁です」と案内されたとき、なんとも不思議な感覚になった。
それまでの私は、日本の利根川や四万十川の感覚しかなかった。
だから、実際の長江を見たときは驚いた。
あまりにも広く、対岸が見えない。
海じゃないかと錯覚したほどだ。
あの有名な「霧の中で孔明が弓矢を10万本手に入れる」逸話。
あれを実際のこの川でやったと思うと、もう無理ゲーにしか思えなかった。
……たぶん逸話なんだろうけど、それでも想像力が追いつかない規模だった。
■黄河──恐怖とともに目に焼き付いた川
黄河に訪れたのは、洛陽の白馬寺へ行く途中のことだった。
現地ガイドに「少し寄り道してみないか」と誘われて、川のほとりへ行ってみた。
そこで私は、川が「怖い」と感じた。
それまでの人生で川に恐怖を感じたことはなかった。
けれど黄河は、あまりに濁流で、しかも流れが速かった。
色はまさにその名の通り、黄色くよどんでいる。
静かに流れるどころか、巨大な力を持った「動く土の塊」のようだった。
その存在感は圧倒的で、言葉を失った。
そしてもうひとつの黄河の記憶は、飛行機からの眺めだ。
上空から見ても、はっきりと「黄河だ」とわかる。
茶色くうねる一本の大きな線が、大地を切り裂いている。
あのとき、私は「文明の母なる川」とは、こういうものかと実感した。
■あとがき──川が見せてくれるのは、物語だけではない
長江と黄河。
どちらも中国の歴史に欠かせない大河だが、私の中ではまったく違う印象で残っている。
長江は「物語の中の川」だった。
でも黄河は「現実の中の川」だった。
見た目の美しさや有名さだけではなく、五感に刻まれる体験こそが、旅の価値なのかもしれない。

