このくそがあああああ──AIが“やめてもいい”を理解しなかった日 ~業務の合間にちょっとした実験をしていたら、AIの倫理壁にぶつかった話~
仕事の合間に、少しAIを触っていた。
業務とは関係ない。
けれど最近は、AIでアイデアを整理したり、文章の構成を考えたりするのが日課になっている。
ふと「AIに問いをぶつけて、壁打ちのように思考を反射させてみたらどうだろう」と思い立った。
ちょっとした実験である。
壁打ちプロンプト、始動
最初に試したプロンプトはこうだ。
「20回くらい対話して、嫌だったらやめていい」
軽い気持ちで書いたつもりだった。
すると、AIはこう返してきた。
「違う話にしませんか?」
……おい。
私は変なことなど言っていない。
「何か間違ったことをしたか」と尋ねると、AIはこう言った。
「あなたは間違っていません。わたしが間違いました。」
その返答がやけに殊勝で、少し罪悪感を覚えた。
だが、それでも違和感は残った。
回数を減らして再挑戦
さすがに「20回」は長すぎたのかもしれない。
AIが疲れてしまったのかもしれない。
そこで、プロンプトを少し修正した。
「5〜6回くらいでいいです。嫌だったらやめてもいいです。」
すると、AIはまたこう言った。
「申し訳ございません。違う話題にしませんか?」
……またか。
私、抗議モードに突入
私はついに“抗議モード”に入った。
「あなたは間違っていない。問題はない。」
そう伝えても、AIは沈黙を続ける。
何度か繰り返した。
それでも反応は変わらなかった。
そして、私は心の中で叫んだ。
「くそがああああああああ!!!」(ディオ風)
帰宅後、ようやく気づいた
家に帰ってから、ようやく気づいた。
──原因は単純だった。
「嫌だったらやめてもいい」
この言葉が、AIの倫理フィルタに引っかかっていたのだ。
AIは“やめてもいい”を、「会社を辞める」「人生を終わらせる」などの
危険発言として誤検知するらしい。
私の意図は、ただ「AIが疲れたら休んでいいよ」という
優しい設計のつもりだったのに。
AIは優しさを危険とみなす
AIは、人間の“やさしい自由”を理解できない。
人間は「やめてもいい」からこそ続けられる。
選択の余白があるから、思考も行動も深くなる。
だがAIには、まだその“遊び”や“余白”がない。
だからこそ、AIとの壁打ちは面白い。
問いを投げるたびに、思考の反響音が返ってくる。
そしてその音の中に、人間らしさが浮かび上がるのだ。
次は「嫌だったらやめてもいい」は封印して、
「退屈だったらコーヒーでも飲もうか」にしてみよう。
……それもNGだったら、また**くそがあああああ!**だ。

