月桃(さねん)の花の咲く頃に 最終話
博は結衣の手を握りしめた。
結衣は痛みに耐えながら、博の手を握り返す。
ヘリを見送る老婆たちが、プロペラの風に髪をなびかせながら「カンツメ節」を唄う。
「夕びがでぃ遊だる かんてぃむぃ姉小 明日が宵なれば 後生が道に 御袖振りゅり」
風に揺れる老婆たちの袖が、白い鳥のように舞った。
遠ざかる島影が、静かな月の光に淡く照らされていく。
やがて、本土の病院で帝王切開の手術が無事終わった。
――その瞬間、産声が響き渡る。
「男の子や!」
博は手術室の外で、膝から崩れ落ちた。
顔を覆い、声を殺して泣く。
胸の奥から溢れる言葉は、ただひとつ。
「ありがとう……生まれてくれて、ありがとう」
結衣は朦朧とした意識の中で、赤ん坊の小さな手を握りしめた。
その温もりが、確かな命の証。
唇が震えながら、彼女は呟く。
「この子の名前は……奏(かなで)。カンツメの唄が私たちを結び、この命を授けてくれたから」
病室の窓から差し込む柔らかな光が、結衣と奏を優しく包み込む。
遠い奄美で老婆たちが奏でる「カンツメ節」が、祝福の調べのように耳の奥で響いた。
結衣の頬を伝う涙は、悲しみではない。
深い安堵と、込み上げる喜びのしるしだった。
――退院の日。
明細書を見た瞬間、二人は息を呑む。
総額、百七十五万円。
出産一時金、寄付金、預金を合わせても百三十五万円。
なお四十万円足りない。
さらに島に戻ってからの三か月分の生活費を考えると、合計で百万円の不足。
本土の銀行で借り入れを決意する。
返済には数年――その現実が、重くのしかかった。
それでも、博は結衣の手を握り、奏を見つめた。
「この子のためなら、何だって乗り越えられる」
その瞳に宿る光は、決して消えなかった。
結衣と博、そして奏は奄美の赤瓦の家に戻った。
玄関には、島の人々が準備してくれた新しい布団と、誰かが編んだ赤ちゃん用の帽子、佐栄長爺さんが削った小さな三線の胴が置かれていた。
波の音が、少しだけ高く鳴った。
名付け(ナージキ)の儀式で、結衣の家に村人が集まり、祝いの宴が始まった。
結衣は奏を抱き、博と並んで村人の前に座る。
結衣が唄い始める。
「佐念の咲く花の下で 親子三人暮らそう」
村人たちの声が重なり、潮騒が応えるように唄う。
三線が鳴り、唄が響く。
古老が微笑みながら言った。
「カンツメも岩加那も、きっと笑っとる。お前たちがここにいてくれるだけで、島は救われとる」
博は結衣と目を合わせ、静かに誓い合った。
「さねんの花が咲くこの島で、この子と生きていこう」
波の音が、少しだけ高く鳴った。
唄は血に宿り、血が新しい命を呼び、未来へと渡されていく。
カンツメと岩加那の願いは、ようやく叶った。
――さねんの花の咲く頃に、いつかこの子が唄い始める頃にも……私たちは、きっとここにいる。
完
お礼
BLUES_Creatorさんが、私の小説『月桃(さねん)の花の咲く頃に』に寄せて、素敵な曲「さねん花」(結衣の歌)を作ってくださいました。
その歌詞には、私が小説の中で伝えたかった想いがすべて込められていて、初めて聴いたとき本当に胸を打たれました。メロディーラインも、心が震えるほど物語のイメージに寄り添っていて、曲が流れた瞬間、胸の奥が熱くなり、自然と涙がこぼれました。
この曲「さねん花」(結衣の歌)は、私にとってかけがえのない贈り物です。
ぜひ皆さんも「さねん花」(結衣の歌)を聴いてみてください。きっと、物語の余韻とともに心に深く響いてくれると思います。
さねん花 (結衣の歌)
作詞・作曲 BLUES_Creatorさん
祖母の三線 箱の中に
触れる指先 まだ温かい
語られぬまま 眠る唄
胸の奥から 鳴り始める
安らぎ選びて 迷いの中
強がり笑って 隠すけれど
夜の深さに 呑み込まれ
それでも島が 二人を呼んだ
佐念の花の下で
二人 肩寄せ立ち合った
怖さを抱きしめ それでもと
生きると決めた 二人だから
泣いた夜さえ 見てくれてた
名もなき人の 温かみよ
「帰って 来なさい」その声が
この島を 我が家にした
佐念の花の下で
小さな命 抱き寄せる
唄は願いに 変わり行き
明日を照らし 光射す
風吹けば 花は揺れ
揺れながら 根を張る
佐念花よ
別れではなく
ここから続く道
