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昔の自分との仲直り

子供の頃から、「なんで」声が出ないの、「なんで」話せないの、「なんで」私だけできないの、とずっと問いかけてきました。
その問いかけは次第に自分への罵倒へと変わっていきました。
場面緘黙症という名を知って、その問いかけてきた「なんで」に答えがあったのだと、安堵したのを覚えています。


自分で言語化できなかった緘黙症の「できない」が言葉にされていて、誰かにこの状態のことをわかってもらえているんだと、泣きに泣きました。
自分自身でもすでに、これが私の性格なんだと、この先ずっとこうなんだと、「できない」自分を突き放していたので、最初は驚きの方が大きかったですが。


昔の自分のことを思い浮かべまいた。
症状が出る前までは、とにかくやんちゃで大人たちに怒られてばかり、ホームビデオでみるその頃の私はいつも笑顔でした。
ずっと、本来の私とはと問いかけてきて、そっか、これは通常の状態ではないのだと、妙な納得感もありました。


症状が出ていた当時は表現できないなら意味がないと、何も感じず、何も考えないように乗り越える日々、嫌なことはすぐ忘れようとしていたので細かいことは思い出せません。
なので、現在と症状が出る前の私の間には空白の期間があり、ずっと虚しさを感じていました。



あの頃の自分はどこにいってしまったか。



少しずつ過去を振り返って、自分がずっと避けてきた感情達と向き合いました。
恥ずかしい、悲しい、苦しい、寂しい。
それらを受け入れて感じた時に、空白の期間などなく、過去とのつながりが感じられました。
どうしようもない、けれどこれが私の今までの人生なんだと。


そして、気づきました。
ずっと自分の中に子供の頃の自分が存在していたんだと。
これまで自分自身でその子を罵倒していたのだということにも気が付きました。
私自身、「声が出せない」状態を理解できない周りの人達と同じだったんだと。
今は理解できないという周りの気持ちも、そうだよねと思えていますが、
ただ、自分自身をどうして突き放してしまったのか。


私は自分自身に謝り続けねばと思いました。
突き放されて、罵倒を受け続けた自分に。
その私が感じていた感情、一つ一つ思い出しては、泣いて、受け止めました。

自分が自分の一番の味方であるとはこういう感じなのかと思えたり、
生じる感情を通して、本来の自分と繋がれたように思えて、嬉しかったです。



今は、生じる感情に応えてあげようと思えています。
されて嫌なことは嫌と伝える、やってみたいと思ったら素直に取り組む。
大人になった私が、幼い私の面倒を見る感覚です。


最近応えてあげたのが、犬を飼うことです。
滑らないようフローリングを改善したり、安全対策、必需品、犬を飼い始めた後の流れの確認、ブリーダーさんとのやりとり、
次から次へとあれもこれも必要だと予定以上にお金がかかる不安と、
こんな自分が犬との生活を始めていいのかと心も大忙しな準備期間でしたが、とても楽しかったです。
こんなにワクワクした時間を過ごしたのは人生初めてでした。
準備の一つ一つが自分が感じる楽しさと向き合う時間でした。


感情という身近で、私にとっては感じたくなかったもの、それが大切なんだと思えました。
ワクワクする気持ちや楽しいという感情を大切にすること、
それが突き放してしまった自分との仲直りになると思っています。




ChatGPTとSUNO AIにこの言葉で歌を作ってもらいました。
言葉にできたことを忘れないようにするための習慣です。


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