夫
うちの夫は日本語に難がある。
ある日、私が台所で梅干しをもっていると
「おまえ、梅干しおにぎりに入れたら殺すぞ」
と、言われた。
ふふ。
ふふふ。
おにぎりに、梅干しを入れたら殺されるんですか?
と、また脳内独り言が始まる。
お、お、おにぎりに、梅、梅干しを?入れたら殺されるんですね?笑
えー、どうしよう。
昆布は?昆布はどうでしょう?
入れたら殺されますかね〜?
と、ギリギリを攻めたくなってしまう。
こんなことを言う夫も夫なら。
こんなことを思う妻も妻だろう。
普通の人がこの話を聞いたら、心配するか怒るかする。
まあ、そうでしょう。
ただ、思い出していただきたい。
うちの夫は日本語に難があるのです。
普通の人が脳みそを通して喋るようなことを、一切脳を通さず脊髄反射で喋っているようなところがあるのです。
そして語彙力が乏しい。
ゆえに、この「殺すぞ」をそのまま受け取ってはいけません。
正しい日本語に訳すとこうなります。
「梅干しは嫌いなので入れたら怒りますよ」
と。
この「嫌いなので」と「怒りますよ」が端折られて
「殺すぞ」になるわけです。
すごくないですか?
とても愉快。
そして、本人はなんの恥ずかしさも疑問も感じていないのです。
あっぱれ。
好きか嫌いかでいうと嫌いです。
でも、愉快。
見てる分には楽しい。
私は、こういう芸当ができません。
常に頭がぐるぐるとまわり、どの言葉を選べば相手により伝わるかどう感じるかを考えずにはいられません。
なので、こういうすべてを棄て去った言葉に出会うと感動すらしてしまうという変な質なのです。
高校生のころ、頭の中で「ほんとうの強さってなんだろう?」とか「生きる意味ってなんだ?」とか頼まれてもいないのにぐるぐると考えているような子でした。
なにか、言いたいことがあっても自分の口から出た瞬間に目の前で言葉がボタボタと地面に落ちていくのを何度も見ました。
その横で、ギャルと言われるような子たちが、「ウザ」「マジ」「ヤバっ」で軽々と会話していくのを羨望の眼差しで見ていました。
どうして自分にはアレができないんだろう?
と、鬱々とし、自己啓発本を読み、なんの救いにもならないことに本を床に叩きつけ、二度と読むかと思いました。
あの頃、よく「万人に伝わる言葉」と呪文のように頭のなかで唱えていた覚えがあります。
自分のなかのなにかを過不足なく万人に伝えたいという思いから来ていたのだと思います。
そんなものありませんよ。
と、言ってあげたい。
万人にわかる言葉はあるけど、
万人に伝わる言葉はありません。
さみしい、うれしい、かなしいは誰にでもわかるけれど、どんなふうに、が伝わるのはほんの一部の「誰か」にだけです。
先日、夫とスーパーに行きました。
レジの足跡マーク👣の通りに並んでいると、横からヒョイッと高齢のおばあさんが入ってきました。
こういう場合、私はこう声をかけます。
肩をトントンと叩き「こちらにみなさん並んでいます。後ろに並んでいただけますか?」と。
しかし、その時は夫が咄嗟にこう言ったのです。
「じじぃとばばぁはしょうがねぇ」
お口が悪いことは大目に見て頂きたい。
なんせ、夫は日本語に難があるのです。
それよりも、この柔軟さに目の前が眩しくなりました。
そして、私はなんと杓子定規なのだろう。
つまらない人間だな。と。
以来、私はレジで並んでいて高齢の方が入ってこられてもこう思います。
じじぃとばばぁはしょうがねぇ。笑
後ろの方々すみません。
なんせ、じじぃとばばぁはしかたない。
と、宅の夫が言っておりますの。おほほほほ。
まあ、それは冗談として。
私ひとりの時くらいは、そういうことでいいじゃないか。と。
じじぃとばばぁはしょうがねぇ。
おもろっ。
