見出し画像

『ローマ人盛衰原因論』②ローマを強国にした国民性はどのように作られたのか──モンテスキューが読む共同体の原則


国家や組織が強くなるとき、
そこには必ず 「その社会に固有の気質(national character)」 があります。

しかし、その気質は“生まれつき”ではありません。

モンテスキューは、
風土・習俗・制度が長い時間をかけて国民性を形成する と考えました。

ローマが小さな都市国家から地中海世界を支配する強国へと成長した背景には、

  • 戦争を好む

  • 規律を重んじる

  • 共同体のために戦う

という国民性がありました。

そしてその国民性は、
偶然ではなく、 制度によって意図的に育てられたもの
だとモンテスキューは読み解きます。

この記事では、
ローマの王政〜共和政期における 「国民性の形成」 を、
モンテスキューの視点から整理します。


※古代ローマは、
前7世紀ごろにティベレ川東岸の小さな都市国家として始まり、
約250年の王政、約500年の共和政、そして約500年の帝政を経て、
西ローマ帝国が476年に滅びました。
一方、コンスタンティノポリスを首都とした東ローマ帝国はその後も存続し、千年近く地中海世界の一角を支え続けました。

→『ローマ人盛衰原因論』の連載1回目は、こちら




 

ローマ人が「好戦的精神を保持」し続けたのは、建国時の「立法者」たちが定めた制度による
――というのが、モンテスキューの考えである


◆ ローマの国民性はどのように作られたのか


モンテスキューは、国民性を次の式で説明します。

風土 × 習俗 → 法・規範 → 国民性


ローマの場合、この連鎖は次のように働きました。

  • 貧しい土地で生きるため、近隣と争い、戦争技術が発達した

  • 勇猛な部族(サビニ人など)との統合で好戦性が強化された

  • 戦利品分配制度が、戦争を“共同体の利益”に変えた

  • 凱旋式が、勝利と指揮官を称える文化を作った

こうしてローマ人は、
「戦争を唯一の技術とみなし、精神のすべてをそこに傾注する」 国民性を獲得していきます。

重要なのは、
国民性は制度によって強化され、
制度は国民性をさらに形づくる
という循環です。


◆ 王政ローマ:制度が国民性を作り、国民性が制度を支えた


モンテスキューは、初期ローマの王たちを高く評価します。

「社会が成立する時、制度を作るのは指導者である。 そして次には、制度が指導者を作り出す。」


王たちは、

  • 好戦的な気質を強化する制度

  • 戦利品を分配する規範

  • 凱旋式のような“勝利を祝う文化”

を整え、共同体の結束を高めました。

しかし、この好戦的な国民性は王政の維持には不利に働き、
タルクィニウス王が暴君とみなされると、
人民は王を追放し共和政へ移行します。

古代ローマでは、軍隊組織に基づいて民会が形成され、民会の選挙に基づいて執政官(コンスル) などの選挙が行われた


◆ ローマの政治構造の基盤──貴族・人民・元老院


ローマが王政を終えたあと、
共同体に残ったのは「貴族」と「人民」でした。

王政期から存在した元老院は、共和政に移行すると実質的な支配機関となり、議員の多くは貴族から選ばれましたが、一定の財産を持つ人民も参加していました。

執政官も同様に、財産要件を満たす市民であれば選ばれる可能性がありました。

古代の共和国で「人民」と呼ばれた人々は、現代のような“全市民”ではありません。

市民として政治に参加できたのは、次の条件を満たす者だけでした。

  • 武具を自費で調達できるだけの財産を持つこと

  • 都市を守る兵士として戦えること

  • 共同体の維持に責任を負えるとみなされること


つまり、古代人の発想では、国家の維持に責任を持ちうるのは、一定以上の財産を持つ市民だけだったのです。

モンテスキューもまた、17〜18世紀の貴族階級の出身であり、このような“有産市民による共和政”を自然なものとして理解していました。

彼が理想とした政治体制は、当時のイギリスに見られたような、貴族と有産階級が中心となる共和制的な政体でした。


◆ 共和政ローマ:三つの勢力が互いを抑制する政治体制


共和政ローマの政治は、三つの勢力が中心でした。

  • 執政官(行政)

  • 元老院(貴族の合議)

  • 人民(有産市民)

モンテスキューは、この三者が互いに権限を抑制し合うことで、
権力の暴走を防ぎ、ローマが政治的に成功したと考えます。

これは、後にモンテスキュー自身が提唱する「三権分立」の原型でもあります。


◆ ローマの国民性と制度の相互作用


ローマの強さは、
国民性(好戦性・規律・共同体意識)制度(戦利品分配・凱旋式・執政官制) が互いを強化し合ったことにありました。

  • 風土が習俗を生み

  • 習俗が法・規範を生み

  • 法・規範が国民性を形づくり

  • 国民性が制度を支え、拡大を可能にした

この循環こそが、ローマの“隆盛の原則”だったとモンテスキューは見ています。


次回は、ローマが拡大するにつれて 執政官・元老院・人民の勢力がどのように変質し、 それがローマの習俗をどう変えたのかを扱います。

この変質こそが、ローマの“衰退の原則”につながっていきます。



ローマ帝国の盛衰を、制度・軍事・社会構造から立体的にたどるシリーズです。
共和政から帝政へ――ローマが変わっていく瞬間を、モンテスキューの洞察とともに追います。



  

いいなと思ったら応援しよう!