プルタルコスの宗教観──『イシスとオシリス』に見るローマ帝国の“神々の秩序”
古代ローマの人々は、世界の秩序をどのように理解していたのか。
その問いに答える鍵を握るのが、
ギリシア出身の教養人プルタルコスである。
『英雄伝』の著者として知られる彼は、
『イシスとオシリス』においてエジプト神話を“世界説明(cosmology)”として読み解き、善と悪、秩序と混沌という宗教的テーマをローマ帝国の精神世界の中に位置づけた。
この記事では、 プルタルコスがどのように神々を理解し、
自然環境と宗教を結びつけ、 多神教世界の“宗教的秩序”を描いたのかを探っていく。
プルタルコス(46〜125頃)は、
ギリシア出身の伝記作家・倫理学者であり、
ローマ帝国期を代表する教養人として知られている。
プルタルコスは『英雄伝』の著者として広く知られている。
そして、その宗教観や神々に対する記述から、
古代ローマの精神世界を理解するうえでの、重要な証人にもなっている。
そして、その宗教観や神々に対する記述は、
古代人が世界をどのように理解し、
秩序づけていたのかを知るための重要な手がかり となる。
本書を通して、彼がどのような人物であり、
どのような世界観をもって神話を読み解いたのか、
そして、ローマ帝国の宗教意識がどのような構造のもとに成り立っていたのかについても、探ってゆきたい。
『エジプト神イシスとオシリスの伝説について』
プルタルコス著
岩波文庫
1. 『英雄伝』で親しまれているプルタルコス
プルタルコス(46~125頃)の『英雄伝』は、
古代ローマの古典であり、
古来から大勢の愛読者を獲得してきた。
古代ギリシアの歴史的な政治家・軍人と
古代ローマの同様な人物たちの
伝記を並べて比較するような構成から、『対比列伝』とも呼ばれている。
この押しも押されぬ古典に、「鳥占い」のシーンが数多く出てくる。
このことは、古代ギリシア・ローマの人々が
この占いを行っていたから、ということもある。
が、もう一方で、デルフォイ
(全ギリシアや西アジア諸国から崇敬を受けた神域で、神託所がある。「汝自身を知れ」という箴言が特に有名。太陽・医術・音楽・予言などを司るアポロンが主神)
の祭司だったプルタルコス自身が、神事や神託を非常に重んじていたことも影響している、と思われる。

集めておいた鳥たちの飛び立つ様子と鳴き声などから吉凶の判断をする
2. プルタルコスとは、どのような人物?
プルタルコスは、ギリシアの名家出身である。
若い時分にアテナイ(ローマ時代でも学問の中心地だった)で学問を修め、
故郷のカイロネイア(デルフォイ神殿の近く)で様々な職務を果たした
典型的な地方の名士だった。
そんなプルタルコスの宗教的な見解は、
古来のギリシア・ローマ人と同じようなものであった。
つまり、基本的には自分の国の神々を信仰するが、
他の国の人々が違う言葉を話すように、
他国では自分たちの神々が別の名で呼ばれている(し、その国(地方)ならではの行動や仕事もしている)のではないか、と考えていたのである。
3. ローマ帝国のもとでのエジプト人
一方のエジプト人の神々に対する見解はどうであったか、
というとローマ時代においては、プルタルコスとそれほど違いはなかった。
エジプト人たちは、
自分たちの歴史や神々への信仰の伝統が
ギリシアやローマより古いものであることは知っていた。
しかし、ローマ帝国の時代には、
エジプトがすでに純粋で固有な文明としての地域ではなく、
“地中海世界の一員(ローマ帝国配下の一員)”としての存在であることを自覚していたのである。
とはいえ、エジプトはナイル川(エジプトを貫流する大河川であり、6~9月には必ず定期的に増水して氾濫し、アビシニア高原の火山土層の泥土をエジプトにもたらす。
この泥土は植物性腐植土を大量に含み、年に二~三度の収穫が可能な豊かな土壌を形成する)
によって個性づけられた特異な自然的特徴を持った国である。
ナイル川周辺以外は砂漠であるから、
結果としてエジプトの領域は、ナイル川に張り付いたような恰好になる。
つまり、エジプトはナイルによって形成されたオアシス国家であった。
そのような環境から、
ローマ帝国の時代、エジプト人は自らの神々を、
自然環境と結びついた“世界観”として理解していたのである。
4. プルタルコスによるエジプト神話の解釈
そのような特異な自然的特徴がエジプトの宗教に反映されている、
とプルタルコスが考えていたことが、本書から読み取れる。
プルタルコスは、
「ナイル川」=「オシリス(かつてエジプトを善政で治め、人々に農耕と神に対する礼拝を教えた、とされる神)」で
「大地」=「イシス(古代エジプトの最高神でオシリスの妻。弟「セト(豊かな土壌に敵対する「乾燥」や不毛な砂漠などを象徴する「悪」神)」に殺害されたオシリスを復活させた)」
としながら、両者が交わることで「生命」が誕生する、と説明する。
プルタルコスは、
エジプト神話を単なる物語としてではなく、
自然の働きや世界の秩序を説明する“宗教的世界説明”として理解していたのである。

→古代人が世界をどのように理解し、
神話をどのように“世界説明”として用いていたのか。
このテーマは、ニーチェの『悲劇の誕生』とも深く響き合う。
ギリシア悲劇の誕生と終焉を、
アポロ的/ディオニュソス的という二つの力から読み解いた連載はこちら。
5. プルタルコスの宗教観
このようなプルタルコスの宗教に対する考え方は、
以下のようなものである。
基本的に、プルタルコスの宗教観は、
善と悪という二元論的な力が世界を動かしている、
という理解に基づいている。
まず、世界(美しい自然)はきちんと「秩序」づけられている
(季節の循環とそれに伴う植物の生長、動植物のそれぞれの棲み分けなど)。
そして、このような精巧な世界は、
善き神々の働きによって成立し、
創られたものなのである=「オシリス」や「イシス」など。
しかし、世界(美しい自然)で良からぬことが起きるのであれば
(例えば作物の不作や地震のような自然災害など)、
それは「悪」神のすることである=「セト」など。
そして、「神が全てのものの原因である」ところから、
「万物は善悪両方の要素の混合」で出来ている。
「この大地の世界、月と共にあるわれわれの世界が、
つねに同じではなく、さまざまな様相を呈し、ありとあらゆる変転にさらされるのは、
二つの相反する力(善と悪)によって成り立っていて、
その一方は右の方に向かって真っすぐにわれわれを導いて行くが、
もう一方はくるりと反転して後戻りさせる、
そういう仕組みになっているから」である。
それでも、善い神のほうが悪い神よりも力は強いので、
基本的に世界は善い「秩序」になりたって出来ているのである。
このような神々についての神話や伝説について考えるときに、
不道徳なエピソード(=「詩人」や「人々」が面白半分に語ったり、
短慮にもとづいて適当な憶測を交えて解釈したものである、
というのがプルタルコスの見解)は考慮に入れるべきではない。
なぜなら、それは人々の信仰心を減じることになるからである。
本来、神々を知ろうとすることは、
「神の掟に従う」ために行うことなのである。
と、いうのが本書から読み取れるプルタルコスの考え方である。
プルタルコスは、以上の考えに基づいて、
エジプトの自然環境のあり方を考慮に入れつつ、
ギリシアの神々の属性や役割に当てはめて、
エジプトの神々について考察している。

それぞれの地域で違う姿で表現されたものであり、本来は同じものである
プルタルコスの解釈は、
古代人が自然・神々・世界の秩序を
どのように結びつけて理解していたのかを示す、宗教史上の貴重な証言 である。
本書を読むと、宗教が“世界説明”の役割を果たしていたことが実感できる。
それに、豊富に寄せられたエジプトとギリシアの神話のエピソードとそれに対するプルタルコスの見解が面白い。
興味を惹かれた方は、ぜひご一読を。
※プルタルコスの宗教観は、
善悪二元論
自然環境と神々の結びつき
多神教世界の宗教的秩序
異文化間の宗教的翻訳(interpretatio graeca) といった、海外の宗教史・古典学で重視されるテーマと深く関わっている。
そのため、『イシスとオシリス』は単なる神話解説ではなく、 ローマ帝国の宗教的多元性を理解するための重要資料 として読まれている。
