悲しいことは、半分にはならないということ
楽しいことは二人分
悲しいことは半分
幼い頃のNHK「お母さんといっしょ」の歌で
そんな歌詞がありました。
でも、実は、そうではなかった。
そんな、お話です。
*
今日で、姉が事故死して、25年になります。
当時は、自分が一番かわいそうだと思いました。
年子で双子のように育った私たちは、
誰からも羨ましがられていると、
お互いに自負していた
仲良し姉妹でした。
春休みの予定は盛りだくさんでした。
私も大学生になるということで
運転免許をとって
どこでもドアを手に入れた私たちには
行きたい場所が、盛りだくさんでした。
化粧や、彼氏や、最新の「携帯電話」のこと、
相談することも、盛りだくさんでした。
自分はなんて可哀想なんだと思いました。
悲しくて、悲しくて、悲しくて
誰かと悲しみを半分にしたくて、色んな人と悲しみを語り合いました。
家族、友達、恩師、姉の友達だった人、姉の彼氏だった人。
でも、どの人も、私と同じでした。
「自分が一番、かわいそう」
お互いの悲しみを、
それぞれに語ることはできても、
半分になるどころか、
湧き上がる不満に気づきます。
悲しいことは半分になるはずなのに、おかしい。
違和感でした。
一年位続いた違和感は、病気となって形になり、考えた末にわかったことは、
悲しいことは半分にはならない、
共感すら、
できない、
という、残酷な事実でした。
涙の数だけ強くなれるのは、
その涙が、悔し涙や嬉し涙のときでした。
悲しみは、
自分の中で消化して、
受け入れたり流したり、
忘れたり、
発散したり、
代わりになったり、
生き甲斐を見つけたり、・・・
そうする中で、昇華させていくものでした。
そうやって、土台を作った上で、
やっと共感できるのでした。
家族ですら、親子ですら、きっと夫婦ですら、
時間がかかるものでした。
悲しいね、っていうと、
悲しいねって言う。
こだまでしょうか?
(みすゞさん、いつもありがとうございます)
四半世紀もたってやっと、
両親と
「共感」してワインを飲むようになりました。
3・2・1
乾杯🥂
私たちの悲しみに。
半分にしなくてよかったんだ。
思い出まで、半分になってしまう
ところだったね。

飲むだけで、色んな国に旅した気分になれるから
*
湿っぽくなりたくて綴ったのではなくて、そろそろ本腰あげて復職しなくては!との区切りのつもりで書きました。
四半世紀経ち「自分が一番かわいそう」とは
思わなくなりました。
人は誰しも、悲しみを背負って
生きているのだと。
最後まで読んでくださり
ありがとうございました🍷✨
そんな訳で(どんな訳で?)一曲。
恋人じゃないし、同じ教室にいたこともないですが💦
今度こそ、失礼いたします。
おやすみなさい🌙
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毎日思ったことを書き連ね、心の整理をしています。読んでくださるだけで、励みなっています✨感謝の気持ちを込めて🌹ありがとうございます✨