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【躁うつと生きる】離婚やめます⑦疑心暗鬼から変わりゆくもの

離婚という決断は、悪いと思わないし、まして不幸だなんて、そういう思いは全くありません。
そんな時代でもないですし。
わざわざこのように書いたのは、離婚にマイナスイメージがあって「離婚やめます」になったのではないと、知ってほしかったからです。
私の友達にも離婚した人はいます。
彼等彼女等はそれぞれに活き活きと、伸び伸びと前を向いて生きておられます。

私もある決意を持って、離婚を考え、行動を起こしてきました。
ですが、私の躁うつという特質から潔い行動に踏み切れず、恨みと後悔でいっぱいになった心で、あーだこーだと考えを巡らせるばかりでした。
その中で出会ったこの場「note」に様々な出来事をつらつらと書き続け、自分の心と向き合ってみた結果、私のこの先の人生は、離婚によっては得られないとの答えに辿り着きました。

本記事は、あーだこーだと考えた中の、離婚をやめようと思うまでをまとめている、連載記事です。
大変自分本位な記事で、誰かの役に立てる目的でもなく、自分の心の整理のために書いています。
そんな記事でも読んでくださったら、私はとても励みになります。
いつも読んでくださるフォロワーの方々には、重ね重ね、感謝と尊敬でいっぱいです。

今覗いてくださっているあなたにも。
ありがとうの気持ちしか伝えられませんが、読んでくださると、嬉しいです。

《これまでのあらすじ》
私は三人男児の母親で、小学校の教師をしています。今現在は、鬱病のために休職しています。
息子のうち長男はADHDで、3年前から父親(文中では「旦那さん」と記しています)の虐待を受けていました。私は子どもを守るという命題のもと離婚を決意し、準備を進めます。けれども躁転したり鬱転したり、理想通りに潔くは進みません。警察への通報という手段をとってみても、結局迷いが出て、離婚どころか別居もできませんでした。結局我が家は、虐待をした父親とそれを認め許した母親として、「経過観察扱い」となりました。

①溢れた器
②恐怖の中の覚悟
③虎視眈々…事件は突然に
④雨降って、固まったものは
⑤警察への通報
 ⑥揺れる想い

⬜︎◼️⬜︎◼️⬜︎◼️
これまでの連載記事の中には、表現が家族の不名誉に関わるものや、読み手にとって刺激の強いものが含まれており、それらの記事は有料ラインを設けています。
興味を持っていただけたら、無料まででも内容のつかめる目次をつけていますので、気兼ねなく読んでいただけると思っています。

⑦疑心暗鬼から変わりゆくもの


魂の抜けた夫 


経過観察期間となった翌日からの生活は、一見いつも通りに流れていました。
いつも通りに朝起きて、いつも通りみんな出勤、登校、登園して、夜はみんなで食卓を囲み、お風呂に入って寝る。
これまで通りのなんでもない日々です。

ただひとつ、旦那さんが、子どもに対して「なにもしない」ということ以外は。

警察署へ行って以来、旦那さんの長男への暴力暴言はなくなりました。
でもそれはまるで、ネグレクトでした。
手を出さないけれど、手も貸さない。
口出しはしないけれど、声かけもしない。

なんと極端な。
私は別の負担を感じました。
家の中にいると、息が詰まるようです。

母息子会議は、グループLINEで行うようになっていて、小さな子どもがずっと拗ねているような旦那さんの態度に、次男も辟易していました。
「これはこれで、出て行きたくなる」

発達凸凹の長男はと言えば、部活も学校も自分のペースになりました。遅刻してしまう時もある。休みたい時は休む(もちろん私との相談の上です。腐っても母🐡です)。それは、誰からも叱られないことに安心しているというよりは、伺っているような感じでした。

この時の私の旦那さんへの気持ちは、
「改めてきちんと、旦那さんから家族に向かって反省の言葉を述べるべき」
そう思っていました。
私ならそうする、と思うからです。
悪いことをしたら詫びる。謝る。
そんなこと、子どもでもわかるのに、と。
幼稚な旦那さんに、私は苛立っていました。

***
その私の考えこそ、自分よがりな思い込みだったのだ、ということは、この時の私は考えも及びません。躁で走り続けているためです。
また、私はそもそも謝りすぎるくらいの自尊感情の低い人格です。相手の目を気にしすぎるあまり、自分の否をすぐに認め、他人に遠慮してしまう。それが良いこととは限らないということを、私はまだ分かっていませんでした。

末っ子の力


そんなある日、末っ子が、旦那さんに言ったのです。

「最近パパとお風呂に入ってないから、パパと入る!」

長男への暴力をずっと見せられていた末っ子は、これまで「パパとお風呂に入りたい」と自分から言うことはありませんでした。
それが、誰が促すでもないのに、末っ子から旦那さんに言ったのです。
考えてみれば、末っ子は保育園に預けられている時間が長く、意外と一番家にいないのです。だから、家の中の重苦しい空気より、父親の暴力がなくなっているということだけに、フォーカスできたのかもしれません。
たまたまかもしれません。。
わかりません。とにかく、とても自然に、明るく旦那さんを誘ってくれたのです。
(とにかく?明るい?・・・安心してください、入りますから!・・・失礼しました)

末っ子の言葉に旦那さんも思わず笑顔が漏れ、「お?おう。よし、入ろう」と、末っ子に手を引かれてお風呂へ行きました。
お風呂から笑い声が聞こえてきました。初めは末っ子の笑い声だけ。でも徐々に、旦那さんの楽しそうな話し声も聞こえてきました。
何週間かぶりの、旦那さんの「陽」の声でした。

それをきっかけにして、次男と旦那さんの関係も、元に戻り始めました。

再び鬱転


けれども私の気持ちは、すぐには切り替わりませんでした。
それは長男も似たようなものでした。

本当にもう、虐待はなくなったのか。
そんなたった一度の警察介入で、なくなるようなものなのかという、疑心。
ふとしたきっかけで逆上して声を荒げ、手が出るのではないのかという、怯え。
また、もしかしたら叩かれるかもしれないという、不安。
それらは、一朝一夕では拭えるものではありません。

そんな時、長男の部活においての問題が、また起こったのです。
集合場所の連絡が、夜から朝の間に変更されていて、長男も私もその連絡メールに気づかず、長男は置いてけぼりを食らっていたのでした。

警察に通報した時のような、血の気の引く思いが再び襲ってきた私は、ついに次なる行動をとるべき時がきた!とばかりに、準備していた荷物を車に積み込んで、長男を迎えに車を走らせました。末っ子は旦那さんと習い事に行ってしまっていたので、一緒に向かったのは次男だけでした。それでももう、私は他に、考える余裕がなくなっていたのです。

また長男が叱られる!
また同じことの繰り返し!
逃げなきゃ!
子どもを連れて、今度こそ逃げなきゃ!

ところが。
長男と合流すると、全てが大したことはなく、単なる連絡のすれ違いによる行き違いでした。同じ状況の子もいて、長男に否がないことは明らかでした。
そして、旦那さんが怒るような要素など、なかったことが分かったのです。

凄まじい取り越し苦労と、被害妄想でした。

帰宅した私と長男と次男を、旦那さんと末っ子は、なんでもないように振り返りました。
末っ子は旦那さんの膝の上で、テレビを見て、笑っていました。

私の心は多分そこで、一気に疲れてしまったのでしょう。

その日から一ヶ月ほど経った頃、夏の病気休暇明けからまだ数ヶ月だというのに、ぷつんと何かが事切れたように、またしても、鬱転してしまいました。

休職


夏とは違い、その後一週間ほどの記憶がほとんどありません。
ただ、首に縄を巻いて泣き叫ぶ私を、長男と次男が必死に止めている、その記憶だけです。
酷い希死念慮の嵐でした。
酷鬱でした。

布団の中から出られないでいる自分の頭にあるものは、また子どもを守れなかった無力感、そして怯えからくる新たなパニック要素が付け加わってしまったという、恨みでした。

また命を絶とうとしてしまった。
そしてまた、生きてしまっている。
離婚もできずに。
なんだこれは。
どうしたらいいんだ。

変えゆくもの、変わるべきもの


布団から動けず、何もできない無力な自分は、二階の寝室から階下のようすを伺うだけでした。
旦那さんの大きめの声がすると、LINEで長男と次男に安否を確認します。
「なんにもないで」
「大丈夫やで」
「ゆっくり休みや」
労ってくれる言葉にすら、ただ気を使わせているのではないかと、ひたすら自分を責めました。

子どもたちは、度々私の寝室に、私のようすを見に来てくれました。
登校、登園前には「いってきます」
帰宅すると「ただいま」
私がいることをただただ確認するように、それだけを言いに来てくれます。
階下からは、旦那さんの大きな声も、いつの頃からか聞こえなくなっていました。
寝起きの悪い長男に、穏やかに声をかけている気配すら、聞こえるようになっていました。

どうしてそうなっていったのか、何が変わったのか、誰が変わったのか。

「いってきます」
「いってらっしゃい」
「ただいま」
「おかえり」
「ママだいじょぶ?」
「うん、ありがとう」
「ご飯、パパが作ったんだよ」
「ほんとぅ、じゃあ、食べようかな」

振り返れば、子どもたちのさりげない、当たり前すぎていつもすぐに通り過ぎてしまう言葉は、こんなにも温かかったのです。
守ることに固執していた私は、守ることを盾にして、旦那さんを攻撃する態度と言葉を使っていたのだ、ということに、やっと、気づき始めました。

してくれない、わかってくれない、不満を吐露するこの行為も、十分児童虐待だったのです。
素直に助けを求めれば、みんなこんなに助けてくれるのに。

あのブロッコリーが飛び散った時までにも、私は旦那さんを傷つけ、結果子どもたちを傷つけていたのです。

私は確実に、子どもに生かされています。
支えてくれている、かけがえのない存在である子どもたちと、これからも私は生きていきたいと強く思うようになりました。

変わるべきは旦那さんじゃない。
私なのだ。
私はいつも、人に言うではないか。
他人は変えられない、自分は変えられる。って。

***
そうして私はこの、noteに出会うことになります。
少しずつ、自分の心を解きほぐすように、文を綴ってきました。
次回で「離婚やめます」の連載を終えようと思います。
ここまで読んでくださり、大変ありがとうございました✨最終回も読んでくださると、嬉しいです☺️🌹

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坂縞理子 毎日思ったことを書き連ね、心の整理をしています。読んでくださるだけで、励みなっています✨感謝の気持ちを込めて🌹ありがとうございます✨

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