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【躁うつと生きる】現代は子どもも親も生きづらい〜虐待からの考察〜

「無理心中は児童虐待の最たるものである」
というニュースを読みました。
去年の記事です。
ひどく反発心を覚えたので、いまだに思い出しては悶々とします。
どこの親も、我が子に虐待したいなどとは思っていない、と私は思っています。
それでも虐待に至ってしまう理由は、家庭の数だけ様々でしょうけれど、もともと誰も悪くなかったのに、ある歯車が噛み合わなくなり取り返しがつかなくなった結果のような気がします。

噛み合わなくなる歯車として、例えば
・仕事との両立
・金銭面的な問題
・周りの人(家族も然り)との折り合い
・自分の思い描いていた子ども像と現実とのギャップ=障害を抱えていた、期待したより協調性がなかったりどんくさっかったりetc
・自身の病


一昔前は、
女は家で、男は外で、それぞれ役割分担できていた時代でした。子育てとしてやりやすかったと思うのは、私だけではないはずです。
大家族で、祖父母が孫である我が子の世話をしてくれる、家事は祖母が、嫁姑のいざこざはありながらも分担してくれる、夫は仕事で遅くまで家を空けているので、子育てに干渉してくることはない。
そんな昭和の古き良き時代のよいところだけをクローズアップすると、この形態が子育てをするのに一番適した時代だったように思います。

現代はと言うと
核家族が当たり前で、祖父母が近くに住んでいる家庭のみが、我が子の世話に携わってもらえます。保育園のお迎えに、食事の提供。家庭によってはお風呂から寝かしつけまで。その協力が望めない遠方に住んでいる家庭や他界された家庭、ほぼ絶縁状態の家庭では、子育てにおいて身内の助けを借りることはできません。
ファミリーサポートや市のボランティアや社会福祉の制度が整ってきたと言っても、まだ認知も低く、打ち合わせや顔合わせなどの時間をとられることもあって、簡単に誰もが助けを求められるまでには至らないのが現実です。

そんな中、歯車が噛み合わず
子育てにおける限界を感じた時、
一体誰に、どこに相談をしたら良いのでしょう。
子育てホットラインでしょうか、
子育てSOSでしょうか、
児相でしょうか、
一時的には救いの言葉掛けをして、一時預かりなどしてもらえることでしょう。
でも、一時的なのです。
今後末長く、子どもが成人するまでの日々をひとつひとつ考えてしまうと、限界にきている者には「もう無理だ」となるのは無理のないことだと思います。

だからと言って、決して無理心中を肯定しているのではありません。

そうではなくて、無理心中することを選択せざるをえなくなるほど、頼る当てもなく、途方もない思いを抱えた、簡単には救えない人たちがいることを、社会はどれほど認知できているのだろうか、ということなのです。

ただ単純に「無理心中は究極の児童虐待だ」ということは、誰だってわかります。当たり前じゃないですか。親の都合で子どもの大切な、かけがえのない命まで奪うことを、一体誰が肯定しますか。他の誰でもない、親自身がそんなことは一番よくわかっています。
そこに、傷口に塩をぬる議論だけを広げ、報道することに、いったいなんの意味があるのかと、思わずにはいられないのです。
記事には「『無理心中』は児童虐待だという認識が社会に薄い」とありますが、認識すべきはそこなのか?と疑問を覚えます。こども家庭庁調べによると、児童虐待件数の約4割が無理心中による児童虐待だそうで、主たる加害者は無理心中加害者全体の約7割で、実母だとのことでした。
クローズアップすべきは、無理心中で巻き込まれる子どもの命とともに、そうせざるを得ないまでに追い詰められている親御さんの状況ではないかと思うのです。
親を救わなければ、子どもが救われるはずはありません。
親から離された子どもがどれほど辛い人生を辿るかは、言わずもがなです。
(なんの背景もなく自己の勝手な感情で、子を手にかける不道徳な親がいるということは、今回は議論しないことにしましょう。)

◇ ◇ ◇
私は、子どもを守るため、離婚を考えたことがあります。しかし、躁うつ病がネックとなり、その大きな決断ができませんでした。であるならば、なんとしてでも虐待だけは阻止しなくてはならないという使命があります。
旦那さんはADHDの長男への理解がありませんでした。言ったことができないと、罵倒し、殴り、怒り散らすだけの人でした。
警察案件にもなって、今でも定期的な児相との面談があります。
でも、日々バランスを保つのは私の役目でした
長男の特質を理解し、ダメな時は無理をさせず、時には発破をかけて頑張らせ、ちいさな成功を派手に褒めて、誰でもフォローできる後始末はしれっとやっておく。次男には兄を軽蔑しないようにポジティブな面を教え、三男と遊んでくれる幼い部分を、それは素直さなのだと感謝する。
私がフルで仕事をしてしまっていれば、長男のフォローは難しかったのです。

私は、自分の好きな仕事と、子どもの両方を守りたかった。でもできませんでした。
虐待してしまう旦那さんと離婚をして、ゆるく、仕事も子育てもしたかった。それもできませんでした。
私の病気はそんなに甘くなく、躁状態で走り続けた私は限界が来て酷鬱になりました。酷く絶望しました。仕事をしながら子どもを守ることができない自分のキャパの狭さにも、思い切って離婚して子どもたちと生活していく精神基盤の脆さにも、とにかく自分のあらゆる弱さに絶望しました。
そうなると、無理心中も、選択肢の一つとして頭によぎるのです。結局しませんでしたし、できませんでした。紙一重のところで理性が勝ったと言えば聞こえはよいですが、結局は、死ぬ勇気がなかったのです。それだけの覚悟はなかったのです。だから、虐待をしてしまう旦那さんを含め、無理心中に至ってしまった親御さんを、ただ責める気持ちにはなれないのです。

◇ ◇ ◇
嫁の連れ子を殺害する内縁の夫の事件も後をたちません。
これも、社会的問題が大きいでしょう。
母親が子どもを守らなかったことが悪であるとの報道のボリュームが大きく、心が縮こまる思いです。内縁の夫は殺人を犯しているので、間違いなく罪人です。罪は重いです。でも、妻は?
もちろん母たるもの、惚れた男よりも我が子を守るべきです。男と縁を切って子どもを守って逃げなければなりません。でも、金銭的余裕は?住居の問題は?子どもの通園先登校先への連絡は?子どもの心を考えられるような、自身の心の余裕は?
惚れていようが惚れられていようが、女にとって男は恐怖の対象です。
力では敵うはずはなく、罵倒されれば萎縮してしまい、通常の判断能力を失います。「お前が悪いんやろ!」なんて言われたら、そうかもしれないと思うし「こいつ(子ども)なんか殺してしまえ!」と言われてしまったら、それに抗い自分だけの力で我が子を守る勇気など、並大抵のものではありません。
せっかく勇気を持って一人で子どもを産み育てたのに、もしくは、せっかく前夫と離婚し、リセットして子どもとやり直す決意をしたのに、再婚した夫も手助けにはならなかった…。誰か、なにか、もっと助けられるシステムは、ないのでしょうか。

◇ ◇ ◇
我が家では、私がつぶれたら、間違いなく長男は精神的に死にます。三男も同じく精神破綻するでしょう。次男は旦那と同じように、他人を傷つけて自己欲求を満たす人間になってしまうでしょう。
鬱状態で体を引きずりながら仕事に行くこともできました。でもそうすると、自分にしか余裕が持てず、子どもの配慮までできません。家事も回りません。旦那は虐待旦那だけれど、私が子どもに目をかけ、言葉だけでもフォローし、私から代表して謝ってさえいれば、家庭に平穏は保たれるのです。小さな家事をしてくれたことを、私が感謝の気持ちを忘れず、まめに褒めることを忘れなければ、子どもにも優しくなれる人です。鬱期に入り、自分が動けず出かけられない時、子どもを連れてファミレスに行ってくれさえすれば、子どもが飢えることはない、そんな手助けだけでも、あるのとないのとは大きな違いです。

私は離婚を選べなかった。


◇ ◇ ◇
女は家で、家庭と子どもを守れば良いという、昭和の常識はある意味理にかなっていた。今更なのかもしれません。起こってしまったひずみから生まれた反省点でしかないのかもしれません。今さら時代は逆行することはありません。今の時代にあった方法で、子どもも家庭も、自分自身も、守らなくてはならないのでしょう。


こんな社会なのですから、そりゃ、鬱も、虐待も、離婚も、増えますよね。

◇ ◇ ◇
私は虐待から子どもを守るため、離婚を選ばず自身の鬱に甘んじて休職し、旦那の自尊心を保ちながら、子どもを守っているつもりです。
もっと強くなりたかった…でもなれなかった…
うつ病が寛解したとして、復職できるかどうか…
すべきか否か…
どうすればいいのか、答えが出ません。
ただ、子どもを第一に守りたい。
そのための円満な家庭を守りたい。
自分のことは、二の次です。

答えを出すのは、まだまだ延期です。

支離滅裂な記事になってしまいました。
読んでくださった方々、恐れ多いことであります…ありがとうございました🌹✨
皆さまが皆さまらしく、生きられますように…


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坂縞理子 毎日思ったことを書き連ね、心の整理をしています。読んでくださるだけで、励みなっています✨感謝の気持ちを込めて🌹ありがとうございます✨