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人を頼れない自己の分析をせずにいられなかった①//毒親だと言いたくない

人生で初めて、過労で倒れました

夜中嘔吐し救急で運ばれ、
十日間入院しました
体調万全ではない状態で退院することになったのは、熱中症で搬送される患者さんが多かったからでした
精神疾患でなく、寝込むことになったのは
久しぶりです
「普通の病気」という
よくわからない免罪符をもらって休む中、
却って余計な思考に悩まされるようになりました。
退院したものの、なにもできないポンコツな自分
よくならない体調
よくならないのは他でもない
心が上を、向かないからです
心に覆う闇のようなモヤは
怒りと不満に襲われています

本文章は、その原点を省みるものです
大変ネガティブな表現を含みます
遠野なぎこさんの事件が、
このような文を書く気持ちになったのだと
思ってはいます
だからと言って、遠野さんを非難するような気持ちは微塵もなく、遠野さんの凄惨な人生が人事だとはとても思えない、というのが本心です

有料設定にはしないつもりなので、
読む読まない、フォロー外しは致し方ないと思っています
これまでフォローしてくださった皆様には
決して感謝を忘れません
 



温かい家庭で育ったと思っています。

父親は真面目過ぎて、私がまだ幼稚園児の頃に精神疾患を患って、昭和バブルの時代としては珍しく、精神障害者として都落ちした人でした。

それでも気丈な母親が、家事も育児も嫁姑の関係も全て受け入れて、私も姉も妹も、まだ大人の都合などわからないまま、父親の実家に居候させてもらうという生活に変化して、何不自由なく過ごさせてもらいました。

今考えても、母は強く頼もしく、逞しい人でした。

母として、というより、「嫁」として、本当に強い人だったのだと思います。

母は世間も味方につけ、家事も近所付き合いも、完璧にこなしていました。

自室で引き篭もる父親に、母が干渉したり愚痴を言ったりする姿を、私は全く記憶していないほどです。

なぜあんなに母は我慢強く、自分の気持ちを押し殺し、耐えて生きて来れたのか、
それは母の親たちが、戦前を生きてきたからに他ならないと思いました。

戦前を生きてきた方々には、私のようなぬるま湯しか知らない、戦後しかしらない世代には、想像もできない生き方をしてきているに違いありません。
そしてそんな親たちに育てられた母は、安全な生活と、自分の家庭を持ち、家族のために生きることは、ある意味幸福なことだったのかもしれません。

現代の価値観とは、違う価値観をもっていたことは、明らかでしょう。

自分にも他人にも厳しかった母の元で、私が唯一心を許せるのは、姉だけでした。 

愚痴も弱音も悲観的な臆病も、私は全て姉に話して心を保ってきました。

姉は母の気丈さを受け継いだのか、過ぎし日は追わず、明日を見て、自分が信じる生き方をする人でした。
身の丈にあった進路を自分で決めて、やりたいことをやれる範囲でやり、我慢をしない人でした。

対して私は父親の悲観さを受け継いだのか、常に自己有用感に疑心暗鬼で、自分が必要とされているのか、自分を好きでいてくれる人がちゃんといるのか、常に不安でした。
実際幼児期の友達からは、
「お姉ちゃんとは遊びたいけど、あなたとは遊びたくない」
とはっきり言われたこともありました。

それでも、後で必ず姉は私に言いました。
「私の宝物の妹」
「いつでも私に相談するんだよ」
「一番ホッとするのは、あなただよ」

その言葉が、私を常に支えてくれました。

ところが、
そんな大好きな姉は、私が18の時に事故で他界してしまいました。

私は、それまで頼りにしてきた、自分を支えてきたものを失い、自分で自分を支えなくてはいけなくなりました。

それは、とても難しいことでした。

私はほどなくして、「双極性障害」となりました。

親は、躁と鬱を繰り返す私を、半狂乱で見下していました。

母からは
「私の子育ては失敗だった」
と言われ、
同じ境遇になったこともあったであろう父親からは
「勝手にしろ!」
と匙を投げられました。

自分も、もういい大人だったので、自分でなんとかするしかないと、わかっていました。

そうして私は家を出て、姉の死から数日後に合格を手にした大学を卒業し、仕事を持ち、結婚して、子供も授かりました。

私は姉の死を乗り越えて、世にいう一般的な幸せを、自分の手で掴むことができた幸運の持ち主だと思って、全ての経験に感謝しました。

でも、それからの人生のほうが厳しい世界であることを、私はまだ何も、知りませんでした。


***
入院したのは6月末でした
退院してもう二週間も経つのに、体は動いても心が落ちていく一方です

頼ることの下手な私は、
成長盛りの子どもたちを守ることだけを信念に
以前あることを決意した時のように、
自己分析のためにnoteを綴ることにしました

タイトルと内容がちぐはぐしてしまいましたが
もっと上手に頼れたならば、
過労で倒れたり、
心が落ちて寝込みすぎたり、
することはなかったのかもしれない
と考えて
ずっと以前から抱えていた、
「親」のことを初めて綴りました

ここまで読んでくださり
ありがとうございます
見つけてくれた、縁に、感謝します
②③に続きます
ぜひ読んでください🪽


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坂縞理子 毎日思ったことを書き連ね、心の整理をしています。読んでくださるだけで、励みなっています✨感謝の気持ちを込めて🌹ありがとうございます✨